和気味の晩御飯

今夜のメインは以前にも書いた鶏のポン酢煮でした
前回の舞茸に加えてささがきごぼうも一緒に煮てみました
添え物に胡麻油、すりごま、おろしニンニク、ゆかり、粉チーズ、塩、黒胡椒で和えたブロッコリーを作りました
本当はオリーブオイルプラスレモン汁にしたかったのですが、オリーブオイルを切らしてしまったので胡麻油プラスすりごまに
このブロッコリーの和え物は毎回模索しながら作っているのでまだこれだ!という組み合わせにはなっていません、まぁそこそこ食べられるぞという味です
主食は炒り豆腐ののっけ丼
炒り豆腐はフライパンで水分を飛ばしてからみりん、白だし、醤油
卵を入れて更に炒めて最後に塩で味を調えました
見た目が地味なのでキムチ、刻み海苔、刻み大葉も乗せました
夫は炒り豆腐を初めて食べたらしく、でも美味しいねと言ってくれたので良かったです
丼物が多めなのは洗い物が少なくて済むのと単純に食器を最低限しか持っていない為です
メニューを考えてはそれじゃあ器が足りなくなるぞと変更することも屡々なので、何かお気に入りのものが見付かればなとは思っています

たんぱく質メニューでした

昨日に引き続き今日もオーブン料理、バーベキューチキンを焼きました
一口大に切った鶏もも肉をケチャップ、中濃ソース、オイスターソース、蜂蜜、塩、おろし生姜、おろしニンニク、ナツメグ、シナモンの合わせダレに一時間程漬け込んだら皮目を上にクッキングシートを敷いた天板に並べて、200℃余熱のオーブンで25分
主食はたまごサンド
たまごフィリングはマヨネーズ、塩胡椒、砂糖、ほんのちょっとの牛乳、乾燥バジル
スープは今日はブロッコリーのミルクスープ
小鍋に牛乳、冷凍ブロッコリーをそのまま、コンソメ、クリームチーズを加えて加熱するだけ
冷凍ブロッコリーは本当は解凍して少し小さくカットしたかったけどオーブンレンジがチキンで塞がっていたので今日は割愛
「一つ一つがとても美味しかった」と夫が褒めてくれたのでそれぞれまた作ろうと思います
オーブン料理、電気代が気になるところですが火を掛けなくて良い、ある程度放っておける、何か美味しい気がする等なかなか良いものだなぁと感じています

焼きカレー

大量のマッシュポテトをこさえ、昨日の残りのカレー、とろけるチーズ、黒胡椒、乾燥バジルとパン粉を掛けてオーブンで焼いた
思いつきながら美味しくって嬉しかった
マッシュポテトは皮を剥いて一口大に切ったじゃがいもをひたひたの水で茹でたら茹で汁を捨てて潰し、バターと塩、それと牛乳は少しずつ足しながら好みの固さになるまで弱火に掛けつつ混ぜるだけ
ところでオーブン対応の大きな器を持っていないので、底が取れないタイプのスクエアケーキ型を使った
なかなか20cm四方型を使う機会は無いなと思っていたけれど、これを期に活躍しそう
ケーキしか焼いちゃいけない訳じゃ無かったね
今日の晩御飯はそれとトマト風味のスープでした
具は人参、玉ねぎ、ウインナー、白菜を角切りまたは小さく
コンソメ、塩胡椒、砂糖、あらごしトマトはあるけど入れずにケチャップのみだったので、トマト風味
夫ももりもり食べてくれて満足のメニューでしたがマッシュポテトは多分とても消化が良い、二人ともお腹が空いて各々アイスや夜食を食べました
雑な食べ物も相変わらず好き

人を刺したいと思うのは異常な感情です

主に殺人絡みの犯罪史を読むのが好きで、殺人衝動に目覚めてしまったものとそれを差し向けられてしまったものの健やか生存ルートを見出だす必要が私にはあると感じていて、それはかつて自分をコントロールしようとした母を刺さない為であった
奏功したかは知らないが、私の中で母は今ではどこか悲しい考えの多い人であるとは思えど憎むべき対象では無くなった
私がそうであったように、母にも理由があったのだとだけ思う
何かしらの事件について「犯人側に共感しちゃう」と述べる人はインターネットにも少なくないが、思春期でもないのなら早めのカウンセリング等を検討した方が良いかもしれませんよと思う
例えば私と同じ目にあったとしても「刺したい」となるか、なってしまうならそれは何故か、100人居れば100通りの反応がある筈だ
共感等と他人の出した答えに誤魔化さず、自分の感情を自分の感情として認める事が重要なシーンが人生には多いように感じる
あと私にはどんなに激しい外的要因に曝されたとしても只横たわっている強固な自己愛が生まれつきいつも存在していた
そういう偶然の運や幸福を見出だせない人間がどう自分や他人を殺さずに済むかというのはだから分からない
同じく生家への苦悩を抱え続けた友人はさっさと人生を畳んでしまった
誰の代弁にも手本にも縁(よすが)にもなりようがない
自分だけのやり方を見付け続けるしかない

貰えなくても内在はしている

思うに大多数の人生のテーマとはその対象が自己他者問わず身の内の愛や善を発見する事、またそれを如何に発揮するかであり、そこにあって親からの健やかな愛情を受けられなかったというのは巨大過ぎるハンデではあってもいつまでも致命的という訳ではない場合も多いと感じる
生き残ったところで尾形は…という意見も分からなくは無いが、他人の行く末を勝手に悲観するような姿勢は対象がフィクションであれ私はあんまり好きでは無いなと思う
この漫画の背景として世そのものが動乱の最中であるし、例えばド悪党だった稲妻とお銀と彼らが遺したものが徹頭徹尾負の側面のみであったかと言えば違っただろう、生きていれば良いことがあるとは言わないが、生きてみなけりゃ分からないことは多々ある
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