人を刺したいと思うのは異常な感情です

主に殺人絡みの犯罪史を読むのが好きで、殺人衝動に目覚めてしまったものとそれを差し向けられてしまったものの健やか生存ルートを見出だす必要が私にはあると感じていて、それはかつて自分をコントロールしようとした母を刺さない為であった
奏功したかは知らないが、私の中で母は今ではどこか悲しい考えの多い人であるとは思えど憎むべき対象では無くなった
私がそうであったように、母にも理由があったのだとだけ思う
何かしらの事件について「犯人側に共感しちゃう」と述べる人はインターネットにも少なくないが、思春期でもないのなら早めのカウンセリング等を検討した方が良いかもしれませんよと思う
例えば私と同じ目にあったとしても「刺したい」となるか、なってしまうならそれは何故か、100人居れば100通りの反応がある筈だ
共感等と他人の出した答えに誤魔化さず、自分の感情を自分の感情として認める事が重要なシーンが人生には多いように感じる
あと私にはどんなに激しい外的要因に曝されたとしても只横たわっている強固な自己愛が生まれつきいつも存在していた
そういう偶然の運や幸福を見出だせない人間がどう自分や他人を殺さずに済むかというのはだから分からない
同じく生家への苦悩を抱え続けた友人はさっさと人生を畳んでしまった
誰の代弁にも手本にも縁(よすが)にもなりようがない
自分だけのやり方を見付け続けるしかない

貰えなくても内在はしている

思うに大多数の人生のテーマとはその対象が自己他者問わず身の内の愛や善を発見する事、またそれを如何に発揮するかであり、そこにあって親からの健やかな愛情を受けられなかったというのは巨大過ぎるハンデではあってもいつまでも致命的という訳ではない場合も多いと感じる
生き残ったところで尾形は…という意見も分からなくは無いが、他人の行く末を勝手に悲観するような姿勢は対象がフィクションであれ私はあんまり好きでは無いなと思う
この漫画の背景として世そのものが動乱の最中であるし、例えばド悪党だった稲妻とお銀と彼らが遺したものが徹頭徹尾負の側面のみであったかと言えば違っただろう、生きていれば良いことがあるとは言わないが、生きてみなけりゃ分からないことは多々ある

オムレツの可能性

今日の晩御飯はオムカレーでした
人生で初めてオムレツを作ったが、自分の分はスクランブルエッグの塊、夫の分は少しだけ成長してギリオムレツの体裁って感じだった
卵三個分で作るにはうちのフライパンは少し大きいみたいだ
傾けて使う面積を狭くしたらマシになったので、工夫をすれば私にもオムレツが作れるという光が射した
カレーは市販ルーなので安定
夫も私も具の少ないさらさらのカレーが好きなのでじゃがいもも人参もいらん、玉ねぎと肉だけ
でも野菜は摂った方が良いので白菜のスープを添えた
香り付け程度のベーコンに、味付けは塩胡椒コンソメのみのシンプルで
明日はカレーの残りを何かにしようと思います

ゴールデンカムイ最新話

尾形、ペラペラ喋るのは嘘を吐いている人間の典型って感じなんだがどうなんだ
鶴見中尉にしても策士の自分を更に騙そうとする者の臭気に反応した表情に見えるが穿ち過ぎかな
勇作殿に対する罪悪感を認めてしまえば自分は「この世に居て良い人間」になってしまうがこの世に居て最早何を手に入れたところで満たされる筈がないのだという気持ちの上でずっと縮こまっている子どもが尾形だと思っていたのだが、本当に鶴見中尉にも僅かでも思慕や駒以外の期待があり、且つそれをあっさり認められる程に自覚しているものなんだろうか
ひょっこりしてしまった月島、月島は地味ながらいつだって状況を大きく揺さぶる可能性を秘めた男だ
あと鯉登と土方は互いを斬れるようには見えないので、直接的な命のやり取りという面では他より緊張感の少ない対峙に感じる
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