責任の所在

不登校が当人にとってどう問題かと言えば将来の選択肢が狭まる、もっと嫌らしく言えば経済面で不利になる可能性が高まるという事で、学校に馴染めないくらいで振り落としてくる社会が変われば良いのでは?という意見を見て一理あると思った
一理あると思っただけでじゃあ具体的にどうという考えにはまだ至らないのだが、ゆたぼんの親が相当怪しげな人間であるからとは言えそこに議論が逃げてはいけないんですよね、本当は
通信制等のセーフティネットがあるとは言え、辛い思いをした側にばかり変化を強いる構造はやっぱり歪なのかも知れません

仕方の無いことで責めないで

九月にクリスマスの話をしますけど、前に夜中に放映してた映画で天涯孤独な男が恋人に「クリスマスに家族と過ごさないなんておかしい」みたいに責められていて、本国では「欧米では家族と過ごすクリスマスが普通なのに日本はなんで恋人となんだ!」等と恨み節を唱える風潮がありますけども、個人差があるとは言え生きてる限り可能性が皆無にはならない恋愛事で疎外感を味わうのともう努力じゃ絶対に手に入らない生家というもので疎外感を味わうのとでは圧倒的に後者が辛いよね
映画はハッピーエンドで終わったものの何でそんな事言うんだと思った気持ちはたまに思い出してしまう
タイトルは忘れました
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