騙し絵惑星(文字の惑星改題)

「騎士リテルの身長は州知事オルガーンより遥かに高い。空に向かって突き上げられたレイピアのような男である。どこまでも細く鋭い。」


 私は今、惑星ラディコの南半球にあるディヴァーバン州に向かっている。この惑星には映像、描画等の視覚情報による記録文化がなく、また外部からの持ち込みや持ち出しも禁じられている。文字、音声のみが記録として積み重なり、記憶の中にあるわずかなヴィジョンを浮かび上がらせる。人々はひどく近い距離感で認識を擦り合わせ共有する。もちろん、それだけで社会が機能するのは難しく、しかし事実機能し得ているわけで、何らかの補完――例えば種族としての記憶野の共有、文字情報の拡張など――があるだろうと推測されているが、異邦人がおいそれと答えを得られるはずもない。文章の羅列が私の得られる全てだ。
 この記録文書はヤマナミ社の記述装置ラディコプランによる。自動書記に音声入力をサブ機能として添え、文字に起こしている。各文物の詳細な記述描写は別ページに分け注釈としてリンク。記述描写出力は深度1。


 カーラジオからディヴァーバン州のニュースが流れる。
「オルガーン氏は州の外壁工事の完成にあたり、城門前に騎士リテル像を設置し、最後の仕上げとして像の胸に心臓の輝き、すなわちルビーを填める儀式を執り行います」
 本日参加予定の儀式だ。ディヴァーバン州は立地の都合でその周囲を堅固な城壁で囲む必要があり、周期的に修理と増改築を重ねている。壁は州全体の広さと比すると薄さすら感じられるのだが、もちろんそれはただの錯覚であり、内外を隔てる壁は厚く容易い。
 州知事のオルガーン氏はディバーバン州における立志伝中の人物で、州の発展と防衛に努めた騎士リテルと並べられることが多い。そのこともあって、この儀式を語る時には必ずと言っていいほど名が挙がっていた。シルエットは似ても似つかないが、彼こそはリテルの再来であると。
 代わり映えのしない荒涼とした風景が車両の両脇を流れていく。時間にして八十日、ディヴァーバン州の入口が見えてきた。すなわち、騎士リテル像の完成を待つ城門前だ。人々が押し寄せ、遠目にも量産と分かる。
 当該の像はほぼ1/1の尺で作られていて、それと同程度の高さの台座の上に置かれてる。向かい合うようにディヴァーバンの名士らが並ぶ。その周囲に音楽隊が中座し、見物にきた人々は更に外周から遠巻きにしている。周円状の空間だ。ちょうどオルガーン氏が挨拶している。
「この外壁が何をもたらすかと申し上げますと、ディヴァーバンを区切り、ディヴァーバンを守護し、ディヴァーバン、州の周辺をなぞり、指先は知っております、リテルがかつて成し遂げた大業は  」
 恰幅の良い岩石のような壮年の男性、それがオルガーン氏の印象だった。
 ルビー到来のトランペットが鳴り響いた。
 騎士リテルの身長は州知事のオルガーンより遥かに高い。空に向かって突き上げられたレイピアのような男である。力強く練り上げられた肉体。にも関わらず、その身はどこまでも細く鋭い。
 オルガーン氏はリテルの1/1像に歩み寄り、若干見下ろすようにして軽く一礼すると、その胸元に両手を添えてルビーを嵌め込んだ。
 リテル像の胸元から二対の手のひらが生え、ルビーを受け取る。音楽隊が立ち上がり、ディヴァーバン州歌を演奏、外周の見物者たちが声を揃えて歌い始めた。
「おお、幾重にも囲む城壁を越えて来れり、我らが騎士団。赤き血をルビーそれは心臓、空を空が門を掴み、前進前進、我らがディヴァーバン、リテルを見よ、そこに光があれば」
 見上げれば晴れ渡った空が  る。幸先の良い話ではあった。
 歌が終わると、オルガーン氏は改めて騎士リテル像の胸元を指し示すように手を伸ばした。万雷の拍手。他の名士たちが次々と膝を折りその場で頭を垂れる。いつかの首はその場に落ち、ディヴァーバババババ
ー  ンバババーン 

   バーバー
  して、  
        鳴り


 れひりぬたけゆわたひそらぬはりや





(ディヴァーバンで発見された自動書記記録。記録者は不明。記録はここで途絶えている)

無形の傷より溢れ出づるもの

 授業中に限って別の作業が捗る、というたわいもない話がきっかけだったと覚えている。高校時代のことだ。
 授業を一時限分録音して、作業中の環境音楽代わりに使う。拙い思いつきだった。一昔前の、大した機材を使ったわけでもない素人の録音。そのままでは没入感など得られるはずもなく、それらしく加工して使えるようにしたのはつい最近のことだ。モノクロ写真の着彩にも似た、どこか遠くて近い奇妙な現実感が改めて立ち上がった。
 実際、作業は捗った。現実/過去と違って罪悪感を覚えることもない。使う道具に変化はあっても、書き仕事との相性はやはり良かった。
 ただ、こういったものは概して別の要素も含有してくる。
 作業は捗る。
 そして、授業中は眠くなる。


 まどろみの中、やたらと精度の上がった記憶が立ち上がる。サラウンド、立体音響、表面を撫でるような浅くふわついた理解の中、夢という万能の溶剤を継ぎ足され拡張された感覚が確かな密度の空間を紡いでいく。夏を伝える音。
『――で、E-3、この文の訳は』

 ――――……

 音が入った。入った、と思う。
 記憶にない音だ。今まで聞いてきた記憶にも、薄れて久しい録音当時の記憶にも無い。場にそぐわない、イレギュラーな音だ。
 反射的にヘッドホンを外して周囲を見渡す。イレギュラーな音、つまり、繰り返された録音ではなく、今、ここで鳴ったはずの音の源を探して。だが、周囲にそれらしき形跡はない。
 一気に目が覚めた。夏の午後が霧散して季節感のぼやけた夜半に帰る。若干鼓動が早くなる。
 夢の側の出来事だったのだろうか。完全に覚醒した意識で先の音を思い返す。
 ものが落ちる音だ。


 些事がきっかけで切り開かれる記憶というものはある。
 当時、窓際の席だったのを思い出した。意識したこともなかったが、少なくとも先の夢の中でもそうだった。そして、左手側の壁一枚、窓一枚隔てた向こう側から音はした。夏、田舎の公立校に冷房などなく、窓は開け放たれていた。外部へと開かれた、その向こう側から。
 いや、違う、当時の話ではない。そんなことはなかった。あったのは今で――今だったのか? おそらく違う。何もなかった。では夢の話なのか? 分からない。夢と現実と過去と現在が、音を通じて癒着と分離を繰り返す。
 寝覚めで混乱しているのだ。考えすぎている。
 再度、音源を確認する。
『――で、E-3、この文の訳は……』
 問題の場面に、該当する音はない。
 過去に何かあった記憶はない。
 今、先ほど、この場で何かが起きたわけではない。
 ならば、夢の中の話だった、それだけのことだ。



 だが、ほとなくしてまた同じ箇所でその音は鳴った。前と同じ、眠りを誘い水にして曖昧な体感の中、不意に窓の外に落ちる。
 同じことが何度か起こり、そのたびにヘッドホンを外し、前と同じように音の源を探す。
(ここにはない)
 目覚めた先の現実にはない。もちろん過去にだって無かった。音源も無傷。
 夢の中の出来事だ。
 だが、それにしては同じ場所でばかり起こる。まるで、そこに在るかのように。
 どこに?


 ◆

「妙なことを考えるもんだな、作家先生ってのは」
 注文した生ビールを受け取り、つまみに手を伸ばしながら、倉内はそう評した。大学時代からの友人で、現在の仕事を打ち明けている数少ない人物でもある。
「そういえば俺の友人にも学校机と椅子買って使ってた奴いたよ。集中できるからって。型落ちとかしてるのかな、安く売ってたんだと」
「いいなそれ、昔ならやってたかもしれない。今だと腰やるから」
「よくあの環境で勉強とかやれたもんだ。まあでも、不思議な空間だったな学校って、改めて考えると」
「だな。……最初は教室の効果音でやろうかと思ってたんだ。そういう専用のCDがあって、演劇部から借りた。でもやっぱり馴染みが悪くて」
「知らない記憶だもんな。そこは仕方ない」
 倉内はそこで一旦会話を止めた。飲み屋の喧騒が通り過ぎ、隣の席の学生が爆笑する。
「前後で音声(なかみ)いじったりは?」
「していない」
「妙な話だな」
「不気味なら使わなければいいことではあるんだ。ただ、とにかく妙な話で」
「まあものが落ちる音ってのがそもそも妙だわな。ヒューっとでもいうのか。いわないか」
 漫画みたいな話だ。倉内は笑う。言われてみれば、落ちる音という認識しかない。具体性がない。口真似してみせろと言われたら答えに窮するだろう。
「というか、ドスン、とかではないんだよな? 地面に、ええとこの場合は地面だよな、窓の外だし――とにかく、地面に衝突した音ではなく、通過した音というか。落ちた音でなく、落ちていく途中の音? ってことだろ?」
 ここまで言って、倉内は急に黙った。
 理由は何となく分かった。ものが落下した先の生々しさが不意に実感として訪れたのだ。倉内だけではなく。
 そのまま、なんとはなしに話題は別の方向ににずれていった。
 逆だったりしてな。
 会計を前に、ふと倉内はつぶやいた。
「逆?」
「実際にものが落ちたから落ちた音だと思った、というのはどうだ? 何かが落ちたのを見たんだよ」

 なにが落ちた?

 根本的な疑問だった。なにが落ちたのか。落ちていったのか。


 ◆

 音の正体も、場所までも分かっている。それなのに抜け落ちている情報が山ほどある。いかにも夢の中の感覚だった。
 聴覚ばかりが肥大して、それだけで場の全てを拾いきれていた、あのまどろみの中で、窓の外を一度も見ていない。全ては音から展開しているのだから、そちらに気を取られていたのだろう。なにが落ちたのか。
 落ちる音を、眠気を意識しての作業はこれが初めてだった。
 昔のことを思い出しなから進める。夏。夏の教室。三階だった、上には屋上しかない――
 眠気はほどなく来た。
『――でE-3、この文の訳は……』
 いつものように、音は窓の外からする――はずだ。
 窓を見る。見ようとする。だがうまく焦点を合わせることができない。逸らそう逸らそうとする妙な力が自分の内側からかかる。意志に反した己の意志だ。
 視界の隅から覗き見るようにしても、そこにあるのは光の壁で、はっきりと捉えることはできず、逆光、違う、何もない、何も? 眩しいのか、なにもないのか、見えない、見えない、
    目が合った。
 異様に長い一瞬を力ずくで振りほどき、伏せた面を上げる。無理やりな動作が夢と現を繋いでしまい、意識を急浮上させた。そして、

 ――――……■■

 窓の向こう。音に合わせるように。何か、決して小さくはない何かが落ちた。今、現実の、デスクの左手側、カーテンを挟んだこの窓の向こうだ。
 ここは一階だ。
 音の記憶にあの時の光景が重なる。何かあったのか。何があったのか。いや、何もなかった。そうでなければ、証拠になり得る音源を呑気に何年も手元に置いていない。
 発想が飛躍している。過去に何かが落ちた証拠。そんなものはない。後付けの記憶だ。だから、音は今、ここで起きたはずで、実際起きた。
 窓一枚、カーテン一枚、ドアの向こうに、それがあるかもしれない。落ちていった音。地面を叩かなかった音。それとは少し違った音。
 今、現実に、ここに落ちたのか。開ければ分かるのだろうか。
 なんとはなしに窓は避けた。
 チェーンを外し、ドアノブに手をかける。

 ――どこに在るのか分からなかった音を、なにかを、今、現実に着地させてしまったのではないか。

 ふと、そんなことが頭をよぎった。
 ドアノブは半ばまで回っている。

カリスマ

 歌唱と楽曲に定評のあるマルチクリエイティブ歌うたい、とりあえず便宜上はアイドルの眞久(まさひさ)の元に悪魔が現れた。真夜中過ぎのことだ。
「なんか一つ願いを叶えてやろう」
 すげーざっくりとした提案に、眞久はほんの少しだけ目を細めると、淀みなく答えた。
「俺のファンは皆無病息災になり健康寿命が伸びて金銭にも人間関係にも苦労をせず健やかに幸せに生きるようになってほしい」
 割と殊勝なことをいう。いや、全然殊勝ではない。むしろスゴイ図々しいが、自分や特定の誰か(例えば恋人とか)ではなく不特定多数のファンに向けられるのはちょっとなかなかない事例だったので、悪魔はその意外さに目を細めた。奇しくも眞久と同じ挙動だった。
 そして悪魔らしく利己的に解釈した。
「なるほど、健康を餌にしてファンを増やすわけだな」
「違う」眞久は即答した。違うのだ。
「ではなぜ?」
「俺はストレスに弱い。ファンが、いや、ファンに限らず人が不幸になったりする話を聞くだけで辛くなり悲しみに引きずられてパフォーマンスが落ちる」
「よくそんなんで芸能とかできたな」
 悪魔は半ば呆れつつ感心もした。不老不死の神々に似たようなところがあったのを思い出した。自身が不老不死であるがゆえに、お気に入りの人間が死ぬと尋常ならざるショックを受けて嘆き悲しむのだ。自分たちが死なないせいか耐性が低い。超人的ウエメセといえる。
「『俺の歌で皆を幸せにするぜー』みたいなやつじゃねえの? 向こうさんだってお前への気持ちを一本心の柱にして頑張ろうってなってるだろうし、信じてやりゃいいじゃん」
「そんなものは当たり前だ。その上で言っている。俺の都合の話をしているんだ」
 眞久は何かを握りしめるように両手のひらを握り込んだ。「俺は弱い」「マジでよくそんなんで人気商売とかできたな」
「俺のファンには幸せは義務くらいの気持ちで臨んでほしいし、俺もこんな独善を望むならばそれ相応のことをしなければならないと思っている」
 やはり大分無茶苦茶なことを言っている。が、悪魔はその願いを叶えた。「お前のファンは皆無病息災になり健康寿命が伸びて金銭にも人間関係にも苦労せず健やかに幸せに生きるようになるだろう」
 そこからはもう伝説である。聴くだけで体調が整い多幸感に見舞われ脳みそが活性化しコミュ障は会話が弾み仲間ができる鉄板の話題を得てQOL爆上がり、ストレスはかき消え空は晴れ渡り景気は回復し経済は回り医療費は抑えられた。おこぼれに預かろうと近づいてきた有象無象は、逆にわけわからんのめり込み方をして周囲を驚かせた(実利に弱いので)。眞久もまた、無病息災になり健康寿命が伸びて金銭にも人間関係にも苦労せず健やかに幸せに生きるファンの前で最高のパフォーマンスを見せた。とても良いサイクルだ。その規模は次第に増していき、気がつけば一億総ファンみたいな勢いを得ていた。これはもう国の中に国を建てられるまである。
 そんな眞久がある日突然倒れた。大騒ぎになった。なんせ国中がストレスフリーの空間にどっぷり浸かりきっていたから、皆久々のストレスで目を回していた。それでも今こそ戦わねばならぬ、と、人々はそれそれの立場から動いた。直接的には医療従事者が、間接的にはもっとさまざまな人々が。
 原因不明の病はとりあえず眞久病とされた。
 眞久は病院のベッドの上でひとりごちた。
「無病息災になり健康寿命が伸びて金銭にも人間関係にも苦労せず健やかに幸せに生きられる中に俺が含まれていない、という落とし穴なのかな。これが悪魔の罠か」
「いや別に」と悪魔。
「わざわざそんなことしなくても問題には限りがないってのが最近の定説だ。何やったってどっかで詰むし、詰んでからが本番だ」
 実際、ストレス耐性とか増長とか詐欺師の跳梁跋扈とか医療関係とか思想とか多様性とか同調圧力とか、水面下からいくらでも不安要素は掘れるし、そんな中でも皆それぞれに動くし動いたのだ。
「そうか。まあ考えてみれば俺は俺のファンではないか。無茶を言ってすまなかったな」
「謝るようなことじゃねえよ」
 そうして眞久は生かされたし生きた。最終局面では、この歌と存在は貴重だから何が何でも生きながらえさせねばならない、たとえ人倫にもとるようであっても、みたいな案は出たし、そんなんなくてもおれたちは眞久から確かな幸いをもらったんだと利己的で無理な延命に反対する者がぶつかり、混乱と衝突の続く中、眞久は不思議なほど穏やかな心で見つめていた。
 彼の死後、その歌の音源から然るべき力は失われた。だがそこに何かを見出す者は残った。それは過去の感謝であったり幸福であったり未来への指標であったり、人によってさまざまな形をとった。不定形の神のように。

無題

 学校の屋上で昼飯を食べている。遠くに北山を臨み、間に挟まるように伸びる高架を二両編成の電車が走る音を聞いている。夏で、日差しが強く、落ちる影が心なしか濃い。
 これは嘘の記憶だと思う。屋上はずっと前からどこだって出入り禁止で施錠もされていて、努めてそれを破ったこともない。風景からすると高校。ただし実際見たことのある光景ではない。土地勘からの推測、それに間接的な他の記憶が混じっている。手元の調理パンは多分購買で買ったものだが実際は弁当が殆どだった。この時間に電車はなかったはず。一時間に一本あれば御の字で、そもそも電車ではなく汽車だ。便宜上電車と言ってはいたが。太陽の位置もおかしい。それに付随する影も。デタラメに伸びる様は手癖で描いた絵にも似て、それっぽいようで全然らしくない。とりあえず日陰に入れているのはありがたかった。
 すべてを通して嘘。たた、すべてこの光景のためにつかれた嘘であり、数珠の種類はばらばらでも通す糸に迷いはない。
「坂木は屋上好きなの?」
 隣で篠原がチョコミント味のドリンクに付属のストローを差しながら問う。当時はまだ発売されていない。限定として展開して、そこから定番になった。ずっと後のことだ。
「屋上は一度出てみたかったんだよな、俺」
「禁止されてたよね」
「なんか駄目なんだよな。駄目だけど、漫画とかドラマでは割と出てた。古いやつはまだ禁止される前に描かれたものだったのかな」
「実際どうなのかはあんまり関係ないんじゃないの。ロマンってやつ。良いシーンになる」篠原は間延びした口調でそんなふうに評する。
「でさ、現実風だけど盛ってるなって何となく感じとる時ってあるよね。屋上に限らない。漫画とか特に」
「中学生でこんなに体格いいかあ? とかな。あとなんか実際より大人っぽい。思考がしっかりしてる」
「しっかりくっきりしてる。おれはもっとふわふわしてたよ、すごい適当だった」
「自分がその年に近くなったり――あと兄弟とか、とにかく近くの現実が見えてくると、ああ、盛ってんだなって。フィクションだもんな、当たり前なんだけど」
「いや分からないよ、もしかしたら田舎のおれたちが馬鹿なだけで、そういう舞台になるような場所に住んでる人々は皆あんな風に……ないか」
「どうなんだろう、こんな話他人としたこともないし」
 夢の中で夢を語るような感覚が根の部分にずっとある。ひんやりとした違和感。それは今もそうだし、昔からずっとそうだった。
「そういうのは分かるんだ。分かるし、飲み込める。でも」
 急に何かが膨れ上がる。具体性のない何かが。
「いつからか忘れたけど、フィクションと向かい合う時に、何か別のものがふわっと見えてくるようになってきて。あれはさ……」
 風が吹いてきた。温度のない、何かを揺るがせるだけの風。開襟シャツが軽くはためき、何かがざわめき始める。
「現実との区別がつかないとかでなくて」
 空の明るさが一段落ちた。そこにない流れ雲が太陽にかかったように。翳った町の俯瞰に、様々な住宅様式が重なっては消えていく。平屋、アパート、瓦屋根、学校、大型店舗、密集、閑散――そして、農地であり、空き地であり――これはある側――無い――ある――ある、無い――
「俺が見えてくるんだ。俺の、立っている場所が」
 篠原はじっとこちらを見ている。表情はない。
「余計なことを考えてしまう話は、なんか見れなくなる。現実に近づいた分だけそうなる。きっと他人のことを見てる時もそうなんだろうな。なんでこんな、俺は俺のことばかり」
 篠原は何も答えない。言葉が形にならなくなり、沈黙だけになった後も。


 午後の授業が近づいてる。夏にしては穏やかな空として、場が収まりを見せている。
「篠原」
 立ち上がって埃を払いながら、名を呼んだ
「ありがとな。こんな、しょもない話」
「いえいえ」
 篠原は紙パックを丁寧に畳んで小型の買い物袋に投げ込んだ。ごみは全部まとめて、あとで校内のごみ箱に捨てる。
「有料になったなあ袋」
「エコは大体経費削減のためでしょ。……ずっとこんなんばっかりだな俺」
「実際はどうなんだろ」
「どうだろ。分からん。……そろそろかな」
「じゃあ、またね」
「うん、また」



  ◆◆

 坂木悠輔は仮眠から覚めた。夢を見た気がする。内容はよく覚えていない。少し気分が軽やかになっているのは感じる。睡眠は大事だと昔誰かに言われた。誰だったか。
 マンションの向かいのコンビニでチョコミントアイスを買い、袋を断ってテープが貼られるのをぼんやりと眺めながら、何かを読みたい、と思った。

AIと化し、AIと成る、成りきれぬ

 少女小説家の榊梨花が好きでした。私が知る前、ずっと前の榊梨花です。
 今は、いくら待っても新刊を出してくれない。出したら出したで文章の崩れ方がどんどんひどくなる。構成力も明らかに落ちている。元々感性の部分が大きい人なのにそこの良さが抜けてしまって拙さみたいなのが前面に出てしまっている。
 商売だから売れなくなったら出なくなる、はそれっぽいことを言ってるだけの欺瞞です。どのレーベルもずっと出す気を見せていた。下手な作家よりは行けるって思われてるし実際そうだった。皆待っていた。
 好きなものをそんなふうに言うなんてと思われるかもしれないですが、劣化は劣化です。良くも悪くも標本みたいに切り取ってそこだけ愛でることが許される、創作物ってそういうところがあります。美しい思い出だけ切り取って大事にすれば良い。でも私はそれは嫌なんです。一度嫌になったらもう遡ってすべてが嫌になる。いえ、作者の人格はどうでもいいです。そんなもの消費してもどうしようもない。文章がすべてです。そこに出る人格ならそれだけの話です。それ以上でも以下でもない。
 だから私が榊梨花になります。文章AIは踏み込みが浅すぎる。サンプル少ないにしても浅すぎる。何も分かっちゃいない。私がやります。私がなります。支離滅裂なことは分かっています。私の愛の遣り場に私自身が成ります。



 樹神アイの文章ってルーツはどこなんですかね。割と古い……ずいぶんクラシックな空気出してくるなってたまに話題になるんですけど、影響を受けた作家の話ってしてましたっけ? してませんよねやっぱり。あまり自分のこと語ってるの見たことがない。
 うーん、どうなんだろう、坂木悠輔、真凛カリン辺り? さすがに古すぎますか。……ああ、そういえば坂木先生の著作お好きでしたね、そっちの視点からだとあまり似てはいないんですか、失礼しました。
 あー、孫引きみたいな距離感と言われるとちょっと納得しちゃうかも。言われてみるとたしかに坂木フォロワーですね。名字も。
 何にせよ、遅筆は変わらないんですねえ。
 ああいう作風は書き方にもよるけどそうなりやすいから、さもありなんとは思いますけどね。坂木先生も、ほら、大分遅かったですし。



 樹神アイ好きなんだけど続きが全然出ない。
 いやいやいや、そうはならんでしょ。無いなら書けとか言われてもさあ。シリーズものいっこ追いかけてるだけ。あと読み切りにいっこ好きなのあるくらい。樹神アイじゃなくて『ips』好きって言った方が正しいね。そう、続き物なんだから自分で書けと言われてもどうにもならないの。的外れ。そもそも客に言うことか? まあ影響受けてるから文章は似てるよ、表面を撫でただけの二次創作だけど。
 うん、私、脇キャラの越水くん推しなんだけど、ちょっと最後まで生き残る気がしないってのはある。ニコイチの加賀谷が悲惨なことになったしね……ちょっと先が見えちゃったというか。逆に加賀谷推しは今「自分で描いてる」んだろうけど。
 あーそいつ、越加賀の元大手でしょ? 商業デビューでペンネーム変えてるけど。越水くんと加賀谷の二次創作みたいなもんだよ。解釈まんま。いや、実際のキャラとは全然違う、加賀谷はもっと性格きつい。きつい中に隠しきれない面倒見のよさと責任感が見えてくるキャラなんよ。越水くんももっと肩の力抜けてる。そうそう、あくまで二次の王道解釈だからかなり違う。こういうのって編集の人が指示したりするんかな。



――影響を受けた作家は?
榊梨花:坂木悠輔先生と、久利木花先生です。ペンネームもあやかってます(笑)
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