学校の屋上で昼飯を食べている。遠くに北山を臨み、間に挟まるように伸びる高架を二両編成の電車が走る音を聞いている。夏で、日差しが強く、落ちる影が心なしか濃い。
 これは嘘の記憶だと思う。屋上はずっと前からどこだって出入り禁止で施錠もされていて、努めてそれを破ったこともない。風景からすると高校。ただし実際見たことのある光景ではない。土地勘からの推測、それに間接的な他の記憶が混じっている。手元の調理パンは多分購買で買ったものだが実際は弁当が殆どだった。この時間に電車はなかったはず。一時間に一本あれば御の字で、そもそも電車ではなく汽車だ。便宜上電車と言ってはいたが。太陽の位置もおかしい。それに付随する影も。デタラメに伸びる様は手癖で描いた絵にも似て、それっぽいようで全然らしくない。とりあえず日陰に入れているのはありがたかった。
 すべてを通して嘘。たた、すべてこの光景のためにつかれた嘘であり、数珠の種類はばらばらでも通す糸に迷いはない。
「坂木は屋上好きなの?」
 隣で篠原がチョコミント味のドリンクに付属のストローを差しながら問う。当時はまだ発売されていない。限定として展開して、そこから定番になった。ずっと後のことだ。
「屋上は一度出てみたかったんだよな、俺」
「禁止されてたよね」
「なんか駄目なんだよな。駄目だけど、漫画とかドラマでは割と出てた。古いやつはまだ禁止される前に描かれたものだったのかな」
「実際どうなのかはあんまり関係ないんじゃないの。ロマンってやつ。良いシーンになる」篠原は間延びした口調でそんなふうに評する。
「でさ、現実風だけど盛ってるなって何となく感じとる時ってあるよね。屋上に限らない。漫画とか特に」
「中学生でこんなに体格いいかあ? とかな。あとなんか実際より大人っぽい。思考がしっかりしてる」
「しっかりくっきりしてる。おれはもっとふわふわしてたよ、すごい適当だった」
「自分がその年に近くなったり――あと兄弟とか、とにかく近くの現実が見えてくると、ああ、盛ってんだなって。フィクションだもんな、当たり前なんだけど」
「いや分からないよ、もしかしたら田舎のおれたちが馬鹿なだけで、そういう舞台になるような場所に住んでる人々は皆あんな風に……ないか」
「どうなんだろう、こんな話他人としたこともないし」
 夢の中で夢を語るような感覚が根の部分にずっとある。ひんやりとした違和感。それは今もそうだし、昔からずっとそうだった。
「そういうのは分かるんだ。分かるし、飲み込める。でも」
 急に何かが膨れ上がる。具体性のない何かが。
「いつからか忘れたけど、フィクションと向かい合う時に、何か別のものがふわっと見えてくるようになってきて。あれはさ……」
 風が吹いてきた。温度のない、何かを揺るがせるだけの風。開襟シャツが軽くはためき、何かがざわめき始める。
「現実との区別がつかないとかでなくて」
 空の明るさが一段落ちた。そこにない流れ雲が太陽にかかったように。翳った町の俯瞰に、様々な住宅様式が重なっては消えていく。平屋、アパート、瓦屋根、学校、大型店舗、密集、閑散――そして、農地であり、空き地であり――これはある側――無い――ある――ある、無い――
「俺が見えてくるんだ。俺の、立っている場所が」
 篠原はじっとこちらを見ている。表情はない。
「余計なことを考えてしまう話は、なんか見れなくなる。現実に近づいた分だけそうなる。きっと他人のことを見てる時もそうなんだろうな。なんでこんな、俺は俺のことばかり」
 篠原は何も答えない。言葉が形にならなくなり、沈黙だけになった後も。


 午後の授業が近づいてる。夏にしては穏やかな空として、場が収まりを見せている。
「篠原」
 立ち上がって埃を払いながら、名を呼んだ
「ありがとな。こんな、しょもない話」
「いえいえ」
 篠原は紙パックを丁寧に畳んで小型の買い物袋に投げ込んだ。ごみは全部まとめて、あとで校内のごみ箱に捨てる。
「有料になったなあ袋」
「エコは大体経費削減のためでしょ。……ずっとこんなんばっかりだな俺」
「実際はどうなんだろ」
「どうだろ。分からん。……そろそろかな」
「じゃあ、またね」
「うん、また」



  ◆◆

 坂木悠輔は仮眠から覚めた。夢を見た気がする。内容はよく覚えていない。少し気分が軽やかになっているのは感じる。睡眠は大事だと昔誰かに言われた。誰だったか。
 マンションの向かいのコンビニでチョコミントアイスを買い、袋を断ってテープが貼られるのをぼんやりと眺めながら、何かを読みたい、と思った。