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友人

退院後、友人の一人と連絡を絶つことにした。お産の直前に不快なメールをよこしたことがあった。スルーして、出産報告をした。退院した日またメールがあった。内容は息子の名前を教えてということと、彼女の知人(佑子の知らない人)をバカにした内容。その人は子どもが欲しくてお産したが、少々、育児に疲れた様子。(わかるよ、それ。)友人は愚痴られた様子をその人は理想と現実がわからない人でお産したことを後悔していると受け取った様子。
やっぱり、人の気持ちが理解できないんだなあ。と思い、その他にも色々あり、着信、受診拒否をすることにしました。

名前

息子の名前は春(仮名)に決定。いつまでも名無しじゃ可哀想なので。

病院

奈子を産んだ病院は自宅近くのO医院。佑子が十年以上かかる産婦人科でした。奈子を妊娠した時に最初に判定してもらったK産婦人科は人気があり、混むのでその後は通ってません。O医院は漢方治療をしていて、佑子の体調もよく把握していて、よい病院でした。本当は二人目もO医院でお産したかった。でも、O医院、7月に閉鎖してしまいました。理由は先生が病気になり、入院してしまったから。どうも、6月頃には先生はいなくなっていたようで、佑子がカンジタで受診した時は代理の先生がきていました。その頃、通っていた妊婦さんは、息子をお産したY病院を紹介されていたそうです。そのこともあり、私もY病院でお産。しかし、妊娠の判定がでたのが、8月。O医院に紹介状を作ってもらうことができなかった。奈子のときのお産の様子を知ってもらうことができなかった。
でも、今回のお産がきつかった最大の原因は、奈子の育休中に30キロも太ったから。そのままの状態で妊娠したから。妊娠中、体重を十三キロ減らしてお産したけど、蓄えられた脂肪で、母が食べずとも、息子、スクスクと必要以上に成長。(母子ともに死ぬ前に出てきた親孝行な息子。)奈子出産時の体重+十キロの現在。手術中、医者も「妊娠中の体重管理でこの程度で済んだ。」ってヒソヒソ話してたし。
三人目は作ることはしないけど、万が一のこと、自分の健康のため、本気で痩せようと思う。取りあえず、五キロ減らそう。

3月19日

検診で病院へ行く日の朝、本当は娘を保育園に預ける予定だった。病院へ私を送ってから、保育園に行かせる予定でした。病院へ行く途中、交通渋滞に巻き込まれ、予約時間五分前に病院に到着。(本当は十分前に受け付けする)無事に検診が受けられた。
車の中で焦る親を見ながら奈子は「保育園に行かないの。」とぐずる。
うるさいので、休むことに旦那が同意してくれた。佑子的には、その日は奈子と一緒に居たかった。なぜって、その日にお産になりそうだったから。(前日に子どもの世話ができなくなると困るから手の爪切っておこうと思ったし。)
自分がハイリスク妊婦なのはわかっていたから、万が一、自分が死ぬかもしれないと思っていたから、今日が奈子の見納めだと思った。実際、陣痛がきて、病室に入ったとき、思わず奈子の顔を見て手を握った。奈子は眠くて、モニターをつけて私が横たわるベッドに一緒に寝たいと言った。私は奈子をベッドの奥に寝かせて一緒に居たかったが、旦那が怒って奈子を寝かせるためにドライブに連れて行った。手術直前に眠った奈子を連れてきた。私は奈子をもっと抱っこしたかった。と、後悔した。無事にお産し、術後の経過を見るため、手術室に息子を看護師さんが連れてきたとき、旦那と奈子もやってきた。奈子の顔を見たとき、とてもほっとした。そのころ、麻酔も切れかけ、少しづつ足が痺れて動かせるようになったこともあるのだが。
長女は私の最初の子。息子は私の最後の子。どちらも、思い入れが強くなりそうです。

週数

37週と2日で産まれた息子。正期産に入るとすぐに生まれてきた。12日の検診で子宮が下がってきているので安静にするよう言われた。旦那に話すと「やっぱり26日まではもたないかもね。その頃には奈子の体重を超えてるだろうし。出たい時に出るんじゃない?」と言っていた。全くその通りになった。だって、陣痛がこなかったら、子宮破裂で母子ともにあの世行きだったから。
ちなみに、奈子は38週と6日で産まれた。息子は早く産まれた分、おっぱい、ミルクを飲むのがヘタだ。奈子で苦労しなかった分、ここで戦いになりそうだ。
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