スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

10/15 『恋するブロードウェイvol.5』マチネ 恵比須ガーデンホール


5回目にして初めての参加でした。
すごいですね、若手俳優の品評会だと思いました。

出演している俳優たちは、2.5界隈の人だったりそうじゃなかったり。
みんな実力がある人達だと思います。
けれど、そういった人たちが数人集まればその中でまた差があるという。

こういったコンサート的なものは初めてで、それぞれ個性があるしお祭りみたいで楽しかった半面そんなシビアな面が垣間見えました。

9割は知らない曲でしたが、どれも素晴らしくて、だからこそ個性と共に実力も明らかになる瞬間でした。
これはミューファンの人が青田買い的な感じで見に行くのもうなずけます。

一度しか観ていないのでセトリではなく個別で。
人によってはちょっぴり辛口になったりしてしまうのでお許しを。




HEROくん
→韓国の方だったんですね、知りませんでした。
日本語はカタコトでしたが、さすがグループに所属していてすでにそういったステージを経験されているだけあるという感じです。
ステージ慣れというか、こなれ感のようなものがあって見ていてハラハラしない。
フットルースの曲は本人にも合っていて可愛かったです。


森田くん
→なんというか、伊礼彼方さん的な濃さを感じるお顔立ちですね、ラテン系というか(笑)
お父様はグランテールを演じられていたとか。
若いんだけど風貌が落ち着いていて、加えて長身にハッキリした顔立ちなので遠くから見てもその容姿の良さが映えました。
海外ミューが多いので、その容姿は武器になりますね。
声が良くて歌も上手だったので、これからどんどん出てくるんだろうな。


常川くん
→常川と聞くとゼラしか思い浮かばないよ〜と思っていたら、お父様がゼラでした(笑)
あの常川さんですか…なるほど。
伸びの良い歌声とキレの良いダンスで、一曲目から目立っていました。
ミュージカルコース主席も頷けます。


三浦くん
→カワイイ!お人形みたい!何この子!!!
なんか、ヨークシャーテリアとか、マメ柴とか、そういうワンコを見ているような気分になりました。
歌は正直言って、まだまだ。テニミュでも、もっと歌える人がいるってレベル。聴いていて右から左に抜けちゃいます。
でも、さすがバレエ経験者。とにかく綺麗だし、男性でこのルックスでこれだけ踊れれば相応の需要があるだろうなと。
伸び代があるのは確実なので、色々経験して頑張ってほしい!
サウンドオブミュージックの曲に合わせて「丸いもの」を歌うゲームの時に「おおやままさしせんぱい〜」ってちゃんと先輩付けてたのが可愛かった。
「ラグビーボール〜…は、丸くないな〜」とか、なんだろう、仕草もなんだけど、あざとくなかった。
ずるいなあ〜〜その若さと可愛さを存分に利用した役に恵まれると良いと思います。


法月くん
→好きな顔から好きな声が出ているとしか言いようがない。
今回恋ブロを観に行ったのは、法月君がいたから。スレイジーで初めて知って、こんな声の綺麗な俳優さんがいたのかと!
顔立ちも声も歌い方も喋り方も雰囲気も髪型も全てがドストライクで。
選曲があまり私の好きな感じじゃなかったのがちょっと残念。そこは運ですね。
ただ、彼はどうにもこうにも、色っぽすぎると思います。
「大人は何があっても動じない」と言った真志に体当たりしてからしなしなっと倒れる姿を見て、なんだこの小悪魔はと思いました。
しなやかだな〜という雰囲気なのに、声量があって「おおお!」っとなります。声量のあるハッキリした声がとにかく好きなので、かなり好みです。
トークの部分でもしっかりしていて、ちょっとお局っぽいキャラ設定なのかな?笑
可愛かったですし、他の作品でも見たいです。



味方くん
→どうにも印象に残りづらい味方君。頑張っているのは伝わってくる。
グランドホテルの時に比べたらのびのびやっていてよかった。
あの時は隣に西川君がいて大変だったと思うけど、ここでも味方君はまだまだという印象。
1からのメンバーとのことだけど、歌はどうにも今一歩。飛びぬけてうまくもないし、音程がふらつくのが聴いていて不安になる。声量はそんなに悪くないだろうけど、そこも普通。
普通、なんだよなあ。容姿も身長等含めて平均的だし。
例えば今回のキャストで言えば、HEROくんはステージ慣れ、森田君は声質の良さと初々しさ、常川君の器用さ…などなど、新メンバーも個性豊か。
個性のある俳優たちの中で、味方君の売りは何か?彼自身がそこをはっきりさせられれば良いのではないかと思う。



矢田ちゃん
→「I'll Cover You」のイントロが流れた瞬間、体に電流が走りました。
驚いている間にもう歌が始まって、このエンジェルパートを歌っているのは誰!?と思ったら矢田ちゃんで、もう、本当に、泣きそうなくらい嬉しかった。
矢田ちゃんの声は高めで特徴的な声だと思うんですけど、エンジェルに良くハマってる!素晴らしい!!!
いつかエンジェルを矢田ちゃんor法月君でコリンズを真志に演じてほしいと願っていた私にとっては夢のような出来事でした。
どうせなら真志にコリンズパート歌ってほしかった…笑
矢田ちゃんは、基本的にダンスが苦手なんだろうなって言うのは全編通してよくわかりましたし、エンジェル役はそういう面で難しいかな。
でも、IVANという悪夢がいたじゃないですかやだーということで、全然チャンスはあると思います!!ぜひ!!!RENT大好き!!
矢田ちゃんは全体的に選曲が好みだったので、特に聴いてて楽しかったです。
キンキーブーツの歌は、公演を観ていたのもあって嬉しかったし、やっぱり名曲だったので泣いてしまいました。
本人の癖なのか小手先で誤魔化しちゃう感じもちょっとあったから、一度ゆっくり歌の勉強をできる機会があったら変わりそう。
アルジャーノンで変わってくるかな。



内藤くん
→テニミュに出演されていたこと、マリウス役が決まったことや真志と仲良しなことで名前は知っていました。
歌は初めて聴きました。
もう、もう、別格すぎてびっくりしました!!!
正直、知らない曲ばかりなのと席が遠かったので、それまでどこか聞き流す感じで聴いていました。
それが、内藤君が歌った瞬間世界が変わりました。
がらんとした舞台上に豪華なセットが現れ、そこが今まさにミュージカル上演中という空間に変わったのです。
私は、ミュージカルに限らず俳優という人は「想像力を掻き立てる人」だと思っています。
今はプロジェクションマッピングなどで背景が充実しているけれど、そんなもの実際はなくていいんです。
舞台『ウーマンインブラック』の中でも言っていましたが、音響と俳優がいれば籠だって馬になるんです。
上手い俳優は、その役のこれまでの人生を限られた出番の中で想像させる。何を考えているのか、どこにいるのか、無いものが有ることになる。
嘘が本当になる。
内藤君を見て、歌を聴いて、彼はそういう役者なんだと思いました。
動きや歌の聴かせ方がどんな曲でも「ミュージカル!」って感じで、彼はそういう世界で育ってきたんだなと。
単純に歌がうまい、というのとは違う。世界観を全身で表現する力を培ってきた人なんだな。
初めて観るミュージカルというのは基本、知らない曲を聴く。それでも、こちらがストーリーを把握しようと集中して聴いている。
コンサートとなるとただその一曲を歌うだけなのでどうしても右から左になりやすいのに、内藤君が歌っている時は観劇している時と同じように「この人物は何を考えているのかどういう人生を生きてきたのか」そんなことを考えながら聴くことができた。


真志
→ステージに出てきた瞬間、真志だってすぐわかったww
と、笑えるような話でもあるけど、それだけ容姿が目立つというのは一つの個性だし才能だなと恋ブロで改めて思いました。
歌がうまいというのはもうわかっていたことなのだけど、こんなにうまかったっけ…と、その声の広がりや響きに驚いた。
中盤に登場だったから他の人との比較、という状態に自然となってしまうのだけど、内藤君同様別格でした。
歌ってくれたのは美女と野獣より「愛せぬならば」ラカージュオフォールより「 La Cage Aux Folles
内藤君は、ミュージカル向き(井上さん系)の声質で良く通る。真志は、ハスキーで優しく甘い声。
少々通りづらいのとツンとした響きはない分、声の広がりが暖かくてまさに美女と野獣のビーストはかなりハマっていた。
曲の間に岡さんとのトークをはさみ、大河出演のことで「先生!先生!」といじられ、お付の人を三人連れてたとか、馬車で来ていたとか嘘をつかれww
岡さんがこんなに気さくな方だというのを初めて知りました(笑)
真志はでっかくてクールな表情だといかついのに、子どもみたいにコロコロ笑うのが可愛い。
緊張で身が締まる思いと言った後の沈黙に「いや、体は引き締まってないですけどww」とセルフツッコミをしたりw

軽快なトークの後、スッと二曲目に入ったのを見てその集中力にも惚れ惚れしました。
歌詞が素敵で、曲の世界観を真志がしっかり表現していた。
どちらも歌い上げ系で、まるで真志のコンサートに来たかのようでした。
その包み込むような歌声でRENTのコリンズを演じてほしいし、今のうちの若さと体格を生かしてbareのジェイソンを演じてほしいなという希望。
さすがに貫録があり、フィナーレでみんなの中心に入った時はなんだかオーラがあるなってなりました(笑)
しかし、トークの最中にも色々とあった大河出演の件には余計なことを言わないよう心掛けているのがわかって、そういうプロ意識や慎重さが素敵だと改めて実感。事務所の教育もいいんだろうな。




来年もあったら見たいな。

10/6 『幽霊』ソワレ 紀伊國屋ホール



この作品は、朝海さんが演じるアルヴィング夫人は、私自身が女であることを浮き彫りにした。

だから、込められた皮肉や滑稽さを理解してもなお、彼女に同情する気持ちを抑えることはできない。

それが本能的なことなのか『幽霊』によるものなのかは、わからない。





舞台上にはたった5人、セットは暗いお屋敷一つ。
どこかおどろおどろしいような雰囲気のそこは未亡人であるアルヴィング夫人の屋敷で、夫人と女中のレギーネが暮らしている。
そこへ、パリへ留学し絵を描くことを仕事としていた息子オスヴァルが帰ってきた。
アルヴィング夫人が建設した孤児院の財務管理を任されたマンデルス牧師、レギーネの父親である指物師のエングストランも屋敷に集う。

明日は、今は亡きアルヴィング大尉の名誉を讃える記念式典、という日。
彼はそのような式典が行われるほどの人物──というのは嘘。
正しくは、虚像である。
本来のこの男は”放蕩者”であり、世間での評判は全てアルヴィング夫人が夫に代わって行ってきた事業や取り繕ってきた体面の結果。

だからこそ夫人は知っている、世間というものが何を見ているのか。
人には何が見えているのか、何が見えていないのか。

それぞれの事情がそれぞれの視点から垣間見え紐解かれ醜態を曝け出し、物語は悲劇的な結末へと向かっていく。



オスヴァルは、安西君が今まで演じてきた役柄の中でも見目が美しいというか、装いが彼自身に似合っている。
清楚で品のある服装はより魅力的に見えるので、こういった時代の、特に外国の作品は合っていると思う。
また、口にパイプを咥え煙を吐き出しながらどこか不敵な、読めない笑みを浮かべながら登場する。
葉巻を吸い、水のようにシャンパンを飲み、女中であるレギーネに対し欲をチラつかせる。

葉巻、パイプ、酒、女!

あまりこういう役柄を演じているところを見る機会がないので、謎の感動を覚えました。新鮮で良い。

彼は、アルヴィング夫人の一人息子。
これまで女として夫や世間と戦い、またオスヴァルの為に母としても戦ってきた夫人にとっての最愛の息子だ。
幼い頃から母親の都合で留学し、現在はパリで絵描きたちと交流しながら絵を描いていた。
一年のほとんどが雨か雪の薄暗い生まれ故郷と違い明るく華やかなパリは、オスヴァルに希望を与えた。
しかし、彼は病気を患って戻ってくる。
その”病気”がなんなのかはいまいち濁されたまま物語は進む。
今年はリヴァ・るを観劇していたこともありどうにもゴッホの姿を思い浮かべてしまった。精神的なものなのか?と。

そんなオスヴァルを、真面目なマンデルス牧師はあまりよく思わない。
そこで、アルヴィング夫人はマンデルスに夫について隠してきた一切を話す。
夫が、世間の評判とは全く違う”放蕩者”のままであったことを。
夫人はかつて、”ふしだら”が家の中で起きたことさえもすっかり打ち明ける。
夫と女中ヨハンナの情事の声を聴いたことを。温室に隠れた二人の声が今でも耳から離れないのだと。

その時、オスヴァルと女中レギーネの声が食堂から聞こえてくる。
「オスヴァル様!いけません!放してください!」

夫人は叫ぶ。
「幽霊ですわ!温室のあの二人が、また現れたんですわ!」

アルヴィング夫人は語る。
私たちに取りついている、父や母からの遺伝、古い思想、信仰…。
それらが、この作品における幽霊の姿だと。


物語は進み、オスヴァルがレギーネを妻にしたいと打ち明ける。彼女には生きる希望があるのだと。
しかし、夫人にはそれを喜べるはずがない。レギーネこそ、夫と女中ヨハンナが浮気してできた子どもであったから。
それを知ると、さっきまで戸惑いつつも可愛らしさのあったレギーネが手の平を返したように態度が変え、怒って屋敷を出て行った。

オスヴァルは絶望する。
その絶望の理由がなかなかハッキリしないまま交わされる台詞。
それらを緊張しながら一字一句聞き逃すまいとしている時には、序盤に少し退屈だなと感じていたことなんて忘れていた。

息を飲み見守る中、こちらの心さえ絶望に落とす展開へ。

とうとうオスヴァルは、自分が先天性の梅毒─父親からの遺伝─であり、すでに発作も経験していると告げる。
そして、レギーネにこだわっていた理由こそ、次に発作が起きた時にはモルヒネを使って自分を殺して欲しかったからだった。薄情な彼女なら、病気によって幼児のようになっていく自分を面倒見ることに嫌気がさして絶対にそうしてくれるだろうと。
事実、レギーネはオスヴァルの病気のこと、お互いの関係のことを知ってあっさりとオスヴァルを見捨てている。
近しいもので薄情なレギーネがいない今、母さんがそれをするのだと。
「助けてあげます」そう、答えるしかないアルヴィング夫人。

そして──ソファに座るオスヴァル。
太陽、太陽。見上げて、ただただ呟くばかりの息子に「──たまらない!」夫人はモルヒネを手にする。
一瞬思い留まり夫人が天を仰ぐと、暗く雨が降り続いていた空に太陽が現れ、全てを白日の下に曝け出した。


***


これまで戦い続けてきた彼女を、追い詰めるような仕打ち。
なんてことだろう。彼女は何を思ったのだろう。

観終えてすぐ、どうして、とやりきれない苦しさに苛まれました。

しかし、アルヴィング夫人があまりにも自己中心的な考え方の持ち主であることにも気付いてしまう。
父親の正体を隠すことも、息子をパリへやったのも息子のためと言いながら自分のためだ。
夫から息子を遠ざける=自分の理想通りにする。
それなのに、息子に親子関係を求める。母親として愛されたい、息子を愛しながら自分を愛している身勝手な女。

その夫人と親子であるオスヴァルも漏れなく自己中心的な男。
レギーネのことを薄情だなんて言うけれど、肉欲的関心から近付き勝手に生きる希望を見出しレギーネの意見さえ聞かずに妻にしたいなんて言い出す。
最後には自分を産んだ母親に、自分を愛している母親に、自分を殺せと言う。

なんて親子だ!!

と、改めて考えれば思えてしまう(むしろそれでいいのかもしれない)内容でした。


けれど、私にはそう見えなかった。物語自体の本質とは別のところで。
それは、朝海ひかるさんと安西君が演じたからなのだと思う。

先ほどあげた「自己中心的な考え方」はアルヴィング夫人とオスヴァルの共通点で、親子であることを実感させる。
それとは別に、朝海さんと安西君の共通点がある。
「下品さが一切ない」こと。


朝海さんを見たのはエリザベート以来で、戦う女性としても母としてもどこかシシィを思い出さずにはいられない。
実際、時代も同じ頃ということで彼女らの抱える問題は同じで、精神の自由を求める点も似ていると思う。
ルドルフ好きの私からすれば、シシィは信用ならないので(笑)朝海ひかるさんが母親役?大丈夫なの?なんて思っていましたが、杞憂でした。

朝海さん演じるアルヴィング夫人は、一度は逃げ出しながらも、ずっとずっと、誰にも本当のことを悟られることなく戦い続けてきた女性であり、それでいて息子のことも大切に思っている人でした。
凛とした佇まい、スッと伸びた背筋。小さくて綺麗な顔はキリッとした表情で、それでいて漂う「ことなかれ主義」の憂いと諦め。
とにかく始終美しかったです。

そして、安西君もまた、とても美しかった。
というか、前から絶対に宝塚出身女優さんとの相性が良いと思っていました。
(それに、るひまのブックレットやパンフとかで和装やら応援団やら着ているのを見るとこれは宝塚おとめだっけ?となることがある)
単に顔立ちの雰囲気からそう思っていた(音月桂さんに似ていると思うこともある)のだけど、生々しくも品や清潔感を失わないお芝居の感じが近いのかもしれません。
ノーブルな服装は似合うし、多少品が無さそうに見えることをしても下品にはならない。
でも、口許に手をやって「栓を抜いてやるかな…」と言ったところなんかは妙な色気があって良かった。

ともすれば、オスヴァルは母親に親子以上の感情を抱いているのではないかと疑いながら観てしまいました。
「僕のためならどんなことでもしてみせるって?僕が頼めば?」
切羽詰まりながらのこの台詞を聞いて、放蕩者の息子で、レギーネにできて母親にできないこと、という連想から肉欲的な方向に考えて邪推してしまった私を許してくださいね。
しかし、近親相姦的な関係に見えてさえ不快にならない程の二人の美しさ。生々しくないいやらしさというか。
手を取る、抱きしめる、前髪をはらう、見つめ合う。ひとつひとつが画になりました。


しかし、見目麗しい親子を待っているのは悲劇でした。
そして、その悲劇が彼らの本性を暴いていく。


まず、孤児院が焼けてしまったこと。
そうしてより一層浮き彫りになった、エングストランやマンデルス牧師の人間性。
もう、マンデルス牧師に関しては苦笑せざるを得ないというか、愚直というか、保守的な人なのでしょう。
エングストランには、もう最初から最後まで不快さしかありません。演じている吉原さんは、グランドホテルでも女性に対し酷い役柄だったので本気で怖かった。なので、アフタートークで見せた明るく気さくな雰囲気にはホッとしました(笑)

そして、オスヴァルが実の妹であるレギーネに恋をしていたこと。
オスヴァルが感じていた通りレギーネは薄情だったので、控えめで奥様の言うことには逆らわない女中から豹変してさっさと親子に見切りをつけて出て行きました。
葉巻、酒、女!に続いて近親相姦まで網羅するオスヴァル凄いです。
安西君は苦悩する青年役というジャンルだけでどれだけ枝分かれして演じていくのでしょうか(笑)


極めつけは、オスヴァルを蝕む病。
夫人が恐れていたことは、最悪の形で姿を現してしまった。

あのような男が父親だと思わせたくない、よくない家庭の空気の中に息子を置きたくない。
息子から父親の幽霊を遠ざけようとして戦ってきたというのに。
とうのオスヴァルには、亡き父親の幽霊が遺伝性の病気という形で取り憑いていたのだから。

だからこそ彼は、レギーネを求めた。生きる希望、つまり絶望しないために。
しかし、夫人はオスヴァルからレギーネという「救い」を取り上げてしまった。
エリザベートで例えれば、ルドルフにとってのトートがオスヴァルにとってのレギーネ。
先天性の梅毒であることや発作の症状などからこれ以上の悲劇が起きないように、オスヴァルはレギーネに救い=破滅を求めた。けれど、アルヴィング夫人がそれを阻止してしまった。
結局はそれがアルヴィング夫人にとって最大の悲劇となり、守り抜いてきた全てが崩壊へと向かう。


「産んでくれと頼んだ覚えはありませんよ」
「あなたがくれたのはどんな命です?こんなものは欲しくない!」


この辺りの台詞は、思い出しても辛い。
私は独身で子どももいないので本当の意味でアルヴィング夫人の気持ちを理解することはできないかもしれないけれど、実の息子に、大切な一人息子に“生きる希望”を見出してきた彼女が、どんな思いだったか。

私は、アルヴィング夫人に対し同情しすぎなのかもしれない。
岩波文庫から出ている本も読みましたし、おそらくはもっともっとドロドロとした生々しさが渦巻いた作品として取れるのだと思う。直接的ではないけれど、裏にあるのはそれというか。
“放蕩者”と表すのが古い演劇ならではで私はとても好きだけれど、鵜山さんの言葉を借りて”スッキリ”した物言いをすればアルヴィングという男は浮気性のヤリチンの性病持ちで、その結果がレギーネという私生児で、レギーネに対し父親はなんだかいやらしい感じだし、彼女にオスヴァルが性的関心を抱けば異母兄妹であるし、本人は虫喰い─遺伝性の梅毒に罹っている。

性が乱れている!!

だから本当はもっと、肉欲の匂いや性のどうしようもなさを強く感じてもよかったのかもしれない。
けれど、私には女性として精一杯戦ってきた彼女を抱き締めたいとさえ思う。女として。
こういう見え方も有りなのではないだろうか。
朝海さんが演じた意味がそこにある。役者本人の色が透けて見えてくるのも演劇の楽しみ方だと思う。
観客として、女として、娘として、人間として。
この作品はあまりにも考えることが多すぎるし、立場によって見えてくるものが違いすぎる。

そうして考えていく中で気付くのは、私もまさに幽霊に囚われているうちの一人であるということ。
そして自分もまた、誰かにとっては幽霊であること。

誰しも一人で生まれ一人で生きることはできず、父親と母親がいて、血を受け継ぎ生まれてくる。
人と関わり、影響を受けながら育っていく。
その”影響”そのものが幽霊。

この作品では、幽霊はあまりよくない方向に作用しているけれど、私は“愛情”だって幽霊だと思うんです。
血であったり、愛情であったり、思想であったり、性と世間とのしがらみであったり。
憎いものであったり、時に愛おしいものであったり。
人が生きる上で常にまとわりつき、切り離せないもの。ずっとずっと昔から。人類の営みそのもの。
それが幽霊の正体なのだと。

時代背景や、女性という性の歴史、ものの見え方、色々なことを考えることのできる素敵な作品でした。



嘘で塗り固め武装し戦い抜いてきた彼女が全てをかけて守ろうとしたものが、自分の手によって消え去ろうとしている。今、まさに選択を迫られている。
太陽が顔を出し陰鬱としていた屋敷に、光が射す。

「それにみんな、私たち、光をひどく怖がっていますものね」

白日のもと真実を全て曝け出させるその容赦ない残酷さが、彼女自身の愚かさや滑稽さごとを明るみに出してしまう。

「太陽…太陽…」

オスヴァルが求めた生きる希望、抑圧からの解放の象徴である太陽。しかし、それはアルヴィング夫人に何の救いももたらさない。彼女だけが救われることを許さない。
あの、空を見上げた彼女の姿を、全てが崩れ去った瞬間を、私は忘れられそうにない。

おたんじょうび

今年も無事に誕生日を迎えて、年を取りました。


日付変わった瞬間に涙さんにお電話もらうのももう何回目だろう。うれしい(^−^)☆

そして、そろそろ本当に、年齢を聞かれたくない感じになってきた(笑)

最近はブログも舞台とかの感想ばっかりになっていて、ただの感想まとめブログです。
普段のことは、まあ大して変わり映えしないからいいんですけど。

ただ、慌ただしかったり余裕がなかったりしても、舞台の感想をまとめるのはやめたくない。

特に最近はツイッターで演劇用アカウントを改めて作り直してプライベッターに感想を上げたりしているんですけど、そのために『人に読んでもらう感想』を意識している。

そうすると、ただただ自分が感じたことを書いている時よりもその舞台を観て自分が何を感じたか、そしてどんな舞台だったかの理解度がより高まる(気がしている)。

理解をするということは自分のものになるということで、理解するための過程も含めて自分の知識になっていくのを感じる。

難解な舞台を観ると、単純に「すごかった」「面白かった」「難しかった」という感想は出てくるけれど、良い芝居ならそれ以外のカタルシスが必ずある。
その時に、そのカタルシスに至った過程を自分なりに分析して、言葉にして、文章にする。

それをやると、その舞台がどんな内容でどんな部分を自分が良いと感じたのかがわかる。
人に説明できる。
人に説明することで、再度確認できる。

自分の好みを把握することも、大事だと思う。
自分が何を良いと感じるのか、何を好ましいと思うのか。

好きだと思ったものは本当に大好きなので、戯曲本にしても小説にしても読んでみて、もっともっと理解したい。知りたい。

そうやって自分の中に入ってくると、ブログを観なくったって何を観劇したか覚えているし、人との会話にも繋がる。行動もアクティブになる。
この前観劇した『幽霊』の原作である小説が岩波文庫から出ているけれど、廃盤だったので中古でしか手に入らない。
近くの古本屋にはなく困っていたら、神保町にある古書店街について会社の人に聞いたことがあったのを思い出した。

行ってみると、びっくりするほどの古書店の並び。それも、いわゆるブックオフなんかとは全く違う。
小さめのお店の中にひしめく本、本、本。
個人経営のお店がほとんどで、それぞれに得意としているジャンルがある。

浮世絵だったり、日本文学、海外文学、台本や戯曲本専門店なんかもありました。

本を多く読むわけではないけど、本屋や図書館が好きな私にはもう、宝の山でした。
特に、岩波、ちくまあたりの作品が並んでいるところはその背表紙だけで幸せ。

1時間ほど回ってようやく目当ての本は見つかりました。ほんっとになかなかなくて困った。
目立たないところにある本屋で見つけたので、もしかしたら私のように探しに来た人がいて売れてしまったのかも。

なかなか行く機会のなかった神保町の古書店街に足を踏み入れるきっかけになりました。楽しい。
教えてくれた人とも、行ってみましたと話すきっかけに。

『幽霊』は、主演の朝海ひかるさんが素敵すぎて知りたくて、欲しいDVDがあるけれど廃盤。
がっかりしたことをツイッターで呟けば、ここで買えますよと教えてくれる親切な宝塚ファンの方。

発信することって、大事ですね。



舞台関連以外のことだと、最近神崎恵さんの本を読んだりしてる。

こういうのは合う合わないだと思うんだけど、合う人のを読むと楽しい。
全部取り入れる必要はなくてその中のいくつかが、自分の生活や、こだわりのひとつになるものがあったりする。

フランス人は服を〜の本や、こんまりさんの教えも私はグッと来たところを取り入れている。

神崎恵さんの本も、こんなん貧乏人にできるか〜〜〜い!!なところもいっぱいあるので、自分でもできると思った事だけ。
メイクに関してのこととか、技術以外の部分で、なるほどな〜と思ったりする。
基本的に前向きな考え方の人なので、読んでいて楽しい。

あと、化粧水、乳液をセラミド重視のものにかえてから調子が良くて、週1で必要だったパックが緊急時のみだけでよくなった。
風や指が当たるのが怖かった頬の辺りが少しずつ強くなってきた…、冬になる前にいいものを見つけられてよかった。
洗顔石鹸もセラミド系を使用してたけど高すぎて続かないのでwオイル系のものをいろいろお試し中。
こういう試行錯誤が楽しい。

リップも新たにYSLのを買ってみたら、すっごくよくてハマり中。
リップはお気に入りを三本くらい持ってるとローテがきくし、使い分けできるし、いい。
口紅好きすぎてもっと持っちゃってるけど…本当は三本もあればいいと思う。笑

ついでにネイルもYSLで。
気分が上がるもので、これ!っていうのが一本あればいい。

シャドウ、リップ、チークは、服装やシーンで変えるのが楽しい。
あーーーーそういうのがとっても楽しい。使う場面はあんまりないけど。

この前、宝塚ファンの方の装いがあまりにも綺麗で仕事帰りのみすぼらしい自分が悲しくなって服を買った。
舞台を観に行くっていうのは特別なことだし、いつまでも特別なことにしていたいから、オシャレでなくていい、小綺麗にして行こう!!!と改めて思った。


年相応に小奇麗に、そしていろんなことを知っていきたい。

それが今年の目標です。



9/18 「英雄の運命」よみうり大手町ホール



ベートーヴェンは、天才でありながら私たちと同じ人間であった。

私たちと同じ人間でありながら、無二の英雄であった。

この「英雄の運命」を観て、私はそう感じました。



英雄シリーズは最近知って、英雄のうたのみ観ています。
脚本が秀逸で、笑えたりちょっと苛立ったり、少し悲しくなったり、けれど最後はあたたかい。
英雄のうたはそんなお話でしたし、役者もみんな素晴らしい。


だから、期待していました。
もちろん、期待どおりでした。
期待通りどころか、ボロボロ泣けてしまってハンカチを用意しておいてよかったと思うほど(笑)


私は、今回の題材となった「ベートーヴェン」という人がどんな人なのか全く知りません。
耳が聴こえない、運命や歓喜の歌を作曲した人というくらいしか。

ただ、ついこの前「喜びの歌」を観劇し、それに伴って「時計仕掛けのオレンジ」を観たことはとてもタイムリーな出来事。
今、観るべくして観たと言うような感じがします。



ベートーヴェンという人が亡くなり、彼についての伝記を秘書のシンドラーが書くもののなぜか嘘ばかり!?というところから始まるお話。

ベートーヴェンは幽霊になっているし、デブ設定になっているし、秘書のシンドラーはオネエだし、弟子のツェルニー(回想では10歳)をこばかつさんが演じるし、シューベルトまで幽霊になるし、甥カールは酔っ払って銃をぶっぱなすし…!?
もう、とんでもないお芝居です!!
私はどこまでが史実かわからないので、きっとこれは史実を知っていたらもっと笑えたのかもしれないと思います。
でも、もちろんわからない人のためにしっかりと説明的な部分もあるので大丈夫。


オネエをカミングアウトしたシンドラーは、ベートーヴェンをあまり好いていない様子…伝記に書くことは嘘ばかり!
マエストロ(ベートーヴェン)が「耳が聴こえていたことにしてほしい」と言ったことだけが本当。
シンドラーはベートーヴェンに弟子入りを志願していたが、ベートーヴェンが嘆願書を書かなかったことにより戦地へ赴きピアノを弾けない手になってしまう。

弟子であるツェルニーは、ベートーヴェンをあまり好いていない様子…あからさまにデブに描かれた肖像画を見てそっくりだと呟く!
出会った直後に尿入りバケツの処理をさせられたり、恋人といちゃつくための曲を弾かされたり散々で、先生(ベートーヴェン)亡き後は音楽を続ける気もないようだ。
けれど、シンドラーが嘘を書くことだけは許せない。

甥であるカールは、ベートーヴェンをあまり好いていない様子…養子になっているのにあくまで甥だと強調するほど!
耳が肥えている、良い音楽を聴き分ける才能があるからこそ、自身の音楽の才能の無さを感じている。
ベートーヴェンからカールへの厳しい指導が行き過ぎ、カールはピストル自殺を図り一命を取り留めるという事件さえあった。
更には、音楽家にはならないという反発心から軍人になっている。

作曲家であるシューベルトは、ベートーヴェンが大好きでとても尊敬している様子。
彼はベートーヴェンの葬式に参加し、面識もないにも関わらず友人を名乗っていた、それほど好きらしい。
彼が弾いた「ます」をベートーヴェンは「後世に残らず誰も弾いたりしない曲」だと言った。


なぜ、ベートーヴェンは「耳が聴こえていたことにしてほしい」と言ったのか。
なぜ、シンドラーは嘘ばかり書いたのか。


笑いが絶えない芝居の中で、少しずつそれが見えていく。


シンドラーは「この嘘ばかりの伝記を出さないでほしかったら、音楽を続けなさい」とツェルニーに言った。
ベートーヴェンはツェルニーに音楽を辞めてほしくなかった。
けれど、そんなことを素直には言えない人だった。


ベートーヴェンは語る、ベートーヴェンは「天才」で「完璧」でなければならなかった。
自分を厳しく指導していた亡き父、彼を越えたかった、越えなければならないと思っていたから。


ツェルニーも、カールも、気付く。
自分達が音楽を続けられないと思ったのは「ベートーヴェンという天才を越えられない」と思ったから。越えたいと思っていたからなのだと。

シューベルト(この時点ではすでにますに当たって死んで幽霊に)は、ベートーヴェンを越えるなんてできない、尊敬していると言っていた。
けれど、そんな彼は後の世にも語り継がれる音楽家である。とんでもない皮肉だ。

カールはなぜ軍人になったのか。
それは、自分もナポレオンのようになれば「英雄」のように自分にも曲を書いてもらえると思ったから。
シンドラーはそれに対し、あなたの曲はもうあると言った。
カールが自殺を図った後、一命を取り留めたと聞いて作った曲こそが「歓喜の歌」なのだと。カールが生きていた喜びを曲にしたのだと。
なんて不器用な人なのか、ベートーヴェンとは。
言葉にさえすれば誤解などなかったのに。なにひとつ素直に言葉にしないまま、曲だけを残してこの世を去ってしまったのだ。


シンドラーはなぜ、手に傷を負ったのか。
ベートーヴェンが嘆願書を書いていないというのは嘘だ。
彼は書いていた、けれどシンドラーは提出しなかった。

貴族の為の曲など作らない彼が、「嘆願書」などという媚び諂うものを書くなどあってはいけなかったのだ。
ベートーヴェンがそんなことをするなど、シンドラーが許せなかった。
なんて不器用な人たちなのか、ベートーヴェンの周りは。



「あなたの曲を聴いているときは、誰もあなたが耳が聞こえないなんて思わない」


シンドラーはそう言った。


彼は紛れもなく天才であり、不器用な一人の人間であり、だからこそ愛すべき英雄なのだ。



コメディでありながら主軸はしっかりとしていて、謎が解かれればそこにあるのは愛情で。
そのあたたかさに涙が出ました。
後に、史実を調べていくと脚色が凄かったんだなと思ったりしたけれど(笑)
モーツァルトのミュージカルだって凄いことになってるじゃん!おっけーおっけー!
舞台セットも素敵だったし、劇場も良かったし、全てにおいて大満足でした。




ベートーヴェン@真志
→不器用な人やらせたら最高だな!!
真志本人が明るくて子どもみたいなコロコロっとした笑顔が魅力的だからそういう役も似合うんだけど、眉間に皺寄せて気難しそうにしているけれど根は情が深い人!な役が本当に似合う。
納祭の時は主役だけどソロがあんまりなかったからがっつり歌が聴けてよかった。
「ます」になった部分は、アレか!と思えて面白かったw
今日の5分という名のアフタートークになると一気にいつもの真志に戻って弟してるところが最高に可愛い。
ただ!裸が!きたない!!笑


シンドラー@鎌苅けんけん
→けんけんの白塗り(笑)フリーザに続いてオネエザ(笑)
いやでもシンドラーの役よかった。けんけんのお芝居ってテニミュ、エアギアしか見たことがなかったところに英雄のうたを観てびっくりした。
本質がどこにあるのかよくわからない人、食えない人、見えない人、つかめない人。そんなお芝居が上手。
うたでは死神、そして運命では霊感の強いオネエ。癖の強いキャラクターなのに、芯はしっかりあるから嘘くさくならない。
シンドラーがなぜ嘆願書をマエストロから貰ってないと嘘をついたのか、の部分なんて本当によかった。
ベートーヴェンの幽霊が見えないふりしていたりとか。みんなよりも一枚も二枚も上手。
そして、アフタートークでももちろん面白いのが素晴らしい。


ツェルニー@こばかつさん
→10歳のこばかつさん(笑)回想シーン(笑)去れい!(笑)
こばかつさんのお芝居本当に好きなんだけど、今回は役どころも含めて最高だったなあ。
こばかつさんにこういう役を演じさせると面白い、をるひま側がよ〜〜〜〜〜く理解してる感じ。まんまと嵌っている。
そしてスタイルが良い。衣装が似合ってるか似合ってないかで言うとあんまり似合ってないんだけどw脚の長さでチャラ。
ツェルニーのある程度常識人(嘘ばかりの伝記を止めようとする、シューベルトを追い出そうとする、カールに酒は飲ませない)な行動のおかげで見やすいお芝居だったと思うし、こばかつさんに合ってる。

カール@八神蓮
→王子を生で見たのが初めてなんですけど本当に本当にかっこいいなあ〜と思いました。
というか、私の好きな系統の顔なんだろうな…笑
あの10年くらい変わってなさそうな髪型(堂本光一か!)も好きだな。
カールはクールな役柄だったのでパーソナルイメージ的に合っているなと。
でも、カールが酔って自殺しようとしたあたりなんかの陽気でふにゃふにゃな部分は、あっ王子だ(笑)ってなりましたw
もう少し通りやすい声だと良いのに〜。

シューベルト@林さん
→るひまでの林さんの立ち位置がよくわかる(笑)
ちょっっっとズレてんだよなあ〜〜〜っていう。もう、ちょっと黙っててくれる?みたいなw
でも、そういう人が演じるからこその役というか、英雄のうたの時もそうだけどこの役柄に救われる。
主人公が毒気を抜かれてポロッと本音をこぼす。
あたたかくて柔らかいクッションのようなポジション。


前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2016年10月 >>
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
アーカイブ