種族感

夫にのみ気を許しているの顔の種類が似てるからというのあるので顔の種類が似てる地域に移住したらあっさり社交的に転じる可能性がある

チェケラッチョ君

マツコ会議で「汚部屋ってHIPHOP」「そこから生まれるものが…」みたいな事をマツコが冗談めかしに言っていたのですが、RHYMESTERの「WELCOME 2 MY ROOM」という傑作がもうあります
HIPHOP界隈が揉めてる時、茶化された時、いつだってMummyーDが放った「どんだけ俺が頑張っても(世間の印象は)チェケラッチョ」という悲哀混じりの一言を思い出してはそうじゃない側面を愛する一人でいたいなぁと思います

家に居てまで他人と喋りたくない

この前タイムリーにCreepy Nutsがラジオから流れて、「嫌いじゃないんだけど頑張り過ぎてて疲れちゃうから、一曲を短くしたりしてほしいんだよね」「人間満たされない物事にこそ惹かれるらしいし」という話を夫にした
「ろくすっぽ連絡寄越さないような人間を好きになったりするでしょ」と続けたが、夫も私もそのタイプの人間で、とにかく面倒くさがってしまうのだ
疲れなくて済む予防策として「ろくすっぽ連絡寄越さないタイプです」と相手に了承を得てから連絡先を教えるのですが、まぁ皆許してくれない
苦労しながら返答していると「何だかんだ私にはちゃんと返事くれるよね〜」などと関係性の特別さと見なしてくる人も出る始末で、そうなると本当に嫌になってしまうので無職になって以降はもうほぼ誰とも連絡を取っていません

テレビ的なテレビ批判だった

HIPHOPなんてものは好きにやって稼ぎたいだけ稼いで各々やってけば良いんじゃないですかね、日本で追求出来るリアルってのは多分そこなのでと思ってるので今燃えてるマツコ会議のCreepy Nuts回を観てもポカンとしちゃった
DJ松永の発言にあったフリースタイルダンジョン椿vs呂布カルマ回も燃やしたって意味無くて、覚悟を持ってその場に挑んだ椿さんを正しく評価する事でしか彼女の望む革命は起きないんですよね
一人の人間が愛を持って変えたいと言った場所そのものごと他人が潰している構図になってしまっている
何で私が日本語ラップを好んでいるかと言うと、全く共感しなくて済むから、プレイヤー側がやりたいように自分で居てくれるのでその中で好ましい人間を見付けられるからなんですが、近年恐れていた「共感」の概念が日本語ラップにも押し寄せていて辟易しています
目を逸らしていましたが、遂にマツコが「共感」という言葉を突き付けて、DJ松永が「嬉しい」と泣いて、「あー」と思った
自分の愛し方にそぐわないから間違っているなんて事は当たり前に無いので、認めるより仕方がない
今回の放送を受けて怒っている人間の文章を幾つか読みましたが「そもそもCreepy NutsはJーPOP!HIPHOP面しないでほしい!」みたいなまだそんな事を繰り返してるのかよとしか言えないものも目についてウンザリです、亡者過ぎるだろ、いい加減成仏しましょう
私は元々共感というものに重きを置く性質では無いのですが、こんなに取り巻く全てに何言ってんのか全く分からんとなる案件も珍しいですね
Creepy Nutsの楽曲については頑張り過ぎてる印象で疲れるので好きになり切らないのですが、今回のDJ松永に対しても大体同じような感想です
力を抜いてほしいが、それは只の私の願望なので好きにやっていってほしい
終始雰囲気を窺っていた様子のRー指定が本当はあの場で何を思っていたのか?というのは少し興味があります
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