死刑囚との獄中結婚

「あの世で子どもをしばいてやる」出刃包丁で児童8人を次々と殺害…死刑が確定した“夫”と30代女性が獄中結婚した理由 | 文春オンライン bunshun.jp

読んだところで宅間守との獄中結婚を決めた女性の気持ちは露ほども分からなかったが、彼女にとっての愛の発露の仕方がたまたまそれだったんだろうなということだけは思う
実際宅間守にも妻という存在の為下げる頭があったのか…と、これを読むだけで元死刑囚の残された人間性にすがろうとする感想は芽生えるし、それを自らに内在する愛だと捉える人が居たとしても、何らおかしな事ではない
三度の結婚破綻を繰り返して尚妻帯者として死にたいと願ったあたり、人一倍世間体や「普通の幸せ」への渇望があったのではないかと窺わせる
たまたま最悪の形で発露してしまうタイプだったのかも知れないですね
記事中、「(アクリル板越しの)いつわりの絆ですよね」と述べた長谷川氏のような冷静さが身の内や周囲に必要な人間は多い

ファン抱きそうさ

これも以前にも書いたような気がするんだけど、有名人が実際ファン抱いちゃうとバッシングされるんだけど、ファン抱かなそうな人ってちょっとやそっとの才能じゃ売れないんですよね
人間は寂しがりだから
人気商売は大変よ

心の鹿威し

親と言えばうちの母親は他人の心の機微に疎いくせになんでドラマやアニメを見てはすぐにメソメソ泣くんじゃ?と子どもの頃は訝しんでいたんだが、いざ自分が大人になったら同じように泣くね
猫とあひる、犬と亀が種族を越えた友情を…みたいな記事や動画には「人間は同種族間で争ってばかりなのに偉すぎる…」と泣くし、クソみたいな感動系フィクションを見れば「クソみたいだな…」と思いながらも体は勝手に涙を落とす
別に何にもない日でもふ、と涙が滲む
以前にも書いた記憶があるが、世間が言う丸くなったとか感受性がどうとかでは無く、単純な容量オーバーなんだと思う
意識可能な心身の状態とは別に、元々備わっている思い出や感傷の受け皿がもう一杯で新しいもんが入れば自動で溢れるというだけのものなんだなとなってみたら実感した
25歳越えたあたりでもう怪しかったから、私の受け皿はお猪口サイズだったんだろう

老親こそiPhone持たせた方が良いのでは?という話

遠隔の人間にAndroidのらくらく系スマホの操作というニッチ過ぎるものを教えられる知識人はまず存在しないので、デジタルデバイス弱者である親を持つ人は押しきってでもiPhone持たせないと苦労すると思う
今のところiPhoneのシェア率を考えれば最悪道行く人にも操作を教えて貰う事が可能であるし、離れて暮らす自分がAndroid使いであっても検索すれば情報は多い
二台持ちにするにしても、その為だけにらくらく系スマホを契約するのは辛い
同居の場合でも、まず自分がらくらく系スマホの操作を理解してからまたそれを親へ教えるという二段階が必要になるので労力が大きい
後から泣きを見るよりも泣き落としてでも親にはiPhoneか、自分と同機種を持たせる方が良いと私は思う
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