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エヴァンゲリオン新劇場版Q感想


※またしてもネタバレに配慮していないです。そして独断と偏見によりカヲル君とシンジ君はホモで両想いという結論に達しています。あらすじにもやんわり触れていますが、かなり主観に寄っています



ぽかんとなった。
先日の金曜ロードショーで流された6分38秒も含めて、冒頭からいきなりポカン、だった。
今までの「エヴァンゲリオン」の物語には一切出てこなかった新しい「エヴァの辿る世界」がそこにはあった。
映画の冒頭、ミサトさんが激しい声で指示を飛ばす中、アスカとマリは共同で何か黒い物体を強奪する作戦を行っている。
いきなりアスカとマリの共闘!と胸が熱くなりはもちろんしたのだけど、「???」という気持ちのほうが強かった気がする。一体いつからアスカとマリは仲間になったの?
なんで?どうして?何が起こった?
Qを見ていて、これは冒頭から最後のシーン、恒例の予告に至るまでずっと感じていたことだ。
いろんなひとの感想を見てみても、みんな口を揃えてそう言っていたので、これは今回のQを見て皆が感じたことのようだ。とにかく今まで一度も説明されていない新しい要素が次々と矢継ぎ早に映像の中で描かれるので、それを自分の中で想像し、つじつまを合わせて理解しようとする作業を自分の頭を常にフル回転させてやっていた気がする。ただ画面を見て台詞を聞いていれば楽しめた「破」とはそこがまったく異なるものだった。
この感覚を旧劇場版2作品を見たときの感覚になぞらえて語る方も多いが、リアルタイムでエヴァンゲリオンを追っかけているファンにはよくわかる比喩だろう。
とにかく、首を傾げることばかりなのだ。説明されないことがものすごく多い。でも、それは当然なのかもしれない。主人公のシンジくんがわたしたちと同じ「何が起こっているのかわからない」状態なのだ。

冒頭、アスカとマリが強奪した「黒いもの」の中から助け出されたシンジくんはミサトさんやリツコさん、ネルフでミサトさんに従っていたスタッフたち(マヤちゃんとか日向さんとか)が新たに作った「ヴィラ」
という反ネルフの組織の船・ヴンダー(海空両用のスーパー戦艦。コアは初号機のものが使われているらしく、ATフィールドの発生も可能。この船で使徒をやっつけることができるくらい強い。よくわからんが初号機がトランスフォーマーみたいに変形しているとわたしは解釈して見た。でもトランスフォーマーのように初号機の姿には戻れないのかもしれない。わからん)に乗せられ、ミサトさんの命令によって首に自爆装置つきのチョーカー(DSSチョーカーという名前)をつけられる。
ミサトさんたちとしてはシンジくんはエヴァのパイロットとしてはもう必要ないけど、「目を離すとフォースインパクトのトリガー(原因)になる可能性がある」ということで監視下にはおきたいと考えている模様。そこでシンジくんは自分の覚えている「レイを助けようとしたあの日(破のラスト)からなんと14年もの時間が経過していたことを知る。14年てシンジくん人生の長さと同じ時間寝てたんかい。
アスカやマリなどエヴァのパイロットたちは「エヴァの呪縛」なる不思議現象により年をとっておりませんが(ちなみにアスカの眼帯についての説明は「あんたには関係ない」と拒絶され、Qでは解明なし)、一応ミサトさんやリツコさんには経年経過が感じられるので(髪型変わったくらいのマイナーチェンジに見えるのでわかりにくいけど)「まじで14年経ったのか」という感じ。やっぱり混乱しますね。
いろいろ状況説明がないままシンジくんは「あなたはもう何もしないで」とミサトに冷たく言われ、ヴンダーの中で飼い殺し状態に。
「なんでだよ、僕だって戦いたい」と思うシンジくん。そんなシンジ君を乗せたヴィラの船を零号機みたいなエヴァ(エヴァのマーク9らしい)が強襲。
聞こえてくる綾波の声に「僕は綾波を救えていたんだ」と嬉しくなるシンジくん。マーク9に誘われ、ミサトさんやアスカのいるヴンダーを離れることを決意する(このときリツコさんがミサトさんに「DSSチョーカーを使って」と言われるけど、結局できない という描写があって、表面上ミサトさんはシンジくんに「もうなにもしないで」とか冷たくなっていましたが、いろいろ思うところはあるんだなぁ、という葛藤が見えてよかったです。うるうる)
ヴンダーを離れ、綾波の声に誘われてシンジが次にやってきた場所は現在のネルフが本拠地として使っているまるで廃墟のような建物だった。
そこにいた綾波はまるでごく初期の心のない人形のレイ。
絶望するシンジくんの前に姿を見せたのはピアノを奏でるカヲルくん。廃墟の中で巧みにピアノを弾くカヲルくんは非常に格好良かったです(わたしはピアノ弾く人がだいすきだ!)以前に大変な批判を浴びた「ずっとピアノのCGが流れるだけのエヴァQの予告編」の謎がここにつながりました。
破から14年の今、破の頃のネルフはほぼ壊滅。残ったメンバーはゲンドウ、冬月、レイ、そしてカヲルでだけあった(破から何があったのかよくわからんのでいつカヲルくんがネルフに加入したのかとかは不明です)
そこからシンジくんとカヲルくんの心の交流が描かれるのですが……あのふたりは一体なにをやっているんだ……どう考えても両想いですありがとうございます。
ふたりで連弾したり、一緒に寝転がって星を見たり。…デートですか。逢引ですか。
そしてカヲルくんのトドメの告白台詞「僕は君に逢うために生まれてきたんだね」
(…泣いた)
しかし、物語はうつくしいホモ世界では終わりません(わたしはこうしてシンジくんとカヲルくんは美しいホモ愛とともにいつまでも幸せに暮らしました≠ナ終わっても良かったが男性観覧者や腐ってない女性の皆さんはぶち切れてしまうよ!あたりまえだね!)
「世界の真実」の謎について知るためにカヲルくんの案内で「現在の世界」を見に建物の外壁を歩き、今の世界の姿を目の当たりにするシンジ。
目の前に広がっていたのは真っ赤に染まってしまった大地。そしてカヲルいわく「旧人類が人工的に進化しようとインフィニティー(エヴァに似てる巨人)になろうとしたなれの果て」が大量に横たわる絶望の風景だった。
シンジが初号機を覚醒させたことで(破のラストで起こったアレです。カオルくんが槍を刺して止めたやつ)「ニアサードインパクト」なるサードインパクトに限りなく近い壊滅が起こり、人類の殆どは死滅。強制的な「進化」を迫られた人類の殆どは「インフィニティー」という人類でも使徒でもないよくわからんエヴァみたいな気持ち悪い巨人になってしまった(生き残った一部の人たちだけが今までの姿を維持しているようです)この人類が行ったインフィニティーになろうとする人工進化の儀式こそが「人類補完計画」ということらしい。
世界がこうなってしまったのはシンジがキッカケだった、と語ったカヲルにシンジは動揺の色を隠せない。
「そんな、自分のせいだなんて…僕は綾波を助けようとしただけなのに」
そりゃそうだ。よかれと思ってしたことでほぼ人類壊滅だなんて、あまりに救いがない。
でも、こう考えるとミサトさんたちが冷たかった理由もわかりますね。シンジくんは彼の行動が一体どう世界に影響するのかまったくわからない危険人物になってしまっていたのです。本人の意思とは無関係に。
ふたたび絶望するシンジくんにカヲルくんは「償えない罪はない。希望は残っているよ…どんな時にでもね」と意味深な言葉で慰める。
絶望の中のシンジの唯一の希望は「レイを助けた」ということ。シンジは何故か初期の人形のような性格に戻っているレイにせっせと本を持ってくる。
「前はよく読んでたでしょ?」
しかし、レイはその本に手を触れようとはしない。
「自分はほんとうに綾波を救えたんだろうか」疑惑を深めるシンジの前に冬月が現れる。そこで冬月はシンジの母親が初号機の制御システムに取り込まれてしまったこと、レイはシンジの母親の情報の複製(要するにクローンってことかな?)でいまのレイが以前のレイとは違う存在であることを教えられる。シンジが助けたはずの「ぽかぽかしてほしい」のレイちゃんはもういないのか……。
当たり前のようにシンジくんの絶望はマックスに。脳内風景が大変なことになっていて、わたしも見ながらちょっと気持ち悪くなってしまったくらい。
しかし、そんなシンジのもとにエヴァ13号機完成の知らせが。
もう何もしたくないと泣くシンジにカヲルくんは「君の希望はドグマに残る2本の槍だけだ。それが補完計画発動のキーとなっている。僕らでその槍を抜けばいい。そうすればネルフもフォースインパクトを起こせないし、エヴァ第13号機と一緒に使えば、世界の修復も可能だ」と語る。
ここでカヲルくんの告白二回目「僕はいつも君の事しか考えてないよ」
…ホモォ… ┌(┌^o^)┐
今回のカヲルくんはいつにもましてシンジくんを広い心で愛しておりますね。カオシンが捗りますね。
…ゴホン。話が戻りましてカヲルの語る「希望」の言葉にすがるシンジ。
エヴァ13号機はダブルエントリーシステムのため、シンジはカヲルとふたりで13号機に搭乗することになる。
こっからクライマックスで、13号機でドグマの槍を抜こうとするシンジ・カヲル組とそれを邪魔しようとするアスカ・マリのヴンダー搭乗組でバトル、の展開です(このヴンダー組がどんな考えからシンジくんのすることを止めようとしているのかは不明なんですよね。一応アスカはシンジはなんにもわかってない、また」サードインパクトを起こす気か?と言ってますが何を根拠にそう思うのかはワカラン)
なかなか熱い戦いが繰り広げられるんですが、もう少しで槍、というところになってなぜかカヲルくんが「やめようシンジ君…あれは僕らの槍じゃない!」と。
わたしとしては「いきなり何を言うんだカヲルくんよ…」と言いたいが、まぁ言ってもどうにもなりません。
もうここまで来たら後には引けないシンジくんは激高。シンジのスタンドプレイによるエヴァ制御でついに槍に到達。槍を引き抜くと、近くに転がっていたエヴァマーク6が動き始める。これが第12使徒らしい(どういうこっちゃ)
13号機を侵食しようとする第12使徒。
そしてカヲルくんは「まさか第1使途の僕が13番目の使徒に堕とされるとは…始まりと終わりは同じというわけか…さすがリリンの王、シンジ君の父上だ…」と呟く。するとカヲルくんのチョーカーがパターン青に(これがカヲルくんが使徒になった、という証拠?)
第12使徒は急速に縮み、13号機に噛み砕かれて消滅。そして光りながら空へ…(わたしの???マックスによりなんかもう状況説明しかできないです。なぜ第12使徒が縮んだのかもわからん)
このあたりでアスカとマリが「あいつ…疑似シン化形態を越えている!」「覚醒したのね…アダムスの生き残りが!」というような会話をしていたようです。意味がわからんかったので「???」状態で聞いてた。
その後、ガフの扉なるものが開いた描写があって、インフィニティのなりそこない と以前説明されていた進化しきれなかった人類の残骸がその中に吸い込まれていった気がします。
呆然とするシンジくん。「これは僕が槍を抜いたから…?」
カヲル「フォースインパクト……その始まりの儀式さ」
ここでミサトさんの船ヴンダー登場。13号機を攻撃するが歯が立たないわ制御を失うわで仕方なくアスカの乗る二号機が自爆で13号機を攻撃。ヴンダーは制御をなんとか回復して退場。でも13号機はとまってない。
13号機の中ではフォースインパクトを起こしてしまった自分を責めて泣きじゃくるシンジが。
カヲル「君のせいじゃない。僕が第13の使徒になってしまったからね。僕がトリガーだ」
シンジ「カヲルくん……僕はどうしたらいい?」
カヲル「ごめん……これは君の望む幸せではなかった。ガフの扉は僕が閉じる。シンジくんが心配する事はない」
シンジ「……っカヲルくんが何を言っているかわからないよ!」
カヲルは13号機に槍を突き立てる。
カヲル「シンジくんは安らぎと自分の場所を見つければいい。縁が君を導くだろう」
カヲル「そんな顔をしないで。……また逢えるよ。シンジ君」
シンジ「……っカヲルくん!!」
カヲルくんのDSSチョーカーが爆発。カヲルくん死亡(たぶん。とりあえず首ぶっ飛んでカヲルくんの乗ってたエントリープラグ血まみれでした…)
カヲルくんを失ってもなおもフォースインパクトは止まらない。
シンジがエントリープラグにいることがゼーレの保険だったと言うマリ。マリの8号機が13号機をなんとか止め、ガフの扉は閉じ、フォースは止まった。
しかし、大地はさらに荒廃してしまい、またもや「僕のしたことって…」な状態に。
なんか、シンジくんが何かするたびに事態が悪いほうに向かっているのは気のせいでしょうか。こらミサトさんでなくても「なにもしないで!」って言いたくなりますね。
ショックを受けるシンジくんはまたもや小さくなっております。すると、エントリープラグが蹴破られ、アスカ登場(さっきの自爆前にちゃんと脱出していた模様)
「ガキシンジ……。助けてくれないんだ私を。また自分の事ばっかりね」
アスカに蹴っ飛ばされて、真っ赤な荒れ果てた大地にたたき出されるシンジくん。
そこに新しいレイも合流。
「ここじゃL結界密度が強すぎて助けに来れないわ・・・リリンが近づける所まで移動するわよ!」というアスカの一声で三人はまた歩き出すのだが… という感じで終わりました。

最後に流れた宇多田ヒカルの「桜流し」が綺麗で、この人はやぱりすごいなぁと感動。映画館で映画見ると映像はそこまですげぇって思わないけど、音には感動します。低音の響きがいい。

後半はただみたものの羅列になっていたことからもわかるように、ほんと複雑怪奇でした。
破のときにあったラブコメ的要素やロボットアニメとしてわかりやすい「敵を倒す」描写も殆どなし。世界観の説明も不十分で、さっき出てきたあたらしい言葉を次のシーンで覚えていられたらなんとかわかる、想像できる…?くらいのムチャな感じ。
いままでのエヴァを知っていることはなんの役にも立たないレベルで新要素の雨あられでした。
たぶん、いままでのエヴァ史上最も設定を読み解く「推測班」が捗る作品だったと思います。
カヲルくん好きのわたしがフツーに楽しんで見られたのはカヲルくんとシンジくんの「心の交流」という名のホモとしか思えないシーンだけでしたヨ……。あとは筋を追っかけるのに必死だった。
次の「シン劇場版」なる完結編でこの投げられた複線がどう回収されるのか、そしてエヴァがどんな結末を迎えるのかによって今回のQの評価は変わってくると思うので、今はもうなんとも言えないですが、一本の映画として見終わって素直に「面白かった!」と言えるものでないことは確かです。
個人的には「つっかれた…」が感想でした。
映画を見終わった後は「面白かったねー☆」って笑顔で感想語れたらいいよね、って思う方や破のようなエンターテイメント色の強いエヴァをお求めの方はおそらく一年後に出るだろうDVDを待っておいてもいいかも(カヲルくんが素晴らしくホモなのでホモカヲルくんをお求めの方はどんなに複雑怪奇な物語に振り回されても劇場で見たほうがいいがな!)
そんな感じで非常にエヴァらしいといえばエヴァらしい作品でした。エヴァらしいというか、庵野さんらしいというか。
見終わってこんなに疲れた映画は久しぶりでした。ああ、これ見た後に「悪の経典」っていうスケジュールにしなくてほんとうによかったぜ……。
見た方、良かったら感想教えてください。

映画「悪の教典」感想

※ネタバレに配慮していない感想です


いやー面白かった!
映画を見終わった瞬間まずそう思った。
多分、この映画を見て「不愉快だった」と思う人もいっぱいいると思う(なんでもAKBの大島ちゃんはこの映画を見ている途中、泣きながら席を立ってこの映画嫌いです≠ニのたまったそうだ)でも私は面白かった。

主人公の蓮実先生こと「ハスミン」は女生徒を中心に絶対的な人気を誇る英語教師。
若く、京大をたったの二ヶ月で中退後、入りなおしたハーバードを卒業し、MBIを取得。文武に秀でた有能な人物で、その発言は現職の高校に赴任してたったの二年目なのに職員室でも一目置かれている。
しかし、その素顔は14歳のころ手に掛けた両親に始まり(かどうかはわからないが、とりあえず映画の中で描写された蓮実の最初の犠牲者は両親だ)、前任の高校でも4人の生徒を手に掛けたサイコキラー。

ここまで読んで「蓮実」という男に対してどんなイメージを抱くだろうか。
エリートの殺人鬼なんて ただただ不愉快、と思う方はたぶん見ない方がいいと思う。AKBの大島ちゃんになっちゃう。
でも、頭の隅っこにでも……「興味深い人物だ」という気持ちがかすめた人はきっと楽しめると思う。
映画はかなり淡々と、蓮実と不幸にも彼の周りに居合わせてしまった人々の悲劇を描いている。

さっき、「不幸にも」と書いた。
わたしがこの映画を見て強く感じた「蓮実」というサイコキラーの特徴はそれだ。

映画の前半、蓮実は教師としてクラスの女生徒・清田のいじめ問題に悩まされている。
もっと正確に言うと、「いじめ問題を取り立たそうと騒ぐ彼女の父親」に悩まされている。
その父親が主張することには、清田はいじめにあっている、という。
実際清田はクラスの中でいまいち居場所が与えられず、昼ご飯をひとりで食べるなど、かなり人間関係として寂しい状況に陥っている。

しかし、蓮実としては彼女が具体的に暴力を受けているとか、無視をされているわけではないことから、「彼女はうまくクラスに友達を作れていないだけ」という認識だ。こういうのはいじめというにはとても微妙な状況だ。こういう案件を騒ぐことのほうが危険なこともある。

清田の父親にも蓮実はそう説明するのだが、生徒の親はそれを一向に聞き入れない。大きな声で蓮実を怒鳴りつけ、被害妄想に近い発言を繰り返し、長い時間拘束し続ける(映画の中ではこの親もさまざまなストレスを抱えており、自分のストレスのはけ口として娘のイジメ問題について学校にいちゃもんをつけにきている、ということが窺える描写がある。たぶん、清田の父はいわゆるモンスターペアレントなのだと思う)
しかし、この父親は気の毒にもというか、喧嘩を売った相手が悪かったというか。映画の主旨上察せられると思うが、「第一の被害者」になってしまう。

毎日体力づくりと現場の下見を兼ねて早朝のランニングを行っていた蓮実は清田の自宅の周囲に置いてあった大量の猫よけのペットボトルと清田の父親がかなりのヘビースモーカーでペットボトルの周りで煙草を吸っては吸殻をポイ捨てする癖があることに目をつけ、ペットボトルの中の水を灯油にかえておく、という恐るべき方法で清田の父を殺すこと成功する。

第一の殺人でいきなりわたしはゾクッとした。

でも、そうなったのは殺し方が残虐だったから とかではない(爆死、というのは死に方としてかなりむごたらしいものだとは思うけど、実際痛めつけられてる姿とかは見ないし、血は出ないしで、蓮実自身が手を下した♀エじも薄いやり方だったので視覚的な残虐性は薄かったと思う)もっと根本的なものだ。
この殺人のきっかけはもちろん「清田の父親に蓮実が辟易していたから」だ。

確かに、蓮実はその女生徒の親に心底辟易していた。たぶん、それは、間違いない。
けれど、わたしの背中がぞわっと寒くなったのは、その理由がおそらく「ほんとうの意味での理由」でなかったからだ。そこがいちばん恐ろしかった。

蓮実はおそらく、ずっと誰かを殺す口実を探していた。人殺しがしたくてたまらなかったのだ。
そして、殺すに足るかもしれない理由を持って自分の前に現れた清田の父親を殺した。

推測ばかりだが、蓮実にとって清田の父親は目の前をぶんぶんと五月蝿く飛ぶ蝿のようなもので、「ちょっとばかりうっとおしいが自分に何か危害を加えてこれるようなものではなかった」はずだ。

実際、清田の父が大騒ぎする「娘に対するいじめ」の話も蓮実の進退を揺るがすものではないし、もし最悪蓮実がこの高校を追われるようなことになっても、蓮実のような能力の持ち主ならば、教師として他に雇いたいというところはたくさんあるだろう。蓮実にとってこの父親の存在は「殺さなければいけないほどの脅威」ではまったくない。

もちろん、殺人はどんな場合でも許されるものではないと思うけれど、でもやっぱり「ああ、わたしもそういう状況だったら誰かを殺してやりたいと思うかもしれない」というまだ「理解できる殺人」というものが世の中にはある。そういう殺人者は「怖い」というよりも、わたしは「悲しいな」と思う。

でも、蓮実はまったくそういう要素を持ち合わせてはいない。たぶん、蓮実は清田の父に出会ったとき心の中でほくそ笑んだだろう。
『殺したいと思わせてくれてありがとう』と感謝して。
それが怖かったのだ。
そういう怖さが蓮実という男にはずっとつきまとっている。

映画は、そんな蓮実が自分の「秘密」に少しでも触れかけた人間を次々と手にかけ、最後は自分のクラスの生徒を全員手にかけることになるまでをとにかく淡々と描く。

ときどき、蓮実のアメリカ時代と思しき描写が不気味な小芝居ようなテイストで入ったりするが、基本的に映画はひたすらに蓮実という男を、彼に殺されることになる「不幸な」ひとたちを外から撮っている。

だから、かなりの割合で登場人物のそのときどきに感じていた気持ちなどは想像することになる。その人物を見つめる視点が、カメラがとてもつめたい質感で、だからこそ蓮実が殺人のプレリュードのように口ずさむ「モリタート」に背筋が余計寒くなる。

思い出すとほんとうに怖い!いままで三文オペラの曲を怖いと思ってはいなかったけど、いま聴くとほんとうに怖い。そんなトラウマを植えつけられてしまった。


映画としてのテーマはたぶんない。
蓮実はサイコキラーで、それ以上でも以下でもない。
彼がとにかく人を殺す。そういう映画だ。

いろいろ理由はつけられる。耳に心地よいテーマを考えることはできるだろう。「サイコキラーを描くことで社会の問題を云々」とか。
でも、それはたぶん映画にはテーマがなければならない というひとたちの頭の中で作られた理由だ。まるで冒頭の蓮実が清田の父にしたように。理由がなければいけない気がするから、探しただけの建前。

いや、もっと正確に言うとほんとうのテーマを語るのが怖いだけかもしれない。

この映画は暗に「サイコキラーがひたすら人を殺す姿」がエンターテイメントと言い切ってしまった。
映画はエンターテイメントだ。描かれたものはどんなに高尚なテーマを含んでいたとしても、フィクションとして成立した以上エンターテイメントになる。それを証明してしまったのだ。
少なくとも、映画が終わった瞬間「楽しかった」と思ってしまったわたしに対して。

ああ、怖い。蓮実が怖い。この映画が怖い。次々と人が殺されていく救いもへったくれもない映画をひたすら楽しいと思ってしまった自分が怖い。

わたしはそんな感じでこの映画を見た。心の闇を抉られるのは登場人物ではなく、自分だった。そういう意味でひたすら怖い映画だった。

でも、きっとこの「つづき」を見てしまうだろう。
そして「ああまた楽しんでしまった」と嘆く気がする。

蓮実に「Magnificent!」と言わせた生徒が今度はどんな働きをしてくれるのか。そのときが楽しみである。


※補足。
映画のラストにはっきりと「To be continude」と出た。「悪の経典」はまだ終わらないらしい。



で、わたしがこの映画を見る!と決めた悲しいほど不純な理由「ホモフ○ラ」がある、について追記に書きます。ここまで書いた「悪の経典」についての感想が無になるとても残念な感想です。
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