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窓は開けておくんだよ

先日またまた携帯を壊してとっても落ち込んでいます。なんでこんなに携帯ダメにしちゃうのかなあ。情けないし恥ずかしいしで、なんかもうね。


もう今週末には卒業式です。
大学生活はいろんな転機がありました。自分、ものすごく変わったと思う。良くも悪くも。と言っても喜ばしい変化はあんまり見つけられないや。早く卒業したいなー。大学生活で大切な思い出もたくさんできたけど、とにかく忘れたいこともたくさんあって。寂しい気持ちもあるけれど、それよりなにより、早くここを離れたいなあ、とも思ったりする。思い出に勝手に自分で縛られているだけなのかもしれないけれど。

本当は卒業する前に会いたい人たちがいたし、伝えたいことがあった。でも、きっともう向き合うことはできないんだよね。私にはそのエネルギーも勇気もない。罪悪感を紛らわすだけでは何も変わらないし変えられないことも気づいていたんだけど、知らんぷりしてた。でもそれすらももうできなくなっちゃって、結局逃げてしまったんだなあ。諦めてしまった。本当は顔を見たいし話したいし謝りたいし、でもなあ、私にはきっともう無理なんだろうな。どれが本当でそれがうそだったのかもわからなくなってしまった。


形式的に卒業できたら何か変わるんじゃないかなって期待してる自分がいる。日付が変わったら私変わりますなんて、そんなの無理だってことくらい、わかってたつもりなんだけどな。口ではそう言っておきながら期待しちゃうあたり馬鹿みたいだねえ。

なんだか最近、どうでもいいって思うことが増えてしまった。どうでもいいことなんてないはずなんだけどな。興味がわかないというかなんというか。原因もなんとなく思い当たる節があるから、非常にもやもやしている。

しょうもないね。笑

他人は自分の鏡

他人は自分の鏡って言葉があるけど、全部自分に返ってきているだけだと思えば納得できることばかりだよなあと改めて思いました。
知らず知らずの内に、誰かから何かを得られたり、反対に与えていたり、そういうのもあると思いますよ、もちろんね。この“何か”っていうのは、非言語的なもののことを指したいわけなんですけど、価値観だったり、知識とか経験とか、そういう類のもの。

人のためを思うことができないなら、誰かになにかを期待するのはちょっと図々しい。希望は捨てなくていいと思うけど、期待なんてしてるんじゃないよって、そんな風にここ数年自分に言い聞かせている。

誰かのことを想って、その人のために何か力になりたいって、純粋に思えるような人になりたい。損得では考えてないつもりだけど、一線引いて考えてしまうから、だいたいいつも他人事になってしまうんじゃないかな。とか考える。
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