※小ネタ。どことなく俺様気味のカカシさん。
連れ込んだ男に口づけをしようと自身の口布を引きおろしたら、何故か驚かれた。
驚かれたと表するにはいささか複雑な表情―驚き三割、困惑三割、怯えが四割といったところか―だったが、飛び退くように半歩後ずさった動作は驚きの為だろう。たぶん。
それはともかく、何故そんなにも驚いているのか理解に苦しむ。酒を過ごして多少判断力が鈍っているだろうが、「家に寄ってく?」なんて質問に笑って頷いたんだから、その先の事ぐらい分かっているだろうに。
半歩下がった分だけ此方も近づけば、男はもう半歩下がった。その結果、彼の背は玄関の扉にぴったりとくっつくことになる。もしも本当に俺から逃げたがっているとしても、残念ながらそれは殆ど不可能になったと言ってもいい。
一応、もう一度相手の意思を確認しようと、目の前の顎を右手で捉えた。ほんの少し顔を近づけただけで、顔色がみるみる青くなっていく。
その顔には、「まさかそんな筈は冗談でしょう!?」とでかでかと書かれているように見えた。忍びの癖にあけすけな奴だ、相変わらず。
俺は近付けた顔を少し離しながら(捉えた顎は離さないまま)、思わずため息を吐いた。
「あんたさぁ。ここまで上り込んどいてそれは無いんじゃないの?」
呆れた様子の此方に、男は今度こそ明確に驚愕と動揺を露わにした。
「ど、どどどどどういう意味ですか」
「どういう意味って。家に寄ってく?ってのは、そーいうコトでしょ。それとも何、ウチでセックスする?って訊けば良かったわけ?」
「セ…っ!?」
目を白黒させながら絶句してしまった男は、よほど混乱しているのかずりずりと無意味に足を動かした。扉に押し付けられているというのに、なおも後退りをしようとしたらしい。
…これは、本気でそういう意味に捉えていなかったのか。
「だって、だって俺たち、お、男同士ですよ!?」
そんな事は解かりきっている。黒い髪は多少長いようだがぼさぼさのまま頭のてっぺんで無造作に括られているし、顔のど真ん中に横長の傷があるし、それ以前に体もごつけりゃ声も低い。
「見ればわかるよ」
「じゃ、じゃあ、なんで…」
「なんでって。あんだけ無防備に酔っ払ってへらへら笑って俺の事賞賛してたじゃない。誘われてんのかと思って」
「さそ…!?」
先程と全く同じ様子で絶句してしまった男は、それきり喋らなくなった。正確には、何か言いたい様子だが口がぱくぱくと開閉するのみで言葉が出てこなかった。
「…ま、俺も意外だなとは思ったんだけどね。ナルトの大好きなアカデミーのイルカ先生が、まさか男を誘ったりするのかって」
ふう、と小さく嘆息し、彼の顎からも手を放す。
解放してやる、というサインだったのだが、イルカはまだ呆けたように玄関に立ち尽くしている。
「…あのねえ。あんな無防備にへらへら笑ってると、いつか痛い目に合うよ?そりゃ、里の中では同性間のアレコレは一般的じゃないけど、さっきみたいな上中忍合同の飲み会では現役の戦忍だって結構混ざるんだから。里外では垣根が薄いって知ってるでしょ?」
尋ねながらも、あの様子では本当に知らないのかもしれないな、と胸中でひとりごちた。
少しの間の後、彼が眉尻を下げてゆっくりと俯く。知らなかったというわけではないが、失念していたというところか。
「…すみませんでした。でも…まさか俺が、そんな対象になるなんて思わなくて」
「へえ。あんだけ色目使っといて?」
「い、色目ってなんですか!貴方への態度は純粋な好意によるものです!」
心外だというように抗議されたが、それは却って自身の墓穴を掘る発言だと思う。
「へえ。あんた、やっぱり俺の事好きなんじゃない」
揶揄するように言ってやれば、イルカはばっと顔を上げてこれ以上ないくらいうろたえた。
「すきって…ち、違います!そりゃカカシさんの事は本当に尊敬していますが、それだけです!決してそういう意味では…」
「ふうん。尊敬してるって、例えばどんな所を?」
「え…と、さっきも言いましたけど忍びとしての強さは勿論、下級の者にも気さくでやさしい所とか、あとこれは今日知った事ですけど素顔がすんごく格好良いところとか…」
恥ずかしげもなく此方の長所を上げ連ねていくイルカを見ながら、思わず笑いが漏れる。
先程の飲み会でもこんな風に賞賛を浴びたのだ。しかも、全開の笑顔で。
俺が勘違いするのも無理は無いだろう、と改めて思うのだが。
「ええと、つまり、本当に尊敬はしていますが、恋愛感情とか、そういう意味で好きなわけではないんです!」
「そう。ま、俺もあんたの事、本当に心から好きかと言われると自信がないよ」
え、と呟き途端に寂しそうな表情を浮かべる様子に再び笑いがこみ上げる。
この到底忍びとは思えない程分かりやすく感情が駄々漏れな男は、本当に見ていて飽きないのだ。
「でもねぇ、俺だって誘われれば誰とでも寝るわけじゃないの」
未だ扉に背中を押し付けた状態のイルカの横に、そっと両手をついた。途端にぴくりと身じろぎしたが、構わず顔を近づけ、耳元でささやいてみた。
「俺はイルカ先生に、すごく興味がある」
一瞬呆けたように口を開けたイルカは、みるみる顔が赤くなった。黒く澄んだ瞳も(酔いのせいもあるだろうが)どことなく潤んでいる。
その反応が面白くて見つめていたら、彼は視線を逸らすためにそっと眼を伏せた。
一体、なんなんだろうこの人は。
こんな反応をしつつ逃げもしないなんて、鴨がネギを背負っているようなものだ。
完璧な据え膳だ。
…食べてしまってもいいだろうか。
「なんてね。ほんと、勝手に勘違いしてごめーんね」
「え?あの…」
「ま、それはともかく、今日は泊まっていきなさいよ。客用布団くらい用意するから」
「え、で、でも…」
「安心して。なーんにもしないから」
にっこりと人の良さそうな笑顔を意識して造りながらそう言えば、彼は少しの沈黙の後、ありがとうございますと言ってぺこりと頭を下げた。
ちょろい。
ちょろ過ぎる。
この人本当に大丈夫なんだろうかと却って心配になりながら、俺はにこやかな笑みで彼を自室に案内した。
その夜、「なーんにもしない」なんてことはもちろん無く、据え膳は有難く頂戴したのだった。
大体、うちに客用布団なんて気の利いたものがあるはずがないのだ。
もちろんそんなこと、彼は与り知らないだろうけど。