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gya

手首を切る機会はぱったり止まって1年ぐらい経つのに希死念慮も消えないし、いつも頭の片隅で自殺のことをぼんやり考えているからどうしようもないなあって。運動もするようになったのになあ。何か駄目なんだわね。

「一人で居過ぎると良くないですよ」って言われても、一人で居ないと作らなくちゃいけないものは作ることが出来ないし、なのに「コミュニティがないと駄目よ」なんて言われたら溜まったもんじゃじゃないよ。両立の難しさ。

数年間関わった人でさえ本当は自分と居ると疲れるんじゃあないかという気がして、ぼんやりと友達として換算することを辞めてしまうんです。

うおー

結局同族嫌悪なんだろうなあ。同じ界隈に居るから嫌な部分を属して居ない人よりも良く知っていて、目に付いて、しかも自分にもその要素があったことも過去にあるわけで、だから見ていて気持ちが悪いと思ってしまうんだろう。デザインを語る人、芸術を語る人、サブカルを語る人、音楽を語る人。会議室でもないのに専門用語を飛び交わせて鼻を高々とさせている人の横に居ると、吐き気に耐えられない。お勉強は大事だけどここは知識をひけらかす場所じゃないでしょ。コンクール会場でもないでしょ。何でもっと穏便に出来ないの。

本物の人は黙って作品だけつくってるって感じたので、あたしもそうしよう。でもここでこういうことを書いている時点で自分も十分気持ち悪いですね。

 

結局友達が居ない人間が妬んでいるだけなんだよね。

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時々

時々自分がみんなと友達だったのが全部夢だったんじゃあないかなあって気持ちになる

3月3日が命日

あたしの大事な犬が死にました。10歳と9ヶ月。終わりの方では糖尿病になっていたけど、老衰が引き起こしたものらしいので、結局は死因は老衰なのだろう。病院で注射をした帰りの車の中で、母の膝の上で死んだのだそうだ。最後に母の手を2回軽く噛んだらしい。それが彼なりのお別れの合図だったんだろう。両親が病院から帰って来た時にはもう息絶えていた。まだあったかかった。頭が真っ白で、「死体が腐ると困るから保冷剤を出さなきゃ」なんて言いながら冷凍庫を漁っていた。非情に思えてしまうかも知れないけど、最近大切な人が亡くなって、それから間をあまりあけずにこんなことがあったから、もう涙も出なくてさ。身体に大きい穴が2つも空いた気分だったよ。本当に悲しい時って涙も出ないのね。

 

この数ヶ月、犬の介護(って言っていいのかはわからないけれど)をずっとしていて、バイト先も受験シーズンなのに人手が足りないから死にそうなぐらい忙しくて、家事だの実習だの忙しくて気が狂いそうだったけど。でもやっぱり良かったんだと思う。あんまり○○教の××っていう神様とか、そういう特定な神様は信じない。でも、多分神様が居るんだったら最後にあの子と沢山関わらなくてはいけない時間を増やしてくれて、いっぱい思い出を作る機会を与えてくれたのかなあって。そんな都合良い解釈をしています。

たかだか犬1匹と思うかも知れないけど、あたしは友達が少ないから本当にあの子と居る時間が長かったわけで。自分の成長過程と共に過ごした大事な家族であって。両親が共働きでも、精神疾患にかかって家族から疎まれてもあの子が居たから寂しくなくて。何処かで「犬は主従関係を残したまま死ぬことを望むので、お骨を拾ったりするのは喜ばない」と聞いたのをずっと覚えていたので、合同火葬にした。本当に安らかな顔をしていて、名前を呼んだらふと今にも起きて来そうだったよ。良い犬だった。我が儘を言うならもっと一緒に居たかったけれど、寿命ならしょうがないよね。先生が毎日苦しくなくて、ご飯を食べても吐かないようにと注射をしてくれたお陰で、最後まで生命の尊厳を持って死ぬことが出来たと思うの。良い医者にかかることが出来て幸せだったよ。

どうか安らかに。

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