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春の到来

起き抜けのままコートを羽織って外に出て煙草を吸ったら、2月頭のようにしんしんと脳へ空気が入って来なかったので、ああ春なんだなあと思った。煙草は身体にとても悪いものだけれど、季節の移ろいに敏感に在れるから手放せない嗜好品のひとつで。

 

相変わらず春は「出会いと別れの季節」なんて過剰装飾されて、すぐに散ってしまう桜の花か何かのように例えられていて吐き気がする。死後間もない人間みたいに生暖かい春があたしは大嫌いだ。春になればすぐに命日が近付いて、初夏とかいう春の延長の最低なものが来れば、納骨の日を決まって思い出す。碌でもない季節だ。煙草は理性的で、他人に迷惑のかからぬよう吸えばいいだけなのに、吸っているだけで女としての価値が下がると言われた。そうかも知れないと思った。それ以前に、自分には女としてというよりも、人としての価値さえないのだから、当てはまらないと思った。認識されていないから誰からも見えないのだ。「自分なんてどうせ、誰からも見てもらえない」と悲観的に心中泣き濡れるのではなく、本当に、言葉のままに、誰からも見えない存在である気がしてならない。

誰かがあたしを見ていたとしても、その視線はきっとあたしという透明な壁を突き抜けた後ろに向けられているのだろうと感じる。自分に合わさっていない視線に呼応する気持ちでその人を見つめても、あまりに一方的だということに見つめてから気付いてしまう。大して忙しくもないくせにそういう振りをして目を合わせない言い訳を必死で作ってしまうのだ。すぐに目を伏せてしまう方が所謂ピンクベージュみたいで可愛いんだろうなって。

ああ、あたしを面白いと言って好きになった男はいつだって、誰だって、あたしを肥溜めから拾い上げる時は「そんなことはしない」としっかり笑って誓うのに、あたしを捨てる時に横に並べた女子はいつだって、いつだって砂糖菓子みたいな色合いの服を着ているのだ。どこが出したかわからないピンクのストラトキャスター6000円、ピンクベージュ、シャンパンゴールド、ありふれた優しさ、可愛さ、何を対象にしているかわからない愛される努力、白い糸、細い腕、ワンレングスのボブ、ピンクのLINE画面、「女の子が寂しい時は構ってよ」、「すぐに会いたい」、「永遠に私のこと好きかな」。ずっと負け続けて来た価値観。「それより面白い君の方が魅力的だ」って言われたけど結局負け続けて来た価値観。男にも女にも。女でさえそっちの方が好きなんだから、あたしに人の心の一角を借りることなど出来るわけがなかろうに。

 

だから、お飾りでいいやと思った。引き立て役でいいやと思った。いつだって四肢がぼろぼろになっても泥水を啜って凛とする猫みたいに強くは生きられない。

いつ別れようかと常に思考の何処かにその言葉がひそりと息をしている気がした。嫌われるのが悲しいとか、永遠なんてないとか、そういうのでなくて、向いてないと常々感じることが多いのだ。
円滑な交友関係も築けない自分にそれ以上なんて向いていない。

死ぬ為にたくさんのものを清算していっているつもりなのに、どんどん生きる為の枷をはめられる。
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