どうも。
さて今日の日記は、昨日&今日の合併号ですw
つーても今日はバイト行っただけだから書くことないけど(^_^;)
さて、来る12月11日、高校の頃の『いつものメンバー』で自分達の過去を精算するための旅をしてきましたw
まず自分は朝の9時からバイト。
で17時まで働いて18時頃に都内某駅で先に集まってたメンバーと合流しました。
さてさて何でこうして寒空の下集まったかと言いますと、3年前にある場所に埋めた通称『ビーフストロガノフ』を発掘するためですw
今からおよそ3年前。
当時高校3年生だった僕らは、恐らく学校で最も下らないことをしていたであろう一団でした。
例えば教室のロッカーの中でカイワレ育てたり、教室のロッカーの中でカブトエビ育てたり、パンツで廊下を往復したり、教室で卓球したり。
そしてそんな僕らが集大成として行ったのが、『ビーフストロガノフ』を埋めることでした。
これは何かと言うと、調理実習で作ってタッパーに入れっぱなしにしてたら発酵してしまったビーフストロガノフ(自分達はビーフストロガノフだと思ってるが実際は丸っきり別の料理)にロッカー内に転がってたタピオカとかガラクタを投入して完成した言わば化学兵器の一種です。
とりあえずゲロみたいな感じでした。
で、それを土に埋めて長期間放置したらどうなるか、という誰でも抱くであろう素朴な疑問を解決するため、高校3年生の冬に都内某所へ埋めたのです。
こうして、過去の自分達の罪を精算すべく3年の時を経て大人になった(ハズだったが全く成長してなかった)男たちが集まったのでした。
ちなみにメンバーの一人は当時『3年後にはきっとみんな就活に追われてスーツのまま集合するんだろうな』と思ってたらしいですが、
ふたを開けてみればそこにいたのは就活の『し』の字も感じさせないバカな21歳たちでしたwww
つーわけで一同は勘を頼りに埋めた場所へ。地図を見るのは禁忌です。
そうして無駄に足に疲労感を覚えながらたどり着いた一同。
我々は当時の写真を頼りに地面を掘り、ついに見覚えのあるダイソーの袋を掘り起こしました。
そして、開封。
僕らを待っていたのは、『壮絶』の二文字でした。
かつてはゲロっぽくてドロドロしてたハズの物体はドブ色のサラサラした液体へ姿を変え、周囲になんとも言えない甘い香りを撒き散らしていました。
もうね、なんというか、気持ち悪い。
ドブ色の液体って時点でもう危険物でしかない。
何となく原発作業員の気持ちがわかった一同でした。
こうして『ガノフ線』に見事なまでに被爆した我々。
とりあえず後の世に負の遺産として語り継がれるであろうガノフを再び埋め、『二度とあんなもん掘り起こさない』と誓ってその場を後にしたのでした…。
それから原宿に移動し、我々の思い出の地である『せい家』でラーメン食いました。
とりあえず不味かったです。
当時も特別旨いとは思ってませんでしたが、数々のガチ家系ラーメンを経験した今では不味いとすら思うようになってしまいました。
元々そんな美味くない上に店員がハズレだったんだろうね。
で、今晩の避難先とすべく原宿在住の友人、通称『きったねぇF田』君の家へ。
もちろん実家。
ちなみに、うちの高校には何人かF田君がいて、その中で最も汚かったので『きったねぇF田』なのでした。
実家暮らしの友人を夜11時前にアポなしで訪ねるという迷惑すぎる展開www
とりあえず家の前で電話をかけ、
同志まさ『もしもし、今暇?』
F田くん『うん』
『ピンポーン』
みたいなことをしてましたwww
アポなしで実家のチャイムを鳴らすという迷惑すぎる展開www
結果追い返されたんで、渋谷の居酒屋で朝まで時間潰しました(^_^;)
回りの席がワイワイ騒ぐ中、恐ろしくローテンションな我々。
どう考えてもガノフ線被爆と老化の影響でしょう。
どうやら3年前の我々は本当に若かったようです。
3年という決して短くない時を経た結果、我々はただ老化の一途を辿っていたようですね。
そんなこんなで始発ぐらいの電車で帰宅し、
シコって寝て目が覚めたら午後3時でしたテヘペロ(^^)
仕方ないんでダルい体を引きずりながらバイトに行きましたとさ。
学校?
知らないなぁ(^^)
はい。
そんな感じです。
若くなりたいです。
ノシ