昨日お風呂で考えたこと。
人間は常に不完全だ。
でも完璧を目指したがる、もしくはそれを人生の目標と捕らえる。
よくある話。
恋人には自分にないものを求める。
背の低い人は高い人を、また逆もしかり。
子供には自分の夢をおしつける。
自分が自由に恋愛できなかったら自由を、夢が叶わなかったら夢を。
自分がダメでもこの子だけには。
子供のためであると同時に、自分の理想を叶えたいという親のエゴ。
人は自分と周りとの繋がりの中で、欠如を補う。
エバのいう、人間の心を一つにして補完を行うという人類補完計画は、そういう意味では究極の理想。
なにが言いたいかって、あたしはたんに、子供がいたとして、1つだけ大切にして欲しいことを伝えるとしたら何だろうと考えてただけなんだけど。
あたしにとっては、しっかりあたしを見て、話をきいて、真剣に向き合ってくれるような存在が大切。弱みを見せられる大切な人。友達だったり彼氏だったり。
やっぱり人との繋がりかなって思う。
信じてないのは皮肉なことだけど。
でも、自由気ままに、自分のために生きる自由さも大切。言い訳かもしれないけど、あたしは人に嫌われるのが怖くて好きなことをできなかったとこもある。楽しく生きてほしい。
またなにも考えずに、楽しさとしあわせの中で生きてほしい。確かに辛さも苦しさも必要だけど、最低限で。
生きることを考えすぎると大変だから。
そして思ったわけだ。
これはあたしの生きたかった生き方。
子供に重ねて どうするんだ、と。
あたしがこんな風にものごとを考えるように、もしもあたしに子供がいたとしても自分の生き方をするだろう。
だけど、自分の言動1つが、もしもその子の一生を、世界を揺るがしたとすれば、それはとてつもなく恐ろしいこと。
彼はどうしてあたしが子供がほしくないと言うのか不思議に思う。これからは適当に合わすつもりだけど。
おおげさだけど、1人の人生に関わるって言うのは人生の選択肢や方位針の一つになるとだと思う。
それって怖くない?
それならあたしは誰にも関わらない。
あたしは方位針を求めるけど。
ただそれだけ。
あたしは不完全。一人で強く生きれたら、って思うけど。
それだけ。