あの先生が亡くなってもう二年、
リンのブログを読んで思い出す。
つまりそれまで忘れてたってこと。
これが私とリンの意識の違い。
だからあなたの悲しみの深さなんて想像しても、
痛みが伴わないから意味がない。
意味がない。
いろんなものが壊れた2009年、
歯車が狂った2009年。
道のど真ん中で過呼吸になって動けなくなった2009年、
玄関で泣き喚いた2009年、
リンがODした2009年、
リンが死んでやる宣言をした2009年、
初めて腕を切った2009年、
リンがハゲジジイと出会った2009年、
リンが休学した2009年、
あの先生が亡くなった2009年、
リンの妹が父親に首を絞められた2009年、
エトセトラエトセトラ。
19歳、
大人一歩手前の子供が、
大人になる前に目一杯親に迷惑かけたなと思う。
良かったなと思うことは、
2010年になる前にアムカ止めれたこと。
2009年。二年前。
死を受け入れるって何なのか、
未だよく分からない。
ああそういえば、
リンは私の誕生日に死ぬ宣言をしたわけで、
もし実行されていたらリンの命日が私の誕生日と同じ日になっていたのか。
あの先生の誕生日はリンの誕生日の一日前、
だからリンは否応なしにあの先生のことを思い出すのね。
それは私も同じことだけど。
前触れもなく死んだあの先生、
今は何を思っているのか。
何を思って死んだのか。
死んでしまった以上、
気付いてあげられていれば、
なんて思ったところで生き返るわけでもなく。
気付いていてもいなくても、
死ぬときゃ死ぬ。
それとも、
私が気付いていたからあんたは生きてるって言うの?
考えるだけ無駄だと知りつつ、
問う。
流れで心療内科も行ったけど、
何が心の負担になってて何が辛くて切ってたかとか、
そんなことは全然言わなかったから。
泣いてただけ。
ってゆーか当時はそんなん分からんかった。
いや、
本当は分かってたけど認めたくなかったってだけかな。
だって病院の先生、
"建物から飛び降りる子もいる"
とか言うんだぜ?
私としちゃあ、
知りもしない子のことなんかどうだっていいし、
何で私の診察の時に他人の話をするのかワケわからんかった。
"何?
私より酷い子がいるからこんな傷なんて大したことないって言いたいの?
んなこと今までずっとリンちゃんのこと見てるんだから分かってるんだよ。
私だって辛いって言いたいのに私より苦しんでる子が周りにいるから辛いって言えないんだよ。
分かれよ"
なんか、
ここに来ても駄目なんだなって思ったから、
一回行ったきりでもう行ってない。
"要は自分が変わればいいんだろ?"と。
(↑思い出しながら書いてたら思わず泣いちゃった☆てへっ☆")
続きが本文。
一応、
閲覧注意。
そういう醜い感情が湧きあがってくるのが嫌なら、
見なけりゃいいだけの話なんです。
何を?
ってリンちゃんのブログだよもちろん。
いつまでもメンヘラ気取りのブログ内容に、
いちいちイライラしてしまうのです。
でも前と比べたらだいぶマシになったし、
きっと私がいないとこいつはダメになっちゃうわ、
等と思い出したらきっと末期だと思います。
アル中やらギャンブル依存症の旦那と別れられない妻の気持ちって、
たぶんこんな感じなんだろうなあ、
なんて思います。
まあ俗に言う供依存というやつだね。
お互いがお互いに依存しちゃって悪いものが更に悪くなっちゃうような感じだね、
ざっくり説明すると。