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※※盛大にネタバレしてますので要注意※※
※※ネタバレOKな方のみ、自己責任で続きをどうぞ※※
※※いつものことですが、無駄に長いです※※
そして2幕中盤、宝岬の防波堤。
舞台上には、コンクリート色の高い横長の台(左寄り部分・右寄り部分で少し奥に折れている形状)が舞台端ギリギリまでセットされ、役者はその上に立ったり座ったりして演技します。(…前方の席の方は仰向いて見ることに…)ステージ奥には青空の幕が一面に貼られ、台の後ろでは波を模した本物の水がバシーーッと定期的に上がったり、波の音が間隔的に大きくなったり、視覚聴覚ともにとってもリアル。
防波堤の右の位置には、ボンヤリと座り込む鈴を横から抱き止めるもとむの姿。左には、いたたまれない様子のリョウタ&アリサ。その間には八尋。結論として、リョウタが見たという鈴のオリジナルは、よくよく観察したらそうではなかった…というのが全員の結論のようでした。
そして、傷ついた自分を守るために攻撃的になった鈴の「私たちのオリジナルはゴミ溜めみたいなところに居るクズ。だからあんな綺麗な場所に居るわけない!!」というタブー大爆発の激昂演説を挟んで、結局は「ちょっとした探検(BYもとむ)」で事件の一つは終わった。
もう2度と、彼らの間でオリジナルの話が出ることはないだろう、と思われました。
その代わり、これ以降はもう一つの事件がじわじわヒタヒタと3人の心と関係性に侵食していきます。
まずは、宝岬での3人。
リョウタ&アリサの勘違いと、鈴の噂の真相知ったかぶりで痛み分け、皆でどこかに移動した先で食事して仲直りしようとなったとき、八尋は鈴の『オリジナルはクズ発言』を「くだらない!」とバッサリ切り、「私は別行動にする」と言い出した。今まで鈴を諌めるときは言外にやんわりと…だったであろう八尋が、こんなにもハッキリと、鈴を非難しました。
そしてもとむも「俺も八尋と残る」と言い出した。あからさまに、鈴との別行動を選び、八尋のほうを選んだのです。
鈴はそんな二人を睨めつけ、目を吊り上げて「勝手にすればいいわ!!」と言い捨てて去っていった。
そもそももとむは、リョウタ達が食事云々言っているときに、自分には関係ない話であるかのような佇まいで、(鈴たちや客席に背を向けて)そっと海を眺めていました。また同じく、八尋も。
2人が同じタイミングで同じ姿勢で同じものを見ている様子に、ああ…そうか、もう彼らはそれぞれ、何かを決めたんだな…って感じました。それか、何かが変わる予兆をそれそれが感じてた…のかもしれません。
ここからはしばらくは、八尋&もとむ二人だけの歓天喜地場面!
胸キュンというよりは、こちら側はただひたすら、「あぁ…よかったね八尋…よかったねもとむくん…!」とガッツポーズしつつ塀の陰から見守るような、幸せなデバガメ気分でした;;;
八尋ともとむ、このとき19歳。
もう少年少女でもないけれど、まだ完全に成人でもない、端境期の二人。
防波堤の上でふたりきり、親密な距離まで身体も顔も寄せたり、時には手を繋いではしゃぎ、本音をぶちまけ、秘密を打ち明け、笑顔を交わし、心でも触れ合って。いつかの女子寮の密会を彷彿とさせるようでした。
それと同時に、2幕前半では消えていたもとむくんの豊かな表情が、内側から沸いて出てくるそのままの感情を放出する声が、陽射しが溶けこんだみたいなキラキラ感が、彼に戻ってきました。いや、もともと喪くしてはいなかったのだと思います。きっと、今までそれの上に乗っかっていた重石を心の腕で掴んで、海に捨てただけだったんだね…。
そして八尋も、まるで少女のようにクルクルと表情を変えてもとむとの会話を楽しみ、足元や腕を弾ませてウキウキとはしゃぎ、花が咲き誇るみたいな笑顔を溢れさせていました。もとむに対する感情を、八尋のできるMAXでストレートに出していたと思います。
お互い「好き」とも「愛してる」とも、ひとことも言わないけれど。キスのひとつもしないけれど。
2人の様子を見ていれば、そういうのいらないかな…と思えました。あえて無いほうがむしろ、2人の繋がりがより鮮明になったし、二人が双方向に鳴らす言葉や、二人で揺らす温かな空気感がまるで、まろやかな旋律が心地良く奏であう綺麗な音楽みたい、…と感じたからです。
いやもうね、ここのときの二人が、本当に印象的で。2幕で一番好きな場面です。
地面に突っ伏して「何がクズだよ!!!」と叫び、涙を滲ませて「俺達の人生にオリジナルは関係ない!」と八尋のために言い募るもとむに寄り添って、「ありがとう。あんなこと(エロ本でオリジナルを探す)、もうしないから」と吹っ切った微笑みを見せる八尋。
八尋の肩にちょこっと頭をくっつけて甘えるような仕草を見せたあと、「エロ本に八尋が股を開いた姿があったら吃驚するだろうなー、でも見てみたい気もする♪」なんて笑い話にするもとむを、八尋が「もぉ〜っ!」と笑いつつ可愛く小突いたり。
もとむの考えた「3年執行猶予の噂がもし本当なら、生徒の内面が反映される作品を使って審査されるんじゃないか」という渾身の推理を論破しようとして負けそうになった八尋が、わざともとむの「頭の程度」をからかって拗ねさせるという、親しき仲ならではの会話遊びをしたり。
もとむが「オリジナルを見ることなんかよりここで重要な用事がある」ことを伝え、それは「宝岬で八尋へのプレゼントを探して買うこと」で、それも「八尋が昔失くしたカセットテープと同じもの」であることを告白したとき、八尋はすごく感激したような嬉しそうな顔で、「あなたって最高!!」と大きく腕を広げて喜んだり。
「古着屋・古道具のあるお店なら古いカセットセープがあるはず」と探索のための的確な推理を披露する八尋に、「俺そんなの思いつかなかった。やっぱり八尋はすごいなぁ!!」と純粋な尊敬の眼差しをむけるもとむの顔が、ヘールシャム時代の顔になっていて。
…もとむは、ヘールシャム時代の想い出話を懐かしそうに、そして楽しそうに八尋と語り合っていましたが、――― 時間は戻せないけどせめて、あの頃に気持ちだけでも戻して、またやり直そう……、という心境になっていたのかなぁと思えました。
たぶん彼はもう、そうだよ…ヘールシャムにいたときも俺は、八尋のことが好きだったんだよ…、と気が付いてたんだよね。
八尋が失くしたカセットテープを、自分があんなにも必死に探し回ったのは何故なのか。どうしても自分の手で見つけ出したかったのは何故なのか。決して、鈴に「八尋に内緒で探して。八尋の大事なものなの」と頼まれたからじゃなかった。
――― 俺は八尋を喜ばせたかった。「ありがとう、もとむ」って嬉しそうな笑顔にさせたかった。そしてたぶん俺は、八尋を助けられる男になりたかった。八尋に男として見てもらいたかったんだよ、きっと ―――
…だから今度こそ、今日ここで。ずっとヘールシャムの頃から、見つけてあげたかった宝物を、今日こそ…、っていうような、もとむの気持ちが伝わってきたと感じました。
「よーし!絶対見つけるぞ!!!行こう、八尋!!」とかって大きな声で宣言して、男らしく八尋の手を引いてリードして。もとむくんがとっても、頼もしい青年に見えました。彼は自ら新しい一歩を、生き生きと踏み出した。海風に乗って軽やかに。
そして、軽やかすぎて駆け出してしまったもとむの背中に向かって、八尋は「ありがとう、もとむ」と呟く。お礼というよりは、過去から積み重なった万感の想いの「ありがとう」…みたいな口調でした。
そういえば宝岬ではそれまでも、もとむに何度も「ありがとう」を八尋は伝えていたね。
「オリジナルはクズ」に関連するもとむの言動に、ありがとう、と。
学生時代、カセットテープを一生懸命探してくれたことに、ありがとう、と。
たぶんそれに加えて、今日宝岬に来ることになった運命にも、ありがとうと心で言ってたと思います。
八尋は、2年ほど前の視聴覚室で「宝岬には、ゴミにしか見えないけれど誰かが失くした宝物が流れ着く」という雑談をもとむとしたことがあった。
まさか、それを知った彼が当時から「いつか宝岬でテープを探そう」と決めていたなんて。
さらに、今日二人で宝岬にいるのは運命だから、それを2人で探そうと提案しくれるなんて。
そもそも、それを一人で探して見つけてプレゼントするつもりで昨夜から計画してたなんて。
八尋はこのとき、心の中で広げた両腕一杯に、感謝と至福の花が埋まってたと思います。
もとむから迸るように溢れている、八尋のために…という想いをその手で受け止められて。
悩みごとなんて、心の片隅に追いやって。もとむと二人きりの宝さがしのデートを存分に楽しんで。
しかも、もとむのほうからこういう状況を作ってくれた。後で必ず鈴とひどく険悪になることがわかっていながらも。その腕は落ち込んでいる鈴を包むのではなく、八尋のために広げてくれて、その手は八尋の手を掴んでくれたのです。
今度こそ、見失わない。この手を離したくない…と、思ったはず。八尋はもちろん、もとむも。
ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで
あなたがわたしのもとに来るとは思わなかった
あなたを抱きしめられるとは思わなかった
こうやって腕の中に
…………まさにこれですよね!!
そういえば、八尋のカセットテープもこういう運命を辿りました。
宝物にしていたのに誰かに盗まれたのか、手元から失くしてしまった。でも、2年越しで無事にテープを見つけ出します。八尋がかつて失くしたテープそのものか、同じというだけのものかはともかく、宝物のテープがまた、戻ってきた。もとむのおかげで、八尋の手の中に。
…ちなみに、カセットテープを見つけて大喜びする二人の場面は、2幕では見せてくれません。のちのち、「…え…、ちょ、待って…この後にぶっこんでこれ入れるとか、脚本の倉持さんマジ鬼畜の所業…泣かすなよーーーもぉおおお〜!」という気分満載にさせてもらえます…(笑)…。
★折りたたんで続きます。
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…ということで、続きの2幕から。
八尋たちがヘールシャムを卒業して約一年後の冬から始まる。1幕ラストからは2年と少し経過しています。
八尋・もとむ・鈴は3人とも同じ「農園」(←とパンフに書いてあった;;;)に移り、他施設から来た男女達と共に、提供者を介護する「介護人」になるための予備訓練を受けながら、共同生活をしている…という環境。
農園のある場所は都市部から離れた過疎地的な感じらしく、電灯は少なく夜は真っ暗らしい(八尋談)。共同生活舎はおそらくシェアハウス的な感じで、各個人部屋を割り当てられており、テレビや雑誌やカセットデッキ等の娯楽コーナーのある広いリビングは共有。たぶんキッキンや水回りなんかも共有なのかな?と推測。
あと、介護人に必須の『車の運転』を練習するため、ガレージには農園所有の車がある。ここの農園管理人(クローンではない人間だと思う)らしい「カワムラさん(?違うかも;;)」とかいう名前だけ話題に上る。
介護人になる予備訓練とは、具体的にどういうカリキュラムなのかはよくわかりませんでしたが、車の構造や道路標識や交通システム等を勉強&実践するとか、八尋のように論文を書くとか、色々あるようでした。表向きには「農園」という体裁のようだから、適度な運動も兼ねて農作業のお手伝いとかもあったのかな?
(ちなみに、クローンの介護人専用の車とか運転免許とかあるのか、ヘールシャム以外の施設の子はロクに授業とかなかったようだけど免許の一般常識的なものは大丈夫なのか?…とかいう疑問がムックリ沸きましたが、そこは話に重要なところではないので、それはそういうものとしてスルーします笑)
で、そこでのカリキュラムをこなしつつ、異なる施設出身者同士と一緒に生活することで学校とは違う環境の変化に慣れさせつつ、たぶん2年(二十歳までとか?)を限度として、自分の意思で介護人訓練への本格移行(おそらく現役介護人に付いて見習い的なことから始めるとか)に入ると同時に、そこの農園から巣立っていく…的なシステムのようでした。
…あと、なんとなくですが、一つの農園に一つのシェアハウスではなく、同じ敷地内にもう一つくらいあるのかな?と思えました。八尋たちのいるハウスでは、鈴&もとむ(カップル)、リョウタ&アリサ(カップル)、タツヤ、カオリの7人しかいないようでしたが、八尋たちの会話の中に名前だけ出てくる「キョウスケ」なる人物もいたので。
または、他の農園にも出入りすることは可能で、時々は外部との交流もあるのかもしれません。…ということで、把握した設定はこんな感じです。
さて。2幕前半、テレビのあるリビング場面での彼らのやり取りから、判明したことが4つほどありました。
まずは、農園での八尋たち3人の立場が判明。
他施設出身者から色んな意味で「この3人はヘールシャムだから」…みたいな『特別視』的な目で見られているということ。
あからさまに避けているとか意地悪をしているという行為はしていませんが、彼らの言葉の端々から受ける印象は、嫉妬混じりのからかいであったり、憧憬のようなものであったり。
鈴はそういう彼らの態度にも、ヘールシャム然とした姿勢を崩さない八尋にも苛々していて。
八尋は自分のすべきことをただしているだけで、それを揶揄する側の問題とスルーしていて。
もとむは鈴の言動にため息をつき、八尋のスタンスに賛成なようだが余計なことは言わない。
おそらく八尋たちは、ここに来てはじめて、他施設と自分達がいかに違う環境で育てられてきたのかを知って、相当愕然としたと思います。保護官達が何度も言っていた「あなたたちは特別な子供」という意味を、本当の意味でやっと理解しながら。
ヘールシャムから来た3人は、農園では完全アウェーだったでしょう。「新入りさん、ヘールシャムだって」…とヒソヒソと交わされる会話や棘や含みのある視線を受けて、自分達は今後、どんな風にここで生活をしていけばいいのか、思案したと思います。
(…そもそも何故この3人セットでここに振り分けられたのかは説明無かったのでわかりませんが、保護官から見てなるべく仲のいいグループを一緒にしてあげた…とかかな…。…それはさておき。)
鈴は鈴なりに、彼女のやり方で、この共同生活に馴染むための努力をしているように見えました。たぶん、自分が他の共同生活者から「浮いた存在の異分子扱い」されるのが初めてのことで、悔しくて不愉快だったから。
――― そう、わかったわよ。ヘールシャム色から脱却すればいいんでしょ? 真面目に課題なんてやってらんない、また嫌味を言われて嘲笑されるだけよ。面白いとも思えないテレビ番組だって、あの人達が笑うなら同じように笑ってやるわ。それならいいんでしょう!? ―――
…そんな逆ギレ的な感じ。ただ…もしも、彼らが「ヘールシャム出身なんて凄い!いいなぁ!」と本気で高嶺の花扱いをしてきたなら、鈴はそうしなかったと思うのですが。
しかし一方、八尋はあくまで自分のスタンスを変えなかった。周囲にどう思われようと私は私、ありのまま…という凛とした理知的な態度で、彼らに迎合しようとはしなかったようです。
そういう八尋は共同体から確かに浮いてはいるけれど、彼らからは「そういう子なんだ」という認識を自然にもたれているようで、嫌われている様子は無い。適度に会話を交わしたり、タツヤに熱心に口説かれたり、キョウスケなる人からもモテている模様。
こんなふうに八尋が完全にハブられなかったのはたぶん、もとむがさりげなく橋渡しをしたおかげじゃないか、と。
もとむは冒頭のシーンで、「こっち来いよ八尋。お茶でも飲んで(論文書く作業から)休憩しなよ」とかリビングの団欒に八尋を誘っていたのですが、おそらくそういうことをちょくちょくやっていたんだろうな、と思えました。当たり前のように八尋に温かい飲み物を淹れてあげたり、ソファに座った八尋の隣にサッと腰かけたりして、八尋が皆との会話に加われるように気を配っている行動をとっていたので。
……あ〜〜〜……お…大人になってる…。あの、もとむくんが…こんなに立派な青年に…!!
ホロリ…祝い酒もってきてー!(気分は田舎の親戚のおばちゃんですな・笑)
この農園では、同居仲間と距離を広げがちな八尋を、もとむがフォローして助けていました。たぶん意識的に確実に。
その大きな理由は、こちら側にもあとで推測できるようになっているのですが、彼なりに、ヘールシャムのときにいっぱい助けてもらったことへの恩返し、というのも行動の要因としてあるのかもしれません。
そんなふうに、もとむがすごく大成長していることも判明。
しみじみと時の流れを感じましたが、そもそも彼らの外見もだいぶ様変わりしていました。
八尋は、左右サイドの髪を後ろで束ねたロングヘア。 (5/27訂正;;カチューシャをして背中までのロングヘアをサラリと揺れしていました;;;)大人で知的な感じです。渋い色のコートに膝丈スカート。まるでOLでもおかしくないような雰囲気。
鈴は、ポニーテールヘア。紺色のフリースっぽいコートにデニムジーンズに派手なマフラー、カジュアルな服装。
もとむは、黒のコートに、薄カーキ色のパンツ、グレーのマフラー。前髪を少しあげていて、オデコが見える。…カッコイイ!なんというビューティホーなイケメン!…話の筋には関係ないけど(笑)
そしてなにより、外見や言動よりも、もとむが大きく変わった点は、その佇まいでした。
鈴のように馴染もうと努力しているようにも、八尋のように自分スタンスを崩さない強さがあるようにも見えませんが、少なくともその場で浮いてはいない。目立ってもいないけど、なんとなく、気が付いたらそこにいる…みたいな。馴染んでいるというよりは、感情の起伏を押さえて気配を消して、ステルスマント的な薄い膜を被ってそこにそっと居る的な感じ。
これが大人になったということなのかもしれないけど、2幕冒頭のもとむは、ヘールシャム時代での少し不安定ながらもとっても少年らしいオーラを漂わせ、感情豊かに純粋に、怒ったり拗ねたり笑ったり喜んだり、キラキラと輝いていた瑞々しさが、すっかり消え失せたかのように見えてしまいました。
リビングに八尋たち3人だけになって、鈴が八尋に「私はヘールシャムです、みたいなアピールもうやめたら?」と攻撃的につっかかり、もとむにも「八尋と仲良くして私に冷たくすることで、ヘールシャムアピールしないで!!」とか責めてきても、もとむは反論らしい反論はぜず、グッッと言葉を飲みこんで、ため息をつくように顔を伏せてしまったり、口実をつけてその場を離れてしまったり。
なんだか、相手のことを慮って一歩引くというよりも、――― 俺はもう、鈴と口論したり揉めたりすることにもう、ほとほと疲れたよ。だから面倒なケンカもしたくない。しそうになったら、離れてクールダウンする。…そんな風に見えました。
そういえば、ソファに座ってTV見て大笑いしている鈴のすぐ隣りに居ても、もとむは口数も少なく、表向き用みたいなうっすらとした微笑みのこわばった表情しかしなかった。まるで鈴とは、薄くて堅い透明のベールで隔てられているかのように。…なんというか、ATフィールドみたいな…。
一方、八尋に話しかけるもとむの表情は柔らかく温和で穏やかで、楽しそうに見えた。八尋をフォローすると同時にもとむも、八尋と過ごす時間を持つことで癒されているような感じで、とてもいい雰囲気でした。
例えば、カオリやアリサから、「ねぇ鈴、気を付けないとそのうち八尋に彼氏奪われちゃうんじゃない?」…なんて言われていたかもしれない…と想像するくらいには。
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感想のようなものの続きとして、2幕3幕のことを…という思いが募りつつも、その前に。
舞台は公演回数を重ねるうちに、演出を変えたり演者のお芝居が変わっていったりするので、千秋楽直前の公演も一応押さえておいたのですが…。うん、やっぱり大正解!!!でした。
セリフも場面も全く変わっていないのに、役者のセリフの言い回しや感情の込めかたや表現の仕方、台詞と台詞の間に見せる表情な間などが少しずつ変わったみたいで、まるで違うお芝居を観ているような印象を受けました。
…あとは、舞台のストーリーが私の頭に最初から入っていたことと、自分なりに感想を(途中までだけど)書いてみた後に観たからかもしれませんが、前回の公演では私が理解できなかったり感じることが出来なかった色々なことが、より読み取れたような気がしたせいもあると思います。
それから、自分の中でいまいち曖昧だった1幕の時間設定がもう少しはっきり把握できました。
一幕後半の視聴覚室でのやりとりで「来年の秋にヘールシャムを卒業」「ヘールシャムにあと一年しかいられない」とあったので、ヘールシャムの学年は秋開始制度で、その時点で彼らは高校2年の終わりの夏の終わりごろくらいのようでした。
そして女子寮密会を「去年のできごと」と八尋が言っていたので、あの時点の彼らは高校1年の春くらい? 教室大暴れ時点では中学3年の春くらい?だったのかな〜と改めて把握しなおしました。
ということで、1幕だけで約2年半くらいの時間が流れているということですね。
ではでは、今回観劇して「あ…前とは違う印象受けた、そうか、そうだったのかー!」と感じて改めて解釈し直したことを、今のうちに書き留めておきたいと思います。
まずは、鈴ちゃんのこと。
彼女が言ったことをよーく聞いてみて、「距離感」というキーワードが引っ掛かりました。
鈴は、八尋も自分ももとむとはしばらく話もしていなかったのに、酷い癇癪起こしたもとむを八尋だけが助けようとして、私は助けなかった、八尋だけがシャツのことを知っていて、私は知らなかった…ということをやけに拘っていました。
今まで、八尋ともとむ・鈴ともとむの間にある距離感は同じだったはずなのに、鈴の知らない間に八尋ともとむの距離感が変わっていた。そのことが、とても気に入らないという様子でした。
だから鈴も、彼らの間で変わったらしい距離感に急いで近づけるべく、体育の授業に遅刻してでも、もとむに絡んで話をしたのかな。キツイ正論込みの言葉のシャワーを浴びせ、攻撃的な物言いで相手を追い詰めるような、鈴らしいやり方でしたけど。
…うーん。なんとなく、ですけど。
鈴は、「誰かと八尋の距離感」を自分も模倣することで、自分の居場所を作ってきた子だったのかな…という気がしてきました。
例えば。クラスメイトのAちゃんが、八尋だけに悩み事を相談したとします。Aちゃんと八尋の距離感が変わる→目ざとく鈴が感じる→鈴がもとむに言ったように「八尋とどんなことを話したの?私にも教えてよ」とAちゃんに言う…「私は八尋の親友なんだから、大丈夫、一緒に力になれるわ」…なんて言葉を駆使して。そうして、鈴もAちゃんとの距離感を変える。これで、Aちゃんと八尋、Aちゃんと鈴の距離感は同じになる。
それと、トキオ先生のこと。
彼が贔屓…というか一目置いていたのは本当は、まさにヘールシャムの象徴であるかのような理知的な八尋のほうだったんじゃないだろうか、と。そして八尋の方も、トキオ先生はステキな人ね、とかって憧れめいたことを言ったとします。そういうことになって、鈴ならば、どんな行動をとるだろうかと考えると……。
例えば。トキオ先生のところに一人で行って、「八尋はもう何度もマダムに作品を選ばれているのに、私はまだ1回だけ。情けなくて恥ずかしいです。このままじゃ、八尋に呆れられて親友でいられなくなります。次の作品はどうしてもマダムに選ばれたいんです。私の作品のダメなところを教えてください」…なんて泣きつくとしましょう。
へールシャムの保護官としては、生徒にいい作品をたくさん作らせるのが仕事ですから、図工や課外授業(外で風景画を描くとか?)で、特に鈴にちょっとしたアドバイスなんかをしたりするようになる→周囲にはトキオ先生が鈴を贔屓しているように見える。そして鈴も「トキオ先生って素敵ね」とか言い出す。…これで、トキオ先生と八尋、トキオ先生と鈴の距離感は同じになる。
…どうでしょう? 鈴って今までも、こんな感じのことを延々と続けてきたんじゃないだろうか、と思えてしまいました。なんでそんなことをするのかといえば、独占欲プラス、「自他境界」がまだ確立できてない女の子だから…という感じでしょうか…。
たぶん鈴は、距離感が八尋と同じでなければ嫌だった、私以外の誰かと八尋の距離感が縮むなんて我慢ならない…っていう少女だったんじゃないかと。
そうして、クラスメイトの男子が色気づいて八尋にちょっと視線を送ったり構ったりすれば、いち早く鈴が気付いて、鈴がもとむにしたように、話しかけて構ったり、相手の髪の毛を耳にかけてみたり腕を絡めたりして、その男子の気を八尋から引き離すこともしていた…ような気がする。
つまり、そういう距離感の共通性で自分と八尋の境界線をぼやかしていた。鈴は八尋みたいな子になりたかったのかもしれない。そうして、八尋と誰かが築くかもしれなかった人間関係、「誰かと八尋の距離感」を自分も欲しがって、そこに割って入る場所が、鈴の居場所だったんじゃないかと。
ただ、成長するにつれて自我も確立してきて異性をより意識するようになったりして、自分と八尋の間に明確な境界線があること、全く別の違う人間の個体であること…という現実に目を向け始め、八尋は八尋の、自分は自分の人間関係があっていいのでは…と思うようになれたのでは、と。
そこで鈴の1幕登場シーンにある「もっと現実に目を向けないと!」「私はトキオ先生を諦めるけど、八尋にも皆(トキオ先生に憧れているらしい?)にもそれを強制しない」というセリフじゃないか、と感じました。
★折りたたんで続きます
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原作でのキャシー、トミー、ルースの描写は一応読んでいますが、それにあまり捉われず、舞台の3人から感じたことを少し書き留めておこうと思います。
なので、「いや、原作ではそうじゃなかった」という解釈や想像や推測がいっぱい出てくるかもしれませんが、あくまで「八尋、もとむ、鈴、と名前を変えた設定の舞台を見て」感じたことなので、…へぇ、そういう考えもあるのか〜、的な感じで読み流して頂けると幸いです。
まず、 【鈴】と【鈴と八尋】について。
私から見て鈴は、プライドが高くて自分の不安や弱い部分を他人に見せたくない子。自分の思い通りに事を進めていくために、真偽入り混ぜた言葉を武器に使えてしまう子。誰かに特別扱いされたいという願望がある子。…なんというか、普通によくいる思春期の女の子という感じがします。
1幕前半、教室にて。クラスメイトの女子達(八尋含む)に「鈴は保護官のトキオ先生に贔屓されている」と話題にされ、鈴はすごく嬉しそうにして自慢に思っているようでした。鈴の持っている綺麗な缶の物入れが、本当は『販売会』――生徒が優秀な作品を作ったら貰えるチケットで<外>から持ち込まれた物を買うイベント――で買って手に入れたものなのに、クラスメイトの「それはトキオ先生から貰ったものでしょう?」という勘違いを利用して、そう匂わせるようなことを言ったり態度をとってしまったりするほど。
その後、八尋と2人きりになってから、八尋に「販売会購入リストノート」の中身を偶然見るチャンスがあり、誰が何を買ったのか知ってしまった…ということを聞かされ、ひどく動揺する鈴。八尋は「あの子たちが勝手に勘違いしただけ、貴女は悪くない」と言いつつも、言外に鈴にやんわりと「今後は缶のことについて含みのあるような言葉を重ねないほうがいい、バレたら恥ずかしい思いをするのは鈴だから」と窘めた。それを瞬時に理解し、ガクリと膝をついて座り込み、子供のように泣きだしてしまう鈴。
そんな鈴を、八尋はそっと抱きしめる。泣かないで…と囁いて。
私には、そのときの八尋は、子供の失敗を責めずに優しい言葉を掛けながら慈しむように抱きしめる母親…のように見えてしまいました。
おそらく八尋は、そのことを誰にも口外しなかったでしょうし、その件で鈴をからかったり見返りを要求するようなこともなく、風に飛ばすように水に流すように、二度とそのことには触れなかったんじゃないかと思います。
1幕後半、視聴覚室でも、<外>の広告チラシを私物として持っていた(※おそらく校則違反なのでしょう)鈴が晴海先生に呼び出されたとき、おそらく八尋も一緒に来て、それをいかに偶然入手してしまったかを、鈴に落ち度はないことを説明して、鈴を護ろうとしていました。
1幕の舞台で観れたのはその二つですが、おそらくこんなふうに今まで何度も何度も、鈴にとって少しマズイことが起こりそうなとき、八尋は鈴のことを自然にさりげなく護っていたんじゃないかと思えました。それに鈴は、気に入らないことがあると自分が傷つく前に相手に攻撃的な物言いをしがちのようだったし、クラスメイトや保護官と時々不穏な事態になることがあったんじゃないかと。
そんな鈴の性格をよく知っている八尋は、鈴のことを何度も助けていたと思います。でも、八尋の方は「鈴に何かしてあげた」という意識はあまりなかったような気がする。そうして、八尋はそれを鈴に恩に着せるようなことは一切せず、ただ…「友達だから」と、無償の愛情のような微笑みだけで、それが当たり前であるかのような佇まいだったんじゃないかなぁ…と。
原作でのキャシーはもうちょっと違う感じなんですけど、多部さんの八尋には、そういう包容力みたいなものがありました。
多部版八尋は、賢くて聡明で朗らかで誰にでも優しいから頼りにされ、なんとなく周囲に一目置かれているような雰囲気がした。きっと、彼女の作品はとても素晴らしい出来栄えのものだったんじゃないだろうか、と思えるほどの。
…そんな八尋が、何故か特に、鈴にいつも手を差し伸べる。自然にさりげなく。
――― 私は八尋の「特別」なのだ。私だから八尋はそうしてくれるのだ。
鈴はそういう自信みたいなものがあったのかもしれません。ただ、どうして八尋が鈴にそうしてくれるのか、「友達だから」なのか、実はよくわからないという不安も同居してたような気がします。でも、とにかく、今の鈴には八尋という存在が傍にある。
困ったときには、あの人がいるから大丈夫。あの人は私の味方。あの人は私のことをわかってくれている。あの人なら私を許してくれる。…的な、安心感みたいなものが。例えるなら、子供が母親に感じるような理屈じゃない無条件の安心感…かなぁ。
家族のいない…というか家族というものがどういうものが知らない鈴にとって(…もちろんヘールシャムの子たち全員に家族はいませんけど)、友達という関係を越えた繋がりを感じられる人――八尋はずっと自分の傍にいてほしい存在だったんだろうと思います。
★折りたたんで続きます。
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