スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

エスペラント語「希望する人」

 世界中の人々が
 わけへだてなく
 同じ言葉で話し合うことによって
 争いをなくすことを
 目的としてつくられた言葉。

 どこの国の言葉でもなく、
 誰の言葉でもない。

 人と人との争いを
 ただなくすためにつくられた言葉。

 1887年に、
 だれでも簡単に
 学べるようにと、
 語学を学んだある医師が
 つくりあげた。

 でも

 いま、

 わたし達はそれをしらない。

 その意志を、
 いきさつを、
 起源を、
 その人々を、


 現在世界の人口は、
 約68億人。
 エスペラント語を
 話せるのは
 約100万人。

 争いは、
 おわっていない。

 今おきている
 戦争の数は
 わからない。
 
 戦争より
 紛争の方が多いとか、
 終戦したのではなく、
 休戦しているだけだ
 と言う人もいる。

 彼らの想いを、
 わたし達は知らない。

 争いは
 終わらない。


 生きたい。
 死にたくない。
 生きてほしい。
 どうか殺さないで。

 きっと
 もっと
 たくさんの、
 いろいろな想いのもとで
 つくられ、
 学び、
 使われた言葉。

 そんな言葉を、
 知らない。

 とても悲観的。
 こんな言い方。

 でも
 知らないの。
 知らなかったの。

 この世界で、
 ただもがいたって
 何にもかわりゃしない
 この世界で、
 世界を変えようとした。
 そんな人がいた。

 そんな人を、
 知らない。
 なんて、

 世界を、
 この星を
 動かすような、
 そんなでかい
 野望は持っていない。

 小さな、
 ほんのちっぽけな
 野望なら持っているけれど、
 そのさきにあるのもを
 わかっているから、
 かなえる気はない。

 そうやって
 逃げている
 だけだけれど。。

 世界を変える
 自信なんてない。

 だいたい、
 その可能性を
 信じていない。

 でも、
 エスペラント語をつくった
 彼らの意志を
 受け継ぎ、
 後世に伝えようとする
 人たちがいる。

 そんな人たちの
 一員に、
 なれたらいいな
 なんてこと、
 思ってる。
 考えてる。


 ダルウィーシュって
 詩人の言葉、

 わたしは伝言であり、
 それを運ぶ使者、
 短い住所であり、
 音信である。

 
 悲しいけれど、
 そのとおり。

 あたしたちは
 ながい時の中の
 歴史の一つ。

 きっとたぶん、
 とても小さな存在。

 でも、
 それが大事。

 大きなものをつくるには、


 いつか、
 あたしたちの
 生きた時代が
 歴史の教科書にのる日がくる。

 そのとき、
 世界は
 あたしたちの時代を
 どんな風にとらえるんだろう?

 悲観的な言葉ばっかり
 ならぶのかなぁ?

 もしそうだとしても、
 教科書には
 のらなかったとしても、
 争いが終わっていなかったとしても、
 これからの未来へ向けて、
 今この時に、
 何かしたという記録を残したい。

 未来の平和を願って、
 世界の幸せを願って、
 何かした記録。


 小さくても、
 くだらなくてもいい。

 あたしにできること
 何か、
 みつけられたらいいな


prev next