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甘えかおごりか

まだ私は理解を求めてるんだろうか。


わかってほしいという感情を、端では嫌悪してるのに。

すべてのひとにわかってほしいというのではなく、ごくごくわずかのひと。

でも、それが数でないとしたら、やはりそれは烏滸がましく子供じみた仕業で。



認めてほしいも知ってほしいも子供の感情。

それがなかのいいひとであってもなくても、それは私の子供じみたずるさというかワガママで。


それが嫌で、疑問で、誘いすらかけられないのだから、それは、無駄な葛藤になるんだろうか。

深く交流するひとに、求めるということはどんなこともワガママで片付けられることなんだろうか。

いずれも、それが正しいのだとは思わない。


ただ。


私を知っているひとに、妊娠のことを知らせたくなくて、事情を知ったなら、むしろ所定の情報を知らせたいと思うのは、まぁ、確かにワガママかもしれない。

感情を強要するものでもあるから。

世間一般の喜びを喜ぶなというのは、まず酷だし、それは私もよくわかる。

だからこそ、誰にも言いたくなかったのなら、永遠に口を封じて笑ってればいいわけで。



私はただなにも言わないで笑ってればいいんだろうか。

言いたいことは、私を知らない以上、知ってほしくないことでもある。


誰も不幸せにならない方法は、口を開かないでいること。

中途半端な関係にオモイハナシは要らないよね。


幸い、言わずにすみそうではあるけど、そのうち、距離が開いて、ずっと言わないでいる関係に収まるかもしれない。

優しいひとには涙は不要だ。



まだまだ、私の事情は伏せていていいだろう

支離滅裂

今日が、流産手術。


あれから、ゆめに謝罪だけでなく感謝もできるようになった。

さっきもごめんは繰り返したけど、いつまでたってもそれじゃお互い新しい人生は歩めないから。


またいい形で、巡り会いたい。


いつか。

死んだあとになるかもしれないけど。



ゆめ。


ありがとう。


ちなみに。

手術で体外に出されるものは、一部は検査で使われて、後はやはり処理されるんだそうだ。



弔いとかはやっぱりないんだな。

死亡届けすらない。
人間の扱いじゃないんだ。
それを私はとがめたりはできない。

だから、代わりに?
お葬式じゃないけど、新しい旅立ちができるように。やりたいことはある。

そのために買ったもの。
写真だけ、載せてみる。




お話変わって。
今、手術がしやすい状態にするための処置を受けて、点滴をうけている。

頭がいたい。

下肢も鈍い痛みが続いて、正直動かすのがしんどい状態。

でも、処置を受けるとき。
これはゆめが受けた痛みを私が受けてる、報いなんだとそう思ったら。

仕方ないと思った。

全部、自分がいいように納得する言い訳なんだとはわかってる。

でもさ。
なにもできないでごめんねは、ずっと私の中にある感情。


ごめんを引きずったままだと、お互いきっといいスタートは切れないと思うから。
痛みを正当な報いとして、受け入れよう。


そう思わないと、痛みに弱い私はほんと、どうしようもないから。

結局は自分のためなんだよね。

自分勝手だわ。

ただ、何かしたかった。
何もできなくてごめん。


この思いは事実なんだけど。


なんて。

頭とお腹がいたくて書いてる内容が支離滅裂。


少し眠ろうかな。



午後イチの手術に備えて。

私には私のできることを

最近毎日夢をみる。

見るたびに暗示をネットで調べる。

すると、新しい吉兆がちらと見えたりする。

まだ試行錯誤。

でも、ゆめに教えられたこと。
真剣に考え始めた私なりの企画、提案を形にしようと思うのだ。

やれることはやれるだけ。
私には、理想を現実にするための実行力も形にするだけの技能も人脈もない。
ならば、そこからはやれる人に任せればいい。

私には企画を形にして託すことまでしかできない。

自分のできないことは、自分を限界まで追い詰めてまでがんばる以上に、手を伸ばす。
もういやというほど学んだ。

燻るより行動して、できることまで。


やりたいことの形が起業までいかないだけで、段階は違えどやってみる価値はある。

私のやりたいことは、ビジネスじゃない。
だけど、潜在的なニーズがきっと溢れたものだから。
託したら。
後は御上次第。
でもそれでいい。


お蔵入りになっても。
私ができることは、そこまでだから。


私のできることは本のわずか。

それが、私の生きざま。人生。

でも、無駄じゃない。

やるだけの価値はきっとある。



やってみないとわからないよね。


企画書が終わったら、エンディングを考えよう。

今は不思議と死を待つことに恐怖がない。

大人の塗り絵

初めてやってみたけど。

私は不健康なんだろうか。

すごい配色だ。


赤ずきんです。
似ても似つかぬこの色。

万歳青頭巾。

病気だなもはや

木にまともなのがない

神様、ご先祖、に、報告

今日は主人の実家で迎え盆だった。

飾りの置き方も地方によるみたいで、並べ方がわからないから、ネットなんかを参考にしたけど、後で見たら、手直しされていた。

お迎えの時は、周りのお墓を見てはいけないとか、お迎えの行きと帰りは違う道で、とか、本家生まれの家で育ってない私にとっては、昨年初めて経験した迎え盆で面食らうばかりだったけど、とりあえず今年はやれるだけやって、後は義理のお姉さんの子供と遊んで過ごした。



稽留流産だろうと言われる2日前から、確かにあれほど酷かったつわりは弱化した。

それでも、頭痛と吐き気は残っているから、それはまだ「いる」証なんだとは思ってる。

でも、気持ちの上でもう私は、ゆめの魂が母体にはないと考えてるから、前ほど自分の体に気を遣わなくなった。
ネットで取り寄せた葉酸サプリも飲まなくなった。 

あれから散々泣いて。

その後。
ゆめがいい方向に行けるようにと。
お世話になってる神社に、私は主人と行くことにした。


11日。

ひさびさに行った神社。

手水を終えて。
拝殿に向かう門をくぐった瞬間。



不意に、「 死んでますよ」と娘娘に言われた。

え、と面食らって言いかけて、すぐ私は口をつぐんだ。

「神さまが言ってました。ゆめちゃんのことだと思います」

「…そっか。そうだよね」

「神さまが言ってました。「分かってます」って。もう全部わかってるそうです」と続けられ、私は何も言えなくなった。

そうだ。 
神さまはいつもお見通しだから。 

「神さまにお願いしてくる。ゆめのこと」 

静かに呟いて、私は、拝殿に向かった。

かつて、拝殿に向かうあの門をくぐる度、理由もなく急に涙が出たり、娘娘に神さまが何か言ってる、と色々聞かされたりしたけど。
これほど心臓に重く乗った言葉は、あまりなかったと今思い返す。

主人の後に二礼二拍手をしてから、手を合わせた時。

私は、参拝ができなかった謝罪、妊娠報告と、ゆめの紹介。
そして、生死に関わらず、ゆめをいい方向にお導きをとのお願いをしてきた。


かつて、憑かれたとき。
上総さんに神社で神さまにお願いする方法を教えてもらった。
神さまに初めて、正式な参拝をして、憑いていた女性を神さまにお願いして以来。


何かあるたび。
ここでは お世話になってる。


体の異常が消えたとき。
私は多分初めて神さまの存在を強く感じた気がする。

その神社で。
あのストレートな娘娘のセリフを聞いたら。

ああ、と納得もする。


娘娘いわく、神様がわかってる、とおっしゃるその心は、報告してるうちに、私が泣き出すだろうと配慮しての神様の配慮だったようだが。
わかってても、お願いするのが、たぶん私の役目だと。

私は神様にお願いをした。

目頭は熱くなったけど。
無事。お話はできた。




その神社での一件を経てのお盆。

神社でゆめのことをお願いしてから、娘娘は、ゆめちゃんが少し遠いところにいるから、わからなくなったと言い出した。
要は、今近くにいないのだ。

でも、まだ、私の体には肉体はいるわけで。


だから、一応魔除けの鏡を腹には据えた。
あくまでも念のため。

昨年、墓まいりに行った後、「連れて」来てしまったから、余計だった。

神社でお祈りをしてから、不思議と感情の重たさと辛さ、涙は、落ち着いてきたけど、やっぱり、ご先祖にゆめの報告をする時は泣きそうになった。

妊娠しているが、無事に生まれるかわからないこと。
もしそちらに行くことがあれば、よろしくお願いしますと。

そう伝えた。

義理の姉は、妊娠8ヶ月。

義理の姉同士が、生まれてくる子のための準備をたのしそうにしているのを見るのが、少し辛いのは、きっと仕方ないこと。

ただ。

妬みではあってほしくない。

一瞬でも暗い気持ちで義理の姉の腹部を見てしまった自分が、怖くなった。


このタイミングで。


義理の姉と対面するのは。

少し、複雑だった。
それだけだ。



だから。
ずっとご実家にかけられているご先祖様の肖像画が、報告が終わったとき、そして帰る挨拶をしたとき。
その表情が、悲しそうに歪んで見えたのは、気のせいだ。


いつもは、怒ってるように見えたから。


少し、驚いた。


でも、思う。
報告した子供は。
この本家の唯一の直系。長男の子供だから。


私は、ご実家に帰っていらしたご先祖様に、辛い報告をしてしまったのだ。


でも。
今生きてる人たちに、この報告はできないから。




申し訳ありません。





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