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韓流が日本から完全に消滅

中国のメディアによると今年韓国のアーティストいわゆるK−POPの出場がゼロだったということで去年と合わせて2年連続0になったようです。政治的な問題や世界中で嫌がらせをしている韓国のやり方、韓国に行きは日本人限定でタクシー料金もぼったくられたり、性的な暴行に巻き込まれたり、大統領か世界中を回って日本の悪口を言いまわっていたり、韓国の留学生などが世界中で反日キャンペーンいわゆるディスカウントジャパンと言われる日本を貶める行為を世界中でしているということがニュースやブログまとめサイトなどから日本人にばれてしまったというのもあり日本の中で韓国韓国人嫌いというのが最近特に増えてるようです。

そういうのもあり中国のメディアなのでは日本で韓流が完全消滅するのは時間の問題ではないかという風に分析しているのです。確かに日本人は熱しやすく冷めやすい。民主党政権の少しの間だけ韓流というものが認知されたのだからいいのではないでしょうか。

さんざんしたい放題やり放題やってきたツケが今頃回ってきたということでしょうか。もともと日本人は自分の国以外には興味を示さない国民性ですからもともと成れるのは時間の問題だったかもしれません。

手作り品の販売サイト

ネットの広告で、何かの偶然で手作り品の販売サイトに出会った。素人の手作り品というのは、よほどクオリティが高い物でなければ食指が動かない。どこか素人くささが残っていると、作者の手垢まで残っているような気がして、変な生々しさを感じてしまうからだ。

人が作ったものがダメだという潔癖故というわけではない。本当にダメなら、ケーキ屋さんのケーキなんてパティシエが作っているんだから食べられるはずがないじゃない。それはない。

でも布小物やアクセサリーなどは、こちらが想像するより先に作者の痕跡が見えたり感じられるのは、既にお金を払っているのに完全に自分の物になっていない気がして、たぶんそういう感覚がダメなんだと思う。

その販売サイトに出ている個人作家さんの作品は、みんな玄人はだし。見ていて思わず買いたくなるようなものばかり。自分のお店やHPを持って販売する方法もありだけど、こういう形で作家として腕を磨くっていうのもいいんだろうなと思う。

島倉千代子さん

島倉千代子さんが亡くなった。75歳だったという。TVの露出の多い人だったから子供の頃からこの人の事は知っている。演歌歌手だという事も、誰に教わるともなく知っていた。それにとても苦労をしている人ということもなんとなく知っていた。

子供の目で見ても、なんかいつも負を背負っているというか、何もしらないお嬢さんが騙されまくって苦労しているというかそんな感じ。それに対して怒りも絶望もあっただろうに、投げ出すことをせずひたすら責任を負ったのだった。

自分が大きくなって島倉さんの人生を知って、自分の感覚は子供ながらに間違っていなかったと思ったものだ。こんなに苦労をしたおして、幸せな事はあったんだろうか。多分、あったから苦労を乗り越えられたと思いたい。

すごくすごくいい人だっただろうと思う。彼女を踏みつけて生きた人に、少しでも後悔してもらいたい。彼女は望んでいないだろうけれど。

ご当地飯グランプリ

ネットのニュースのすみっこに小さく「ご当地飯グランプリ」とあったので開いてみた。初代は宮崎県のチキン南蛮だという。そうか。

チキン南蛮大好き♪って、宮崎県のご当地飯だったんだ!知らなかった。でも言われてみれば「南蛮」とかついているし、古くから何かと外国文化が入ってきている長崎が近くにあるからなるほどと思わないでもない。じゃなんで長崎のご当地飯じゃないんだ?という矛盾が無くはないけど^^;

宮崎は鶏(地鶏)が名産だということで。このコンテスト?は今回が初めてのようだけれど、順調に回を重ねて行けば、地域活性化に一役買いそうな感じだ。

こういうのを開催するに当たっては、スポンサーだとかジャッジマン(審査員)の確保とかいろいろ都合をつけなければならないものが多いと思うから、是非頑張ってー!穴違い 彼女の姉にうっかり

無かったことにすること無かったことにすること

「無かったことにする」ことで、次に進めるという事もある。でも、きちんと向き合ってたくさん考えて、その末にという条件付きだけれど。大体無かったことにしたいことって自分にとって都合の良い事ではないから、その部分に対して目をつぶってなかった事にするのはまずい。

それをしてしまうと、きっとまた同じ事を繰り返す。自爆ならいいけれど、人に迷惑をかけるのは2度目はなんとしても避けたいところだ。過ぎてしまった事をあれこれと思い悩んだところで、過去形になってしまった「既に起こった事実」はどうにも変わらない。

でも本当に対策のとりようが無かったのか、自分の落ち度を見出して次に活かそうとその部分をきちんと心に留め置いて、後の事は無かったことに。余分な部分を引きずって肝心な部分が見えないのもいけないものね。
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