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麗しと犬歯




 窓辺で本を読むノボリは絵画に描かれた人みたいだ。窓枠には灰色の空がはまってて、透明な雫が窓をさらさら伝ってる。それを背景にボクとおんなじ顔した兄弟は、分厚い本のページを繰って鎖みたいな長い文章を追う。紙の上を視線が滑ってく様はアイススケートのそれに似て、なめらか。
 その昔、初めて作られた映画と呼ばれたものは、一コマ一コマ手描きで描かれた人間がにこにこ歩く姿が、延々映し出されるというものだったらしい。コマの始めと終わりを繋げてるので、フィルムは延々回り続けるわけだ。
 もし、今ボクの目の前に広がる絵画と化したこの風景がそんなフィルムになったとしたら、ボクは飽きることなくずーっとそれを見てられるだろう。
 おっと、急にノボリが顔を上げた。

「先程からずっと私のことを見ていますが、何か話したいことでもあるのですか?」

 不思議そうにボクを映す瞳から、ぼんやりにんまりしたボクの顔がまっすぐ見える。

「なんにもないよ。見てたいから見てるだけ」
「はぁ。私の何がそんなにおもしろいのでしょう」
「おもしろいとかじゃない。見てたいから見てる、それだけ」
「左様で御座いますか」
「さよーでございマシ」
「ふふ。おかしなクダリ」

 唇をかすかに震わせて、華奢な言葉を落っことす。ノボリは使う言葉が繊細過ぎて、部下の一部にオンナオトコとか、乙メンとか呼ばれてて、オカマ疑惑もかかったりしてる。本人はそんなこと全く知らない。

「雨、やまないねぇ」

 ノボリは後ろの窓を肩越しにちらっと見て、

「紅茶でも淹れましょうか」

 本を閉じた。栞も挟まず。

「ボク、レモンティーがいい」
「はいはい。分かっておりますよ」

 ほどなくして出された紅茶には輪切りのレモンが浮かんでて、ギアルの形の砂糖が二つ添えてあった。デパートで可愛いって、ノボリが見つけたお砂糖。
 ボクは紅茶に入れずに口の中へ放り込んだ。甘い甘い。
 ノボリの紅茶はミルクティーだった。グレー・ダージリン。カップの取手に指はつっこまないで飲む。伏し目がちに喉を動かし、お上品。

「ノボリの手ってキレイだよね」
「え?」
「白くて細くて、優しくって、ボク好き」

 ぽかんとした表情のあと、ほーっと頬が赤らんでくる。それから照れ隠しに、

「なんですか、急に」

 ボクは意味ありげな目で片割れを映した。
 視線で全身をねぶられるノボリは、目すら合わせられないようで、栞を挟み忘れた本を落ち着きなくぱらぱらさせる。

「ね、ノボリ……」
「あ、あの、だ、ダメですよクダリ、まだ夜にもなってな」
「紅茶おかわり」

 わざとノボリの読みを外す言葉を投げつけた。

「だめ?」

 小首を傾げると、ノボリは恥ずかしそうに視線をそらしながら、黙ってボクのティーカップを取った。ティーカップにはまだだいぶ紅茶が残ってる。冷めたわけでもない。それでもノボリはなんにも言わずにそれを持ってキッチンに引っ込んだ。
 ボクは一呼吸分の間を置いてからあとを追う。
 ノボリは調理場の前でレモンが沈んだ飲みかけの紅茶を飲み干していた。なぜか左手で。ノボリは右利き。でもボクは左利き。双子だけど利き手は反対。取手付きのカップで飲むと、縁に口をつける位置は正反対になる。つまりノボリは、

「間接キス」

 呟いた途端、ノボリはびっくりした拍子にすごくむせた。「ああごめんごめん、大丈夫?」謝りつつ、げほげほせき込む背中をさすってあげる。

「だ、大丈夫です、もう平気です」
「間接キスでいいの?」

 錆びた歯車みたくぎくっと硬直。構わず続けた。

「ノボリ、それで満足なの?」

 唇を引き結んで、うらめしげに睨めつけて、

「あなたは、本当に意地の悪い……」
「ボク、何もしてない」
「白々しい」

 正面からボクと向き合い、唇に噛みついてきた。勢いついた前歯がボクの唇を切る。舌は内側から頬を突き破りそうなほど暴れる。共食いのようなキスに脳の奥がとろけだす。ハシタナイ欲望が鎌首をもたげてくる。やっと離れた舌と舌はぬめったい水糸で繋がれて、

「欲しいのはあなたの方でしょう?」

 理性と一緒に事切れる。

「あはっ」

 ぎぃ、と犬歯をむいて、今度はこっちが襲う番。すぐ横の壁に追いやり、口を吸い舌を食んで、股の間で固くなったものを押しつける。
 躾のなってないバカ犬みたい。ちょうだい、ちょうだいって。

「いぬ」

 どうやらおんなじこと思ってたらしい。片割れがぼそっと呟いた。ボクは「わんっ」と鳴いて床にノボリを転がし、喉笛に歯を立てた。
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