飛び下りる夢を見るのです。
と、ノボリは言った。
最近ぼんやりしがちだった兄の言葉は、忙しくペンが走る音のする執務室にポン…と落ちた。
「貴方とよく食事に行くデパートがあるでしょう。あそこの屋上からです。気づけばそこに向かって階段を上がっているのです。不思議なのは階段を上がっている最中、息は切れるのですが足は全く疲れてこないことで……まぁ、とにかくそれで屋上まで行って、給水塔の梯子を上って、そこから」
「飛び下りるの?」
ボクが言葉を継ぐ。
書き損じた書類で紙飛行機を作って、片割れに向かって飛ばした。キレイなアーチを描いて飛んでいく。ノボリは紙飛行機の先端を前歯で噛んで受け止めた。ボクはとっさに黒ヤギさんを連想した。
「そうです」
黒ヤギ兄さんは紙飛行機をボクに向かって投げ返した。へろへろ覚束無い飛び方をしてボクの机に墜落する。
「飛ビ下リル夢ハ変化ノ象徴ダト聞イタコトガアリマス」
いつの間にかシンゲンがボクの横に立っていた。
「変化の象徴ですか?」
「ハイ。自殺ノ夢ハ、生マレ変ワリヲ意味シテイテ、変化ノ兆シラシイデス」
「それって夢分析ってやつ?」
「トイウヨリハ、夢占イニ近イト思イマス」
「ふーん。生まれ変わり、か」
ボクは先端がひしゃげて唾液で湿っている紙飛行機を取って口に持ってった。ノボリが噛んだ跡に自分も歯を立てる。
「ノボリだけ生まれ変わるなんて、ズルい」
シンゲンは上司が口にする紙飛行機と言葉の裏に、彼らの不可侵領域を垣間見た。常に吊り上がったクダリの口端に苦々しい感情が滲んでいるのにも気がついた。兄が生まれ変わるなら自分も共に生まれ変わりたいと思ったのだろうとすぐ分かった。そして、
「貴方は見ないのですか、そういう夢」
兄もそれを願っていることも容易に察しがついた。
「ボク、あんまり夢見ない。昔から。寝て真っ暗、目が覚めて現実。それだけ」
落胆する双子らにシンゲンは一つの提案を投じてみる。
「ソレハ考エヨウニヨッテハ、ノボリ車掌ノ夢ヲ見テイルノカモシレマセンネ」
「どういうこと?」
「真ッ暗ナラ、寝テイル間ノ記憶ガ黒ク塗リツブサレテイルッテコトデショウ?黒ッテ、ノボリ車掌ノイメージカラージャナイデスカ」
「つまりそれはノボリ一色の夢だって言えるんじゃないかって?」
「ハイ」
「なるほどねー。そう言えなくも、ない? ノボリ、どう思う?」
黒い車掌はじっとシンゲンを見つめていた。眼球を抉って脳の奥を覗き見ようとする目つきである。表情は白く、瞳は揺れていた。
「シンゲンさん、あなた、」
私達の関係を知っているのですか?
続く言葉を、
「アア、ソロソロ担当ノ時間デスネ。イッテキマス」
切り落として背を向けた。
「いってらっしゃーい」
「あ……」
物言いたげな声を聞き流して事務室から出た。少々でしゃばり過ぎたかと反省しつ、時計を見る。バトルサブウェイで挑戦者をふるい落とす仕事は各鉄道員で時間が決まっている。シンゲンが担当する時間まではまだ少し余裕があった。
一月程前、残業で夜遅くまで事務室にこもり、やっと片づけた午前一時、夜勤中のサブウェイマスターに一言声を掛けて帰ろうと車掌室に寄った。車掌室の扉は微かに開いていて部屋の明かりが漏れていた。何の気なしにノックをする前にその隙間から室内を覗き見た。そこで上司らが互いの唇を重ねている姿をはっきりと確認した。角度を変えて幾度も繰り返す貪るようなくちづけに、それが兄弟愛で片づくものではないことを直感した。
シンゲンはあえて扉をノックした。扉は閉じていないのでふらふらと揺れる。隙間から慌てる気配と、入室を許可する声を聞き、さっと扉を押し開けた。
『ノボリ車掌、クダリ車掌、オ疲レ様デス。事故ノ報告書ガデキマシタノデ、オ先ニ失礼シマス。デハ……』
シンゲンは双子の上司のただならぬ関係を目の当たりにし、驚きはしたが動揺はしなかった。シンゲンの目に彼らの関係は、まるで至極当然のものとして映った。世間一般の常識に照らし合わせれば至極当然なわけがない。しかし、彼らが睦み合う姿はシンゲンの中では納得のいくものとして消化された。何故かは本人にも分からない。鏡の前に立てば目の前に自分がもう一人現れて、手を上げれば向こうも手を上げるし、唇を押しつければ自分とキスをしたような錯覚を得る。その単純な事象を目に留めただけのように、彼らの有り様はシンゲンにとって自然だった。
以降、シンゲンのサブウェイマスターを見る目には、ある洞察が備わった。ノボリとクダリ、二人がコミュニケーションを取る時、その言動の端々にひそやかな裏があることを気づくようになった。何気ない仕種の中に潜まされた恋人達の戯れを、シンゲンの目は精確に見分けた。そして、見れば見るほど彼らの関係を微笑ましく、とても羨ましく思った。
ーーーーー
バトルサブウェイには多くの従業員がいて、ゲームで登場する鉄道員以外にも、鉄道員として地下鉄に乗り込んで挑戦者と戦う人がいると思います。その中でも特に腕の良い人がゲームで登場する鉄道員ではないかと勝手に思っています。で、その腕の良い鉄道員達には、まともな人間はあまり居ないのではないかとも思っています。上司が上司なら部下も部下ではないかな、と。そうだったらおもしろいな、と。
上で書いたシンゲンもそんな考えを下地にしています。
シンゲンが何故彼らのことを羨むのか、そこら辺のお話もいつか書きたいです。