話題:小説リレー

素敵なお題だったので勢いあまって書いてしまいました……待てない奴ですみません。二度目にて失礼します。

次のお題は
「星降りの夜」
でお願いします。


長いです。
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「人魚姫は泡になど成らない」


 メモを走るペンの動きが止まる。

「……は?失礼、今なんと」
「ですからね、ここには人魚の伝説もあるんですよ」

 尼僧はころころと笑って言った。春樹も一瞬ぽかんとしたものの、その晴れやかな笑い方につられて笑いだす。半歩遅れた笑いは、春樹自身も恥ずかしく思うほど変な笑い方だった。

「ああ、なるほど。確かに天女も降りる砂浜ですしね。やあ、取材しに来て良かった。思いがけないネタが見つかりました」

 春樹は新たにページをめくり、書く準備をした。
 春樹は人面犬やら話す木やら、いわゆるオカルト系の取材を主としている。本人がそういうのを好むという理由もあるが、彼の在籍する新聞社はキワモノ好きということで有名だった。在籍する記者の誰もが、普通のニュースを取り扱わない。よって、発行される新聞も世間ではB級以下とされているが、一部のマニアには非常に受けが良かった。
 彼らはそこに書かれている内容が「全て本当」だと知っているからこそ、その情報を必要としているのだった。
 そのため、情報さえ正確に掴めるなら春樹のような新米でも置いてもらえている。古参ともなると情報の信憑性は格段に高まる一方、決して取材方法や情報源を明かさないため、「化け物」扱いされるのが常だった。

「お話し頂けますか?」

 元来の好奇心に火がつく。古参には負けるが、この好奇心だけは誰にも負けない自信があった。
 そんな春樹に「天女を見た人間がいる」という話が舞い込んだのは当然である、という自負がある。だから、どうしても記事にしたい。
 そこへ来て人魚のネタまで拾えたのは、海老で鯛を釣るような幸運だった。
──逃す手はない。
 内心で舌なめずりをして、尼僧が話し出すのを待つ。

「いえ、簡単なものなのです。天女が降り立つ前に人魚が訪れた事がありましてね、そこで人間の男性と恋に落ちたのですよ」

 思ったよりも眉唾物の話である。気持ちが落胆するのを抑えられなかった。それでもペンは走る。

「その男性はこの辺りの方ですか?」
「ええ。ただし平民の出でしたから、系譜を辿られるのは難しいと思いますよ」
「どなたか知り合いの方は」
「子孫がおります」

 子孫、とメモに書き付けて首をひねる。孫ではないのか、と純粋に疑問に思った。
──まあ、そう上にも見えないしな。
 出家したことが勿体ないほど、彼女は綺麗だった。口振りや雰囲気は春樹よりも年長に見えるが、肌の滑らかさや時折見せる表情は、少女のそれのように可愛らしい。不思議な尼僧だった。
 もっとも、彼女は名のある寺に在籍しており、取材前にその素性も調査済みである。怪しげな雰囲気はないとわかったからこそ、春樹も取材に行こうと思えたのだ。
──それがこんな美人とは思わなかったけど。

「子孫というと、まさか人魚と男性の間に子供が出来ていたなんてことは」
「その通りです」
「……は?」

 再びペンが止まる。尼僧は笑った後、穏やかな瞳で春樹を見据えた。
 よく見ると、随分と色素の薄い色をした目だとわかる。焦げ茶──あるいは金色のような。

「高宮さんは、人魚はどうなると思います?」
「どうなると……いうのは」
「想いを遂げた後のことです」

 「そりゃあ」と春樹は頭をかいて答えた。

「やはり泡になって消えるのでは?有名な童話でもそうですから、一部は事実ではないかと」
「なるほど」

 ですけどね、と尼僧は笑って首を傾ける仕草をした。

「人魚姫は泡になど成らないんですよ」
「……それはやはり、実際にご覧になったとか?」
「ええ」

 尼僧が大きく頷くのな対して、春樹の期待は一気に膨らむ。

「本当ですか」
「ええ。だって、私がそうですから」

 春樹の思考が止まる。思わずペンを取り落としそうになるのを、理性で止めた。

「ええと……?」
「姫は泡に成らないのです。他の人魚は力が足りず、泡となって消えるばかりですが」
「……それがあなただと」
「はい。こうなるまでは、本当にそうだとは思いませんでしたが」

 尼僧は寂しげに笑い、目を伏せた。

「海を捨て、劵族を捨てたのだから、人として大地に縛り付けられる苦しみを知れと。……そういう事なのでしょう」
「人としてと言っても……」
「ええ、そうです。どうしたところで、私は人の輪に入ることは出来ません。時を経ても老いぬ女を、易々と家族に迎えることは出来ますか?」

 子孫がいる、という言葉が突き刺さる。

「……子供が物のわかるような歳になった頃、私は自ら里を出ました。そうすることで、私はあの子らの母のままでいられる」
「子供は捨てられたと思うのでは?」
「それでも、いずれ化け物とわかるよりはいいでしょう。捨てたと思われても、私は母でいられるのです。……私はそちらの方がいい」

 春樹の質問に声を震わせることなく、淡々と答えていく。こうなるまでに、どれだけの時間を必要としたのか。
──否。時間は有り余るほど彼女にのし掛かった。呪いと思うまでに。
 春樹はペンを挟んでメモを閉じた。

「なぜ、自分に話したんです?」
「……もう、よいかと。先だって、私の子供が亡くなりましたものですから」

 尼僧は春樹に笑顔を向けた。

「記事になさるかどうかは、お任せします」

 しばらく逡巡した後、こめかみをかいて春樹はメモを開く。

「自分はね、オカルト系専門なんです。妖怪とか幽霊のような。だから、今の話は記事に出来ません」
「……しないのですか?」
「どこから聞いても、普通の母親の話ですからね」

 春樹がそう言うと、尼僧はハッとしたような顔になった後、顔を歪めて笑った。

「──…でしたら、高宮さんにはご足労をかけただけになってしまいましたね」
「さっきの天女の話はどうです?あなたの話なら信憑性も高いでしょうから」
「そうですね。では、羽衣はどんな生地かお話ししましょうか……」

 お願いします、と春樹はペンを取った。



終り