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三條航平/いい兄さんの日

義兄は明るい人だった。見目麗しい訳でもなく口が達者な訳でもなかったのだが、周りを惹き付けるのには長けていたように思う。初めて彼に会った日の印象としては「好青年」といった所で、とにかく笑顔でいることが多い人だった。
「航平君、空を見に行こうか」
彼はいつもその一言で外へ連れ出した。晴れの日も雨の日も外へ出かけては空を見上げ、自分に自由を教えてくれた。姉と結婚した後もそれは変わらず、時には3人で外を歩くこともあった。あれが幸せというものなのだろうか。今ではもう、誰にも尋ねることは出来ない。
2人で出かけると必ず彼は空を見上げる。
「俺はこの空を自由に翔ぶ事が出来る」
そう誇らしげに笑顔で話す彼は眩しくて、どうしようもなく憧れて、いつしか目を合わせる事すら出来なくなっていた。
「いつか、僕もそうなれますか」
「…そうだね、なれるだろう。でも俺は君にだけはこうなってほしくない」
「どうして、」
「いつかわかる。君にはここで待っていてほしい」
かつてそんな言葉を交わした。今はもう、叶わない夢だけれど。諦めてしまったけれど。それでも彼が駆け抜けた空を見ていたくて、少しでも彼の近くにいたくて。自分は今も空を見上げ続ける。ずっと忘れることはない、義兄の笑顔を想って。

灯/道の先には

歩いても歩いても答えは出ない道をただひたすらに歩いた。村を出てもうどれ程経ったのだろうか。生まれた村か、最後に飯を食べた村か。どちらでもいい、結局自分が求めたものは無かったのだから。この世に生を受け、数十年、もしくはそれ以上。自分の齢すら覚えてはいない。それだけの月日を重ねたにも関わらず姿かたちを変えずに今もだらだらと生き長らえているのには理由こそあれど意味など無いのだろう。
いつも傍に感じるのは自分をこんな身体にした張本人の駄狐の存在で、本人曰く「気付いたら不老不死にしてしまっていた」んだそうだ。死ぬ方法は知らないと言う。この駄狐は神などではなく、もっとたちの悪い“何か”だった。かつて自分の事を慕ってくれていた大切な人々はもう朽ちて灰となっている。自分はまだ、同じになれそうにはなかった。
「灯。腹が減った」
「詩月は何も食べなくても死なないでしょ」
「お前もだろう」
「俺は死んでもいいんだけど」
むしろそれを望んでここまで歩いてきた。そう、俺は。
「灯は、死にたいのか」
狐がそう訊ねるのも何度目だろうか。この話をする時、こいつはいつも悲しそうな顔をする。立ち止まり狐の瞳を覗き込むと、澄んだ色の眼と自分の澱んだ眼がかち合う。こいつの瞳は、とても好きな色だった。
「死にたいよ。今すぐにでも」
答えなど決まっていた。毎回同じ言葉を笑顔で返す。それだけ言うと狐から目を離し、歩き出した。気配で着いて来ているのは分かったが、振り向いてなどやらない。自分勝手でも何でもいい。俺が死ねば、この狐も死ぬのだろう。そんな事に気を取られる程お人好しではないし、とにかく楽になりたかった。この孤独の呪いから。
噂ではこの付近の村では刀を御神刀として奉っていると云う。神の力なら、自分を殺してくれるのではないか。今まで何度も願い祈っては打ち砕かれた想いを胸に宿し、歩みを止める事はない。自分には、進む選択肢しかないのだから。

三條と仙道/感情の行方

人の特別になる、とはどういう事なのだろう。家族へ抱く感情とはまた別の、「特別」という気持ち。それが自分にはよくわからないまま、気付かないうちに他人を傷付けていた事があったのだろうか。
昔から自分の感情を表に出すのは得意ではなく、愛想が無いとはよく言われたものだった。他人に興味が持てず、自分はただの石ころのように流れていくだけの傍観者だと思っていた。だからと言って人が嫌いな訳ではなかったし、傍観者は傍観者なりに人を観察するのも楽しかったと思う。
最近、艦内でよく話すようになった整備兵。歳も近く階級も同じで、彼の話はその対象に興味が無くても楽しめるものだったし、何よりも初めてこの海上で出来た「友人」という存在を確かに特別だと思う気持ちはあった。
好きだ、と告げられたのはつい最近の事で、突然の事に戸惑う自分に彼は「返事が聞きたかった訳じゃない」と言い残し立ち去ってしまった。それ以来彼には会えていないが、その間に考える事が出来た。
───好き、とは、どういう事なのだろう。自分は彼の事を友人として大切には思っているが、彼は自分とは違う意味の大切という感情を持っていた、のか。好きだと告げた彼の表情は普段の白い顔とは違っていて、例えるなら、そう、あれは、高熱に魘されているような。体温が高い場合の顔色のように見えた。でも彼はきっと熱を出していた訳ではないのだ。本当は分かっている。彼は彼なりに悩んで悩んで、その末に想いを告げてくれたのだろう。性別も環境も、ここでは問題が多すぎるのだ。あれだけ考えて仕事をする彼がこの問題に悩まなかったわけがなく、それでも自分にその一言を告げてくれた。今まで誰かにそういう感情を抱いたことも無ければ抱かれたことも無いであろう、こんな石ころの自分に。彼がそれだけの誠意を見せてくれたのなら、自分もそれなりに返すべきだろう。返事を求めないと告げた彼に返すのなら態度の方がいい。彼と同じ気持ちを共有するのはもう少し先の話になるかもしれないし、もしかすると共有できないままかもしれない。それでも限られた空間と時間の中で、自分が彼に出来ることは何か探すのも悪くはない。また明日、彼に会いに行ってみようか。待っていてくれると、嬉しいのだが。

三條と山花/トリック○○トリート

「というわけで三條くん、トリックオアトリートだよ」
人もまばらになった放課後の教室で、高すぎない耳心地のよい女子の声が響いた。その女子は自分の名を呼んだように聞こえたので、どうやら話しかけられたのは自分らしい。こちらの行く手を阻むように立ち塞がった彼女はまるで子供のような、いや確かにまだ子供なのだが、何かを企んでいるような瞳で自分を覗き込んでいた。
先程の彼女の台詞、何が“というわけ”なのかは一切理解出来ないが、言葉の意味は知っている。今はもうそんな時期なのかと黒板の日付へと目をやった。
「ハロウィン、ですか」
今日は10月の末日、世間ではハロウィン当日のようで、そういう季節の行事に詳しくない自分にはまず投げ掛けられる事の無い台詞だった。
「そう。お菓子くれなきゃイタズラする日だよ」
「ちなみに拒否権は?」
「ないよ、どっちか返事しないとここは通さないから」
そう笑顔で告げる彼女に、どうしたものか、自分にはその二択しか用意されていないらしい。別に自分には急いで帰る理由はないが、目の前の彼女には待っている人がいるのではなかったか。毎日のように共に帰る家族のような人が。
「山花さんは帰らなくていいんですか」
「帰るけど、三條くんの返事聞いてから帰る」
ほら、と急かす彼女に呆れたように息を吐き、己の制服のポケットの中に手を突っ込む。確か、ここに。
「飴ならありますけど」
中には今朝姉から渡されたレモン味の飴が3粒ほど入っていた。今考えるともしかすると姉は今日がハロウィンだと知っていて、気を使ってくれたのだろうか。帰ったら礼を言わなければ、と思いながら彼女へと手渡す。一瞬喜んだ顔はしたものの、すぐに表情は翳ってしまった。レモン味は嫌いだったのかと不安になりながら名を呼ぶ。
「山花さん?」
「あ、飴は好き!ありがとう、でもせっかくイタズラも考えたから実践したい」
「それじゃあオアじゃなくてアンドになりますけど」
「名前で呼びたいなって思って」
「は、」
自分でも間抜けな声が出た事はわかった。突然何を言い出すのか、この人は。
「文化祭の時にせっかく仲良くなれたと思ってたんだけど、全然三條くんからは話しかけてくれないし。わたしから話しかけても前と態度変わらないし!だったら、せめて呼び方だけでも仲良さそうにしたいなって、」
思って、と尻すぼみになっていく彼女の言葉には驚くほかなく、どうして人気者である彼女がここまで自分と仲良くしたいと思ってくれているのか、だからといって何故名前呼びなのか。そもそもそれは悪戯ではないのではないか。疑問は多々あったが、彼女の意見を拒否する理由は自分には無く、むしろそんな事の為にわざわざ貴重であろう放課後の時間を使わせてしまった事を申し訳なく思う。自分などの為に彼女の顔が曇るようなことがあってはいけない。この人は、いつでも笑っているべきだ。
「名前なんて…、どう呼んでもらっても構いませんから。そんな事で悩まないでください」
「だって、嫌われてるのかと思った」
「嫌う理由がない人を嫌うほど僕はひねくれ者ではないと思っています」
そこまで話して、彼女に笑顔が戻る。やはりこうでなくては。彼女は誰かの太陽なのだ。
「じゃあ、航平くんって呼んでいい?わたしの事も名前で呼んでいいから」
今までクラスメイトを名前で呼んだ事などなかったように思う。抵抗がないと言えば嘘になるが、驚くほどに口に馴染んだその名を噛み締めるようにしっかりと言葉を紡ぐ。
「わかりました。──千寿、さん」
そう言うと同時に二人して吹き出す。改めて名前で呼び合うのはなんだかむず痒くて、少し照れてしまう。それは彼女も同じようだった。
「じゃあ、せっかくだし校門まで一緒に行こう。帰る準備してくるね」
こちらが返事をする前に自分の席へ走る彼女の顔は晴れやかで、たったこれだけの為に彼女にどれだけ気を遣わせてしまったのだろう。他人と接するのは得意ではないが、彼女にならもっと砕けてもいいのかもしれない。そう思わせてくれる人は人生の中でそう多くないだろう、彼女はとても輝いて見えた。
「おまたせ、航平くん!」
行こっか、と駆け寄ってくる彼女に微笑みを返し、人のいない教室を後にした。
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