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山花千寿/興味深いもの

一体いつから眠っていないのだろう。いや、仮眠は隊員と交代で取るようにしているが、深い眠りとは程遠いものだ。ただ目を閉じているだけと言った方が正しいかもしれない。それはわたしだけでなく、きっと他の隊員も同じ事だろう。
捕虜をこの扉の向こうへ繋いで何日経ったか、今現在見張りを付けられているこの捕虜は、どうやら大人しい部類の男らしい。眠っているだけかも知れないが、先程から物音1つしない。捕虜という立場はもっと暴れるものだと思っていたし、前の職場で捕らえてきた奴らはどれだけ責めても元気だったようにも思う。捕らえられた者全部が全部そうではないようだ。耳を澄ませ、扉の中で妙な物音がしないか意識を集中させる。自分のやる事は1つ、この捕虜が逃げるような事があってはならない。ほぼ何の情報も得ていない今、自分の手の中にある銃を鳴らす事のないよう祈った。
扉から意識を離すと、誰かがこちらへ近付いて来る足音が聞こえた。この歩き方は恐らくヴォルフだろうか。彼が来るという事はそろそろ尋問の時間らしい。
「おはようございます」
見えたのはやはり彼で、あいさつと敬礼を済ます。軽く言葉を交わすと彼は見張りを続けろ、と言い残し扉の向こうへ消えていった。今日こそ何か吐くだろうか。この場所に滞在できる時間はもうそう長くはないだろう。何か、せめて何か一言だけでも敵に関する情報を吐いてくれたら、自分も捕虜も楽になれるのに。自分と捕虜の「楽に」の違いには気付いているが、意味合いは同じだ。解放される、という意味では。
ヴォルフの尋問時間はヨダカに比べて静かだった。中でどんな会話をしているのか興味が無い訳ではなく、むしろ非常に興味深い。後学の為にも是非聞いておきたいが、彼は尋問方法を根掘り葉掘り聞かれる事を良しとはしない気がする。気がする、けれど。とにかく今は彼の仕事の邪魔にならないよう、耳を大きくし外から中の様子を探る。話し声しか聞こえないという事は、誰かと違って正しく「尋問」の最中なのだろう。すぐに手を上げていないあたり、彼の忍耐力はさすがとしか言い様が無かった。中にヴォルフがいるからと言って油断は出来ない。彼に限って万が一という事も無いと思うが。今日が最後のチャンスである事は彼も理解しているはずで、自分はじっとその時を待つ事しか出来ないのが歯痒い。もっと、自分に出来る事はないのか。そうは思っても、高みを望む前に今の自分に与えられた仕事を全うするのが先だと分からない程子供ではなかった。
眠気はとうに吹き飛んでいる。既に太陽は高く昇ろうとしていた。泥混じりの雪原に反射する日光が少し眩しくて、目を細める。この雪の様な白いひかりに似た女性を知っている。彼女を守る為とは言え、こんな血やクソに塗れた自分を見て何を思うのだろうか。穢れを知らない純白の妹は、変わらずに自分を愛してくれるだろうか。と、大きな物音で意識を戻す。扉に目をやるとそこには尋問を受けているはずの捕虜、とその後ろにはヴォルフが立っていた。思わず銃を構えるが、後ろの大男に目だけで制された。大人しく銃を下ろし、捕虜を見やる。捕縛した時よりも幾分か窶れたように見えるこの男は、歳は自分より少し上くらいか、思っていたよりも幼く目に映った。ヴォルフが後ろから支える様にして2人は歩いていく。終わった、のだろうか。少し進んだ先で捕虜の男が倒れ込んだ。体力もほぼ残っていないのかもしれない。あの捕虜が何か吐いたのであればもう用済みになる訳だが、まさか、このまま逃がすという訳にもいかないだろう。何故外へ、ヴォルフには何か考えでもあるのだろうか。じっと2人の動向を見つめる。倒れ込んだ捕虜と後ろの大男、先に動いたのは大男の方だった。自らの腰に手をやったヴォルフは、鉄の塊を捕虜へと向けた。ああ、やっぱり。捕虜になるとはこういう事だった。頭では理解していても、実際に目で見るのとはわけが違う。ヒュ、と息を呑む音がした。自分のものだ。命を賭けてでも守りたいものがあるとここまで来たにも関わらず、この瞬間には未だ慣れない、緊張している。いつかは慣れてしまうのだろうか。自分が立っている場所からすぐ近く、ここからは銃を構えるヴォルフの大きな背中と、振り向いた捕虜の見開かれた瞳、が見えた。見えたのは一瞬で、静けさを突き破るような銃声と、それと同時に赤く散った、あれは、血か。捕虜が背中から雪の地面に埋もれたのを見届け、自分の足が微かに震えていたのに気付く。銃声を聞いた他の隊員がすぐに駆けつけるだろう。その前に足に力を入れ直す。誰かに気付かれない内に。これで走れる。ヴォルフに駆け寄り、倒れた方の男へ視線を送る。頭部に1つの銃痕、これはもう、間違いなく。この男は最後にこうなる事を知っていたのだろうか。この男にも、このような戦場に出る程の理由があったのだろうか。もう二度と動く事の無い男への憐れみと、隣に立つ男に対し恐怖と好奇心を同時に抱いている本心を悟られないように、立ち尽くすしかなかった。動けば全て見透かされそうな彼の瞳を見る事は、しばらくの間できそうにない。

三條航平/緑の香りと君にさよならを

何も余計な事は考えず、ただひたすらに旗を振ることだけに集中する。今のこの立場が嫌いなわけではない、海の香りも艦の揺れも今ではもう慣れたもので、寧ろ心地良いとさえ感じている。ただ、無性に内地に戻りたくなる時があるのは否めない。大地が恋しいと、山、川、木々の騒めきが呼んでいると感じる瞬間がある。もちろん呼んでいるなどとただの傲慢に過ぎないのだが。それでも久々に港に帰った時、地に足を着けた瞬間が堪らなく落ち着くのは、やはり自分は陸にいるべきなのかと考えてしまう。海に出て、空を見上げ続け、かなりの歳月が経っていた。信号員の仕事だけでなく色々な仕事も任されるようになってきたが、自分はやはり黙々と旗を振っている方が性に合うような気がする。戦場にいるからには戦で死ぬ事が美徳だと言われるのだろう。自分もそうなる日が来るのか、もしくはこの立場のまま消えるのか、考えるだけ無駄だ。その時は必ずいつか来るのだから。内地で待つ家族には不安な思いをさせているのだろう、だがそう易々と帰るつもりはない。せっかく手に入れた場所だ。生に執着するのも見苦しいが、死ぬ事に美徳を感じるような人間でもない。なるようになると日々自分に言い聞かせ、待ち人には謝罪を祈りながら今日も紺碧の上で空を飛ぶ鉄を見上げるのだ。

千寿と桐仁/初対面

「本日からこちらでお世話になります、山花千寿です」
よろしくお願い致します、と敬礼をする。ああ、よろしくと素っ気なく返事をする眼前の強面の男は、聞いた話によると腕のいい狙撃手らしい。わたしは観測手となり、彼の狙撃支援が主な仕事内容だ。正直自分の視力と狙撃の腕には自信があるが、傭兵としての実践はほぼ無いに等しい。主観的に見た自分の実力など信用ならない。客観的に見て腕がいいと言われているこの男に、果たしてどこまで着いていけるかどうか。出遅れれば自分が死ぬか、2人とも死ぬか。きっと前者の方が確率は高い。気合を入れなければ、まだ死ぬ訳にはいかない。とにかく相棒となる彼とのコミュニケーションが第一だと、信用を得る為にはどうすればいいのかと思索したが、まずは彼を知らなければ話にならない。既に視界から消えようとしている彼に何の話を振ろうかと考えつつ、大きな背を追いかけた。

千寿と玉波/旅立ち

「それじゃあ、行ってくるね」
そう言ってわたしは振り返る。20と数年お世話になったこの施設ともこれでさよなら、だ。警察官という立場になって2年、真面目に仕事をしてきたが、つい先日軍事企業への引き抜きが決まった。こんなわたしにまで話が流れてくるとはよほど人手不足なのか、それとも自分の腕が上に認められたか。個人的には後者である事を祈るばかりだ。狙撃の腕には自信がある方だが、軍事と言えば殺らなければ殺られる場所になる。怖くない訳がない。
「本当に行ってしまうの」
そう訊ねるのは愛しい妹。血は繋がっていない。この妹は感情をあまり表に出す方ではないが、その声色は確かに不安げに揺らいでいた。
「大丈夫だよ、玉波ちゃん。たまには顔を出すようにするから」
「でも、千寿さん、私知ってます。今まで以上に危ない所だって」
年の割に頭の切れる妹は、わたしが警察学校に入る時も反対していた。危ないからやめて欲しいと泣きながら頼み込まれた時はさすがに動揺して考え直そうかとも思ったが、この不景気に安定した収入を得るのにはそれ相応の対価が必要なのだ。泣きながら必死に頼む玉波を施設の全員で宥めた事は記憶に新しい。玉波ちゃん、と優しく呼びかけると、彼女はその紅い瞳に涙を浮かべていた。
「ちゃんと、帰ってくるから。いい子で待ってて。ね?」
「…はい」
俯きがちに小声で言葉を返す彼女。悲しげに揺らぐその瞳は素直に美しいと感じる。帰ってくるとは言ったものの、本当に帰ってこれるかなどわからないのだ。最後になるかもしれない彼女の美しい瞳を目に焼き付け、行ってきます、と次は振り返らずに告げる。明日どうなっているか分からないこの身も、彼女の為ならいつだって捧げる事が出来るのに。思い出の残る施設を後にし、歩き出す。願わくば、愛しい妹がこの先幸せであるようにと祈りを込めて。

三條航平/風と浮かぶ

内地へ帰ってきたのはつい昨日のことだ。姉だけが待つ実家へと戻り、久々の家族との他愛の無い話。盛り上がるような家系ではないので話に花が咲くようなことは無いが、それでもその短い会話の中での姉の表情からは安心したような、たまに泣きそうで悲しげな笑みが見て取れた。きっと言いたいのだ、この人は。「帰ってきて欲しい」と。自分がそれを察していると気付いているのだろう、それを言葉にしないのはただでさえ無口な姉の、所謂優しさというものだと知った。昔から何を考えているのかわからない人だったが、自分が離れてから、いや、姉が結婚した頃からか、少しずつでも確かに表情が豊かになっていたような気がする。それも全て今は亡き義兄のおかげなのかと朧気な頭で考えていた。
「久々に帰ってきたのだから、お外でも歩いてきたら」
姉はそう言うと立ち上がり、玄関へと誘う。扉を開くと陽は傾いていたようで、家の影が重なるこの場所は少し薄暗い。
「…そうします」
短く言葉を返す。彼女は不安げに外を見つめたままだった。姉に誘われたまま玄関へと寄る。空を見上げると、ふわりふわりと何かが流れていった。あれは。
「…あ、風船」
自分の言葉が喉を通るより先に、姉が呟いた。姉も自分と同じように空を見上げていたようだが、まだやはり彼女には眩しいようで、すぐに目を伏せてしまう。風船は風のまま流れ、いつかは消えてしまうのだろう。あの人と同じように。風の船とはよく言ったものだ。墜ちる事を知り得ない空飛ぶ船は、どこか儚げにふわり、ふわりと赤くなり始めた空へ溶けていった。
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