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誰かの姉の日記

その報せを聞いたとき、不思議と涙は出ませんでした。弟と2人で荷物を受け取りに行って、そのときに初めて自分が泣いていることに気付いたのです。弟は私によく似ていますが、私より気の利く優しい子ですので、道中も私を気遣ってくれていたことを覚えています。
あの方はとても暖かくて眩しくて、そう、例えるならまるで太陽のような方だったのですが、今ではもう何を話したのかさえほとんど思い出せないのです。あの方について私が覚えているのは、その太陽のような面影と、ふと見せた月のような冷たい表情だけなのです。顔もはっきりと思い出せないのに、何故かその表情のことは覚えています。写真を見ても、あの方だけぼやけて見えてしまうのです。
弟とあの方の話をすることはほぼありません。優しい子ですから、私に気を遣っているのでしょう。そんな弟もすぐに戦争へと征ってしまって、もちろん寂しいのですが、大人しい弟が自分で決めたことですから、陰ながら応援したいと思っています。あの子には自由に、好きなように生きて欲しいと望んでいるのですが、何せ私に似てしまったせいで、きっとあちらでも生き辛いことでしょう。
あの子もあの方と同じように消えてしまうかもしれないと考えてしまうと、怖くて夜も眠れないのです。幼い頃からずっと2人で助け合ってきましたから、私に似たあの子はまるで私の映し身のようなものです。大切に、大切にしてきたつもりなのですが、きっとあの子が最期にこの私を選ぶことはないでしょう。何度も言っているように、あの子は私に似ているのです。選ぶものは、私と同じものなのです。

三條航平

何度探そうとしても、初めから答えなど無かった。この御時世では行方不明者など山のように存在する訳で、その一人一人を丁寧に捜索してくれるようなお上ではない事も重々承知していた。だからと言って自分で捜索など出来るわけもなく、ただ月日が流れるだけだった。
自分は彼と同じ場所に立つようになった。立場は違えど、場所は同じだ。同じものを見ることは叶わないが、漸くここまで辿り着いた。何も言わず、人知れず居なくなった彼を責めるつもりなどない。彼の本音、本性を知っていたとしても、だ。この狭い場所では噂などいくらでも手に入る。噂は噂だと割り切ってしまえるような性格であれば、彼を信じたままで送り出せたのかもしれない。前を向く事を止めた自分には、もう彼に合わせる顔など無かった。過去の彼を見ていれば、自分は傷つかずに済むことを覚えてしまっていた。夢や幻であったのなら、そうであったならと何度も願った。彼を思い返し、例えそれが偽りの優しさだったとしても自分は結局それで満足だったのに。
彼から沢山の事を学び、沢山のものをもらった。義弟である自分に向けられた愛情と呼べるものが本物かどうかなど今ではもう確認の仕様が無いし、そんな事は今更どうでもよかった。感情に溝があったとしても彼と過ごした日々だけは偽りなどなく、確かにそれは自分にとって嘘偽りない大切な「毎日」だったのだから。彼が笑って、姉が笑って、自分も楽しくて、それだけで満足だった。実家に帰り、ふと姉の隣で笑っている彼を思い出してしまいそうになるのが怖くて、暫くは姉の顔すら見る事のできない時期もあった。
彼は自分の中で神聖化されてしまうのだろうか。永久に忘れることのない思い出の中で、彼は自分のどういう存在だったのか。義兄弟という、たったそれだけではあるのだが。それだけで充分だ。そう、思い込む事にした。例え何かを失う事になっても、それは彼を失う事にはならない。それでいい。
きっと自分のような存在が彼に出会えたのは奇跡で、例え自分の中で彼という存在が小さくなっていく日が来ても忘れる事は無いのだろう。彼は正しく、自分の道標となったのだから。

三條航平/脱ぎっぱなしの服

部屋が煮えるように暑く感じた。「戦争」と言う名の茶飯事が終わり、今日もまた集団で暮らす部屋へ戻る。今回は怪我人も何人か出たと聞いたが、艦への被害はほぼ無いに等しいようだった。だからこうしていつもの部屋で過ごせる訳で、いつものように日記帳を開いている。
ふと自分達は何をしているのだろう、と疑問に思う事もある。問うたところで答えなど出る筈もなく、出たとしてもそれは自分にどうこうできる話ではないことも重々分かっている。分かってはいても、結局自分達は上層部よりもっと上の人間の玩具に過ぎないのだろう。それにもどかしさを感じることは無い、ここに自分の存在意義があるのならそれでいい。他人の考えなど自分には関係の無いことだ。
既に部屋の隊員は眠りに就いているようだった。日記帳を閉じ、汗ばんだ上着を着替え、少しだけなら、と部屋を出て艦内を歩く。この煮えた頭の中のまとまらない考えを、まとまらないままで置いておくのは混乱してしまいそうだったから。人がすぐに死んでしまうようなこの場所で何をしているのかなんて、来たときから理解している。与えられた職務を遂行するのは当たり前だ。重要なのは何をするか。どうして、自ら志願してまで自分は何の為にこの場所に立っているのか。自分から何かをしたいと思ったのはこれが初めてだった。一体何がしたくて、誰の為に、自分は。
────考えはまとまらなかった。まとめてしまわない方が、よかったのだろう。忘れてしまえば良かったのに。進めていた足を止め、来た通路を戻る。少し早足で歩いていたように思ったが、部屋からそれほど離れてはいなかったらしい。部屋に戻り、また日記帳を開こうとして、着替えた隊服がそのままだったことに気付く。大きな襟のついたその服が、やけに白く見えた。

三條航平/無意味な関心

他人に対して興味が持てず、ただ言われた事を繰り返す毎日だった。それは今でも変わることはない。特定の誰かに対する興味を持つ事はなく、自分自身も誰かから関心を向けられるような事はないだろうと思っていた。
その特別であろう想いを告げられたのはつい先日の事で、自分は他の乗組員と同じように接していたつもりだったのだが、一体どこで勘違いを生んでしまったのだろうか。自分にそんな気は更々無かったし、ましてや相手は同性だ。そういう好意の形がある事は知っていてもまさか自分がその対象になろうとは。驚きはしたが、彼はそれなりの覚悟で告げてくれたのだろう、とにかく返事をしなければと思い、その場で「すみません」とだけ伝えた。彼の全てを知っているわけではないし、彼も自分の全てを知りたいわけではないだろう。ただ中途半端のままは嫌だったし、艦内で顔を合わせて気まずくなるような事も避けたかった。その一言で元通りになる事を祈っていた。のに、どうやらやはり思い通りにはいかないらしい。
彼は泣いていた。笑うと年齢よりも幼く見えるのが印象的だった彼が、その表情を歪めて涙を流していた。自分は何か間違ったのだろうか、いや、間違ってなどない。あれで正しかった、はずだ。その気持ちに応えることはできないと告げただけなのだから。
彼が涙を流す意味がわからず、自分にはそんな彼をどうする事もできず、泣きながら立ち尽くす彼にもう一度「すみません」とだけ残し、その場を去った。そうすることしかできなかった。
あれ以来彼には会っていないが、これでよかったのだろう。生きるか死ぬかのこの艦の上で、他人に関心を持つ事は無意味だ。ここに何をしに来ているのか、それは戦争だ。自分達は他人を殺すためにこの場所にいる。そんな事分かっていたし、誰もがそうだと思っていた。
あの時あの場を去った事を後悔はしていないが、彼は今、どうしているだろうか。無意味だと理解していても頭に浮かぶ雑念を振り払い、今日も誰かを殺すために自分は旗を振り続ける。

三條航平/いい兄さんの日

義兄は明るい人だった。見目麗しい訳でもなく口が達者な訳でもなかったのだが、周りを惹き付けるのには長けていたように思う。初めて彼に会った日の印象としては「好青年」といった所で、とにかく笑顔でいることが多い人だった。
「航平君、空を見に行こうか」
彼はいつもその一言で外へ連れ出した。晴れの日も雨の日も外へ出かけては空を見上げ、自分に自由を教えてくれた。姉と結婚した後もそれは変わらず、時には3人で外を歩くこともあった。あれが幸せというものなのだろうか。今ではもう、誰にも尋ねることは出来ない。
2人で出かけると必ず彼は空を見上げる。
「俺はこの空を自由に翔ぶ事が出来る」
そう誇らしげに笑顔で話す彼は眩しくて、どうしようもなく憧れて、いつしか目を合わせる事すら出来なくなっていた。
「いつか、僕もそうなれますか」
「…そうだね、なれるだろう。でも俺は君にだけはこうなってほしくない」
「どうして、」
「いつかわかる。君にはここで待っていてほしい」
かつてそんな言葉を交わした。今はもう、叶わない夢だけれど。諦めてしまったけれど。それでも彼が駆け抜けた空を見ていたくて、少しでも彼の近くにいたくて。自分は今も空を見上げ続ける。ずっと忘れることはない、義兄の笑顔を想って。
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