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たがため


何のために生きてるのか考え出すとすぐしぬとかしごとやめるとかいう発想になるの、だめだなと思って、できるだけ考えないようにしてるけど、自分のための休みの日に、身繕いして出掛けようとして、肌は荒れて指先はささくれて全身から艶や潤いがなくなってるのに向かい合った時、何のために生きてるんだろう、ってなるのは、わたしの生活がわたしだけで完結してるからかなあ。

てばなし


少しずつ変わるってない。変わるのに進行形ってあるのかな。変わるって、坂道じゃなくて階段ではないかな、と思う夕暮れ。何かしないと変われないのかなとしばらく悩んで、結論として変われないとわかったので、何かしてみてる日々。勇気を持つことで生きる実感が湧いてくる。気軽じゃないことをする。自分を閉じ込めないようにする。

すまない


梅を題材にしたお道具は数あるが、私は梅/月/棗が一等すき。お好みの。夜を赤く、梅の枝を黒く表現したその対比から、梅の香ひいてはその夜の妖しさを感じる。黄金で描かれた梅は月と同化し、本来の梅の色はどこにもない。詩の情景を意匠化し、お道具ひとつですでに世界が出来上がっている。この棗で取り合わせるとしたら、他はできるだけすっきりとしたものにするか、いっそ他も梅尽くしか、、、でもせっかく姿が見えないならずっと見えないままもいいな。隠れ梅。探梅。
私は持ってないんだけど。全部妄想だけど。うるわしうるわし。

あおぐてん


群青が黒に変わりつつある。そこになぜか煌めくほどの赤。そんな色。
フツーにやるせなくて、30分くらい世界を呪ってたけど、甘いお菓子と飲み物で無理やり切り替える。なにかはっきりとした理由があるわけでなく、ただ胸に滲んでいく色に、思考まで引っ張られて吐く呪いは、それだけエネルギーが消費されてるわけだから、なにか体に与えると解消までいかなくとも薄めることはできる。おなかが空いたらイライラする、そういうこと、そういうこと、そういうことだから。全部空腹のせい。