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バレンタインの騎士2

【薔薇より気高く】




シュロウ王都クリングラ。
まるで、アンバレット王家が住まうクリングラ城を護る様に、バレンタイン家の所有地が左右にある。片方、左側はバレンタイン家が代々騎士団長を勤める、王家近衛騎士団「レッド・ロータス」の本営。右側が、バレンタイン家のクリングラでの居城である。その中央にある階段を登ると聳える王城へと至る事が出来るが、ひと度不審者が登れば、バレンタイン家とレッド・ロータス騎士団が左右から容赦無く弓矢を放てる仕組みである。
その右側、バレンタイン家の居城にある池の畔で夜半に剣の稽古をするのが、アルベル・グラディオーレ・バレンタインの日課である。それは、今宵の様なパーティーがあった夜でも変わらない。

降り注ぐ星明かりに写る姿は、髪を高い場所で固く結んだナイトドレスの娘。そのスカートの裾を翻しながら細身のロングソードを操る姿が、まるで戦女神が舞っている様だと、いつしかバレンタインに伝わる独特の剣流は【バレンタインの舞剣】と呼称される様になった。その歴史は、遥か祖先のローズ・バレンタインの時代まで遡る。彼を深く寵愛していた時の女王陛下が、そう名付けたのが始まりだった。誰にも真似は出来ない、バレンタインのみに伝わる秘伝の剣術。

「今日はやけに張り切っているな」

一息付いたアルベルに、艶のある低い声がかかる。長く伸ばした黒髪と青白い肌、なにより細めれば鋭い剣の様になる紫色の瞳が特徴の魔男クリストフェルの声だ。
解るのは性別と名前だけで、年齢も国籍も不明だが、何百年も前のローズ・バレンタイン代からバレンタイン家に仕えているのは確かだ。代々バレンタイン家次期当主の護衛と魔術面での教育を担っている。

「そうだな。そうかもしれない」

アルベルは剣を正面に持ち、その清廉なる輝きを見つめながら呟く様に返す。

「見ていたとは思うが…」

そして、パーティーの席で出会ったロベルというメリダ男爵についてと、彼に感じた想いを素直に吐露する。



魔術は使えば、その影響が必ず術者にも返ってくる。万が一失敗すればそれが何倍にもなって、術者の身を焼き殺す事すらある両刃の刃だ。そこで生まれたのが魔男と呼ばれる者達の仕事だ。彼等はそれなりに多額の金額で、魔術を代行する。危険な魔術になればなるほど金額も条件も吊り上がる。請け負う仕事は簡単な呪術から果ては戦争代行まで、魔男自身の熟練度により多岐に渡る。



クリストフェルは、そんな魔男の一人で、不思議な事にアルベルが生まれた時から今まで、寸分変わらぬ姿でずっと傍らにいた。だから、アルベルにとっては自分の全てを曝け出せる無二の存在だ。

「私は…、彼が羨ましい。同時に、堂々としたロベルに憧れを抱いたのだろう。だから、その言葉が嬉しかった」

今のアルベルが手を目一杯伸ばしてやっとおでこに手が届くぐらいに高身長なクリストフェルは、アルベルが剣から彼へと視線を投げると、そっと一歩下がりアルベルの首が疲れない位置で耳を傾ける。そんな小さな気遣いが、感情を表に出さない男の本質なのだと、アルベルは嬉しさを小さな微笑みに変える。

「彼の望み通りに、彼が求めるバレンタインの剣流で、彼と勝負がしたい。その時こそ私は…」

本当に男になれる気がする。
アルベルはその言葉を飲み込んだ。今のアルベルは少女。身体の性別がどうであれ、そう偽らなければならない。

「沐浴を」

一瞬、己に課せられた境遇への嫌悪が浮き上がりそうになり、アルベルは思考を振り払う。自他がどう思おうと、バレンタイン家嫡男に生まれた事を誇りに思いたいと、顔を上げて一歩を踏み出す。

「御意」

意味深な笑みを浮かべたクリストフェルが、アルベルがナイトドレスを脱ぐのを手伝う。夜風に裸身を晒したアルベルは、清めの力を持つ魔力の池へと身体を沈める。肌に触れる冷たい感触が、落ちかけたアルベルの思考を叱咤する。

「清めよう」

黒いローブを纏ったまま池に入って来たクリストフェルが、アルベルの幼い背中に触れる。指で清めの印を刻み、次いでおでこ、胸元へと刻んでゆく。

「…怖いか?」

珍しいと、アルベルはクリストフェルを見上げる。普段他人の感情や思考など気にしない男が見せた不意の気遣いに、アルベルは数日前から隠していた不安が隠しきれていなかったのだと悟る。

「お前は、何人ものバレンタイン嫡男を見て来たのだろう?父は?祖父は?………祖先達はこの日をどう迎えたのだ?」
「みな、それぞれだ」
「………そうか」

心を落ち着かせる為に瞳を閉じたアルベルの頬に、冷たい指が触れる。本当に珍しい。その気遣いのくすぐったさに、張り詰めた心が和らぐ。

「だが、気を和らげる薬を処方してやる事は出来る」

アルベルは思考を遥か先人達へと巡らせる。



古の時代。シュロウに二人の闇の皇太子が誕生したのを切っ掛けに、この世界には魔術という力の概念が生まれた。否、神々の世界から解放されたと言った方が正しいだろう。その力を得ようとした人々は、埋葬された皇子の片割れであるアストロッドの遺体を掘り起こし魔術の始祖と崇め、もう片割れのシェラバッハが書き残した魔術文字を研究した。やがて力を得た者達は自ら魔導士と名乗り、徒党を組む様になった。世界は彼等を危険視した。彼等の内の一派は時代に必ずいる王権に不満を持つ者達を陽動し、革命と云う大義名分を掲げ、王権へと戦争を仕掛けた。シュロウのみに留まらず、メリダやアーベルジュを巻き込んだ。歴史に『大魔導士戦争』と謡われる出来事である。この時、先頭に立って魔導士との戦いに挑んだのが、かのアスラン・バレンタインである。勝利を手にしたアスランは、代わりに魔導士達の悪足掻きにより、「次に産まれし嫡男より、バレンタイン家嫡男及び継承者は成人する迄に死す。死の呪いは末代まで続くだろう」という呪詛の傷痕を遺してしまった。

以来、バレンタイン家は『死の呪詛』に苦しめられて来た。そこで呪詛逃れの策として、嫡男として産まれた男児には二ツ名を与え、クリストフェルの力で呪詛がその名に固まる様にし、成人後にその名を永久的に封じるという方法が取られる事になった。また、成人迄の間に防ぎ切れない呪いの力を『性別を偽る』という古来からの魔除け方法を使って防ぐという二重の方法で、バレンタイン家嫡男は今日迄呪詛から護られ、家名の継承も途切れる事無く続いている。無論、偽るのは名前や姿形だけに留まらない。



しばしの沈黙の間に、自分の胸の内を反芻したアルベルは、安心せよとクリストフェルを真っ直ぐ見つめる。

「怖くは無い」

13歳の誕生日を迎えた今宵、アルベルは朱染めの儀を行う。朱染めの儀とはシュロウの女児が初潮を迎えた後に行う魔除けの儀式であり、有り体に言えば処女を失う儀式である。これは魔術という概念が産まれる前から行われていた儀式であり、初潮を迎えた女児が長く処女でいると黒き神々に眷族として招かれやすくなるという伝承に基づいた儀式である。当然、女児として生きるアルベルも儀式に望まねばならない。むしろ、この儀式を行う事で、偽りが真実に近くなり呪詛から身を守りやすくなる。

「明日からは、寝込む頻度は減るだろう」
「そうか、ならばいっそ楽しみだ」

アルベルは努めてにこやかに答える。

「稽古に精を出していた理由が、恐怖からでは無いのなら構わない」

クリストフェルがアルベルから離れ、池から上がる。季節になれば、この池の周りは薔薇で囲まれ、華やかに飾られる。だが、まだその季節には蕾は固く結ばれている。クリストフェルが手を差し出す。アルベルはその手に手を重ね、池から身を上げる。

「私はバレンタイン家を継ぐ者だ。恐怖等ない」

クリストフェルは小さな感嘆を上げそうになる。神聖なる池で清めを施す前と、まるで生まれ変わった様な美しさを讃えた人がそこにはいた。ローブを掛ける腕で抱きしめそうになるのを己を心の中で失笑する。その様な衝動は遥か昔に捨てた筈なのに、今更、男を捨て魔男になる道を選んだ太古の過去をささやかにでも悔やむとは。自分も人もままならず解らぬものだと。

「アルベル」

魔力を与え、身の内に潜む呪詛と戦う力を与える為に、何度も行って来た口付けを施す。

「…クリストフェル?」

流石は時期バレンタイン家当主。今の口付けに魔力等込められていていない事を見抜き、疑問を表情で語る。

「餞別代わりだよ。きっとお前は薔薇よりも咲き誇る花になるだろう」

言の葉は言霊となって、輝く事だろう。だが、まだ言葉の真意が理解出来る程大人ではないアルベルは、固く閉じた薔薇の蕾を眺めて、微笑する。

「ありがとう。クリストフェル」

クリストフェルは館に向かうアルベルへと膝を折る。バレンタイン家嫡男は、13歳の儀式までは魔男クリストフェル以外には素肌に触れさせてはいけないと云う掟がある。独り占めの時間はもう終わり。きっとアルベルはこれから数多の人と巡り合い、数多の感情を覚えてゆくだろう。その先には、光を纏った剣の様に気高き姿がある。そして………。クリストフェルは知ってしまっている事を、出来るだけ考えない様にと、振り切る様に立ち上がる。ふと、池を囲む生垣に、真っ赤な薔薇が一輪咲き誇っている事に気が付く。

「人間臭くなったと笑うか?よもや私がと…。だが、そうだな。どうか彼に力を貸して欲しい」

遥彼が好きだった必ず早く咲く一輪咲きの赤薔薇が風に揺れる。





今宵のドレスは己で選んだベルベットの真紅。竹馬の友であるハイドンに松明持ちを任せ、アルベルは屋敷の奥の部屋へと訪れる。父である現バレンタイン家当主ダーリエ、バレンタイン長老会、レッド・ロータス騎士団の三星騎が居並ぶ奥の、天蓋付きベッドの前で、バレンタイン家所有の聖堂の神官であり、アルベルの幼なじみであるアイリスが簡易ローブ姿で、手を差し出している。部屋の角で、魔男クリストフェルがいつも通りの澄ました顔で、ことの成り行きを見守っている。

「随分脱がし難いドレスを選んだね」
「私の最後の悪戯だ。せいぜい父の前で恥をかくがいい」
「残念だけど、それくらい造作も無いよ」

アルベル以上に秀麗な顔をしたアイリスの手が、アルベルの腰へと回される。

「僕に全てを委ねて。どうせなら気持ち良くしてあげる。君は女の子だから、“飾り”を使う事も“飾り”から快楽を吐き出す事も出来ないけどね」

アイリスの優しい口付けと共に、アルベルの身体がベッドへと沈む。一瞬の痛みの中で、パーティーで出会ったロベルの力強い微笑みを思い出す。なんとなく、その微笑みに遠ざかってしまった気がしてしまい、アルベルは必死にそれを打ち消す。そんな疑惑は、己の全てを否定するものだと。
だが、痛みの後に訪れた得も言われぬ感覚に、アルベルは唇を噛み締めた。



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