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バレンタインの騎士5

【花匂う季節】





アルベル・グラディオーレ・バレンタインは、一瞬だが確かにロベル・メイトゥーレのプラチナブロンドを見た。すぐに群集に紛れてしまった姿をもう一度見ようと目を凝らす。だが、目立つだろうその姿を見付ける前に、フレデリック・フォン・ヒューデレに名を呼ばれてしまい完全に見失う。

「なんだ。フリード」
「あそこ。エピキュリアン子息がいる。隠れた方がいいんじゃないか?」
「なぜアルベル様が隠れるんです?」
「あー。遅かったかも」

アルベルの姿を認めこちらに向かってくるマクシミリアン・エピキュリアンを見ながらフレデリックは「ごめん」とアルベルに告げる。告げてからアラン・セリジアの疑問には「すぐにわかるさ」と答える。「問題ない」アルベルはフレデリックにそう伝えると、マクシミリアンに向けて淑女の礼を示す。

「こちらにいたかアルベル」
「この度はご成人おめでとうございます」

アルベルは、手の甲にキスをするマクシミリアンに、まずは成人を向かえた事への祝辞を述べる。

「そんな儀礼的な挨拶はいい。それよりも…」
「お久しぶりです。エピキュリアン公子息殿」

次に予測される言葉は言わせぬと、フレデリックは強引に挨拶を述べ会話を遮る。

「おお、ヒューデレ男爵殿。近頃なにかとご健勝と伺っている」

マクシミリアンは一瞬表情を曇らせたが、既に爵位持ちのフレデリックの方が立場が上だと、無視出来ずに礼を返す。それでも、言葉尻がぶっきらぼうになる所に不愉快な感情が現れる。シュロウでは家柄よりも爵位の有無が公式の場では重要となる。家名の低いフレデリックに頭を下げねばならない悔しさと、アルベルとの会話を遮られた憤りが滲み出る。だが、フレデリックは構わずにこやかに続ける。

「ご紹介させてください。こちらはアラン・セリジア。我が預かるセリジア公爵領の未来の領主です」
「おお。そうか。セリジア公爵領はハイランドの中でも風光明媚と聞く。いつか是非足を運んでみたいものだ」

言外に「田舎者」と言うニュアンスを含んで返したマクシミリアンは、これで会話は終いだとすぐさまアルベルへと向き直る。

「アルベル。私と踊らないか?」

フレデリックは目配せで「ごめん」とアルベルに告げる。領地をバカにされ、文句の1つでも言わんとするアランを止めるのに、マクシミリアンの言葉を遮るどころじゃ無くなってしまったのだ。
アルベルは毅然とマクシミリアンへ向き合いながらも、密かに拳を握る。マクシミリアンとは、会うたびに古の騎士物語を語り合う仲だった。だから嫌いな訳ではない。だが、自分の境遇を知っているのに躍りに誘う理由がわからない。…バカにされているのだろうか?

「アルベル。聞いてほしい。私はアナタの気高さをとても好いている。ずっと、美しいと思っていた。友よりも深い仲になりたいと…」

だが、マクシミリアンはアルベルの予想を遥かに上回る言葉を口にした。途端、アルベルの心に電流の様な悔しさが走る。

「マクシミリアン。私は貴殿と対等の友だと思っていた。家名など関係なく対等に語り合える方だと…。貴殿は違ったとおっしゃるのか」
「…友と思うよりも先に、愛していた。バレンタインの花騎士の美しさに心を奪われ、今日の日を夢見ていたのだ」

思わずよろめくアルベルをアランが支える。そんなアランに礼を言うのも忘れて、アルベルは踵を返した。

「やぁ、アルベル。今宵のドレスも美しい…。どうだい、私と一曲…」

ドレスの裾を託し上げ、アルディ殿下が声を掛けてきたのにも気付かずに、アルベルは庭園を横切る。

「アルベル!?」

挨拶回りに勤しんでいたハイドンの声に、ローゼルトとアイリスがマクシミリアンを睨む。

「貴様!兄さんに何をした!」
「ダンスに誘っただけだ。今宵ならば咎められる事では無いと思うが…。私ならばバレンタイン家の事情も知っているし」
「兄さんの相手はハイドンかアイリスと決まっている!貴様ごときがしゃしゃり出て来るな」
「自分が抱けないからと、吠えるな。兄弟ではダンスに誘う事も出来ぬからな」
「マクシミリアン。アルベルの気持ちを考えたら、早まった言動だったと思うぜ」

今にも剣を抜きそうな二人の間にフレデリックが入る。

「あの、状況が理解出来ないのですが…。彼女は何故去ってしまったので?」
「あー。マクシミリアンがちょっと無神経だったんだよ」

首を傾げるアランにフレデリックは「いつか話す」と伝え、やり過ごす。さすがのフレデリック・ヒューデレでもバレンタイン家の秘密を口にするのは恐れ多い。

「ハイドン早く追い掛けて」
「お、おうっ」

アイリスに言われて、群集の中アルベルの姿を探し当てたハイドンは、向かおうとしてすぐに足を止める。

「失礼」

大して前を見ていなかったアルベルが、花祭にきっちりとした軍服という装いを選んで着こなす奇特な男にぶつかる。いや、ハイドンの目には男がわざとぶつかった様に見えた。その胸にはメリダの勲章。

「おや。貴殿はバレンタインの至宝」
「…メイトゥーレ伯」
「これは丁度良い。私も少し酔いが醒めてしまった頃合いで。貴殿もお疲れの様ですし、部屋で四方山話しでもいかがです?」

有無を言わさない瞳でアルベルに告げたロベル・メイトゥーレは、アルベルが返事をするよりも早くセシールを呼び寄せる。

「此方の高貴なるお方を我が部屋にご案内しろ」
「はい。心得ております。して、ロベルは何を?」
「雑事を片す」

アルベルをセシールに委ねたロベルは、己を注視するハイドンやアイリスを目の端でみながら、一触即発のローゼルトとマクシミリアンの側にゆく。

「マクシミリアン殿とお見受けしたが」
「如何にも私がマクシミリアン・エピキュリアンだが」
「ご挨拶をしていなかったのでな。私はロベル・メイトゥーレ」
「メイトゥーレ?では、そなたはメリダの?」
「ほう。存じ上げていただけているとは光栄。しかし…」

ロベルは一旦言葉を切ると、不遜な者を見下す様な視線をマクシミリアンに向ける。

「三英雄が一門の名家エピキュリアンの将来が心配ですな」
「なに?」
「嫡男がマドモアゼルの口説きかたも心得ておらぬとは」
「なん、だと…」
「今宵のアルベル様は、私が丁重に持て成そう。狼藉者に至宝を壊されては困るからな」
「き、さま…。言わせておけば…」

顔を赤くして屈辱に震えるマクシミリアンと、ぽかんとしているローゼルトを見たロベルは、満足を口の端に乗せる。

「然らば御免!」

踵を返したロベルは、高笑いながら颯爽と庭園を辞し自室へと向かう。





扉が閉まる音にアルベルは顔を上げる。

「あ、あの…。メイトゥーレ伯。この度は情けないところを…」

目指すべき姿と瞼の裏に刻んだ背中の人に見せてしまった醜態を、アルベルは恥じる。

「落ち着きましたか?」

羽織っていた長衣を脱いだロベル、アルベルが座るソファーの正面に座る。

「ええ。ありがとうございます。正直、助かりました」
「あのまま庭園を後にしたんでは、バレンタイン家が祭に泥を塗った形になってしまうだろうからな」
「はい。軽率でした」
「伝統厚きバレンタイン家を未来背負うのだ。あのような場も笑って切り抜けるだけの度量を持たねばならぬ」
「メイトゥーレ伯の仰る通りです。本当に、己が情けない」

感情に任せてしまった自分自信に感じる怒りに、アルベルは自身を抱き締める。そんなアルベルを暫くジッと見つめていたロベルは、不意に口許を緩める。

「まあ、まだ男を知って間もないのだろうから、致し方無いだろうが」
「あ、それは…」

思わず赤面したアルベルは、咳払いをひとつしてロベルに視線を真っ直ぐ合わせる。

「メイトゥーレ伯。本当にありがとうございました。この親切になんと礼をすればいいのか…」
「俺は貴殿の中に眠るバレンタインの剣技に興味があるだけ。精神の不安定さは剣の道に影響するからな」

ロベルはアルベルが今を嘆くだけの人間じゃなかった事に安堵しながら言葉を運ぶ。

「そういえば、勝負がしたいと…」
「そうだ。だから礼をしたいなら、精進と鍛練を重ね、バレンタインの舞剣を極めろ」
「無論。言われずとも」

アルベルとて、ロベルとのいつかの勝負を夢見ているのだと。その目を見たロベルは、不意にアルベルを試したくなり唇を撫でた。

「時に、今宵貴婦人の祝福を受けた男は大成するとか」
「ええ。今宵結ばれた者達は固い絆で結ばれ合うとも言われています。だから…、大切な友人のどちらも選べず困っておりました」
「そこに無粋な奴が現れてさらに困ったと」

一度、瞳を閉じたアルベルが立ち上がる。

「私は、貴方が祝福を受ける機会を奪ってしまいました。たが、今からでも間に合いましょう。すぐに麗しき花を…」
「花なら、ここにあるではないか」

ロベルの目の前で立ち止まったアルベルの腕を、ロベルは掴む。

「バレンタインの至宝の秘密ならば、知っている。我が家もシュロウとは縁が深い故な」
「殿方を持て成す術を知りません」
「委ねよ。美しき花はそれだけで十分だ」

アルベルの長く明るい太陽の色の髪が、ロベルの頬を擽る。

「私の好きな薔薇の香りだ。セシールめ用意が良すぎだ。………もう、恥じらわぬのか?」
「覚悟が無く、祭の夜に殿方に礼を問いましょうか?」
「なるほど」

ロベルの吐息がアルベルに絡まる。生まれたままになり、ベッドへ横たえたアルベルを見て、ロベルが喉を鳴らす。

「なにか?」
「いや。美しい…と思ってな。これが至宝が眠る身体か…」
「逆に恥ずかしいです」
「アルベル。いっそこれも武器にしてしまえ。なに、この道を知ろうが強い者も沢山いるさ」

ロベルの力強い腕が、アルベルを抱き締める。その腕に身を委ねながら、どうか彼に祝福をと、アルベルは強く願った。



夏の残響【フィリップ】

【新月の残響】





敵の狙撃手は8人。だが、どこに潜伏しているか解らない。地の理が無い相手のフィールドでの作戦は犠牲者無しには勝てないとクリスは言った。その犠牲者を出さずに勝つ方法は「フィーが的になること」だと策を話すクリス。正直嬉しかった。下手をすると自分が犠牲者になる。それでも、これがクリスの信頼の証なのだとわかるから。司令官がクリスの策を採用する。こちらを見たクリスに「やってみせる」と頷いてみせる。頷き返したクリスの顔が、優しく綻んでいた。

「フィーはアボリジニの伝承を知ってるか?」
「アボリジニ?」
「オーストラリアの原住民。彼等は死んだらミルキーウェイに還るんだそうだ」

宛がわれた寝室の窓から、クリスが夜空を指差す。

「還る?」
「ああ。人はミルキーウェイから来て、ミルキーウェイに還る。だから月の無い夜に死ぬことが喜ばれる」
「クリスは変なところ物知りだな」

その晩のクリスはいつにも増して優しかった。何故と問うと、昔似たような作戦で大事な仲間を失った事があるとポツリと教えてくれた。温もりに包まれた優しい眠り。明日への不安など、全く無かった。



こちらの狙撃手にはベイカーの部隊が配置に着いた。元々、クリスよりもベイカーの方が動体視力に優れており、弾道を読むのが上手いらしい。クリスは建物の影に隠れ、近接から援護をする。
空気を裂く破裂音。クリスの銃撃音に狙撃がそちらに集中する。その隙に路地へと踊り出て走る。クリスを狙撃していた幾つかの軌道が此方を向く。

「一度放たれた弾が軌道を変える事はない。逆に足を止めるのは危険だ。ただ、真っ直ぐ走れ」

頭の中にクリスの教えを何度も反芻しながら、ひたすら走る。危うくなる度にクリスが援護して軌道を反らしているのが解る。クリスの言う通り、ベイカー含む3人の狙撃は完璧だ。ほぼ一発で相手を仕留める。こちらの狙撃に気付いてあちらの狙撃手が銃口をベイカー達の方角に向けると、すかさずクリスがそちらを撃って軌道を逸らす。

4...5...6...

あと2人と言うのが油断を生んだのか、足を撃たれ転ぶ。

「止まるな!!走れ!!」

クリスが飛び出して来て、7人目を窓から撃ち落とす。

「止まると的になるぞ!!」

クリスの叫びに力を得てひたすら走る。走りながらクリスを見る。片腕が無いと思えない程の動きで、8人目を撃ち落とし、それでも降ってくる銃弾の雨を交わし、隣に並ぶ。路地の出口で引き倒され、その後に続いた連射音に胆が冷える。結局、狙撃手の情報は間違っており、9人の狙撃手と近接からのガトリング方式銃の計11人いた。クリスが引き倒してくれなければ、蜂の巣どころの話では済まなかった。

待ち伏せしていた全ての伏兵がベイカー達に倒され、総攻撃の号令が出た。未だ自分の背中の上に置かれたクリスの腕は震えていた。武者震い出はなく、明らかに恐怖から出ている震えなんて珍しい。

「クリス。ごめん」

せっかく重要な役目を託してくれたのに台無しにした。

「………よく、走りきった」

申し訳無さと情けなさから出た謝罪の言葉だったが、クリスの絞り出したかの様な言葉が掻き消した。

「よく、生き残ったな」

起こされた身体が抱きしめられた。今にも泣きそうなクリスの顔が綻び、おでこを合わせて撫でられる。それが擽ったくて嬉しくて、思えば自覚したのはこの時だったと思う。





「昔、アフガニスタンの最前線で傭兵部隊を率いていてな…」

クリスの左胸に残る銃痕。その意味と切々と語った過去が、クリスの心の弱さになったと話してくれた。以前程の自信は失われ、毎夜悪夢にうなされ、一人寝の快楽を失ったと。だけれどひと月前の作戦で自分が生きていたことで、解放され夢を見なくなったと語ってくれたクリスと、満月が見守る中結ばれた。あの作戦の日から大切に思っていたと伝えられ「俺も」と答えた。

激戦の日々の中、クリスの腕の中で眠る毎日が幸せで、自分がどこから来ただとかなんて、考えることも忘れていた。





それは、ウィスパードとかいう超能力者みたいな連中の研究をしている施設を襲撃する作戦中の事だった。頭の中に『声』が聴こえ、割れる様な頭痛に意識が朦朧とした。暴れそうになる自分を押さえつけ様と奮闘していたクリスを、敵だと認識して撃ったところで正気に還った。

「暴走しても的確に急所を撃つ。俺の教えが身体に染みこんでんじゃねぇか」

笑おうとしたクリスが、全く上手く笑えていないことにその胸をみれば、あの場所と思われる場所に血の染みが出来ていた。

「まだ貫通してないが、時間がないな」

プロになると、急所を撃たれた瞬間に筋肉を硬化させ、暫くは一命を留めて置けるんだ。前にクリスが言っていたのを思い出す。

「早く、止血を…」
「冷静になれフィリップ!」

怒鳴り声にビクリとする。

「冷静に状況を分析しろ」

頷けば、そっと頭を撫でられる。

「ちょうどいい。実はな、この施設にお前が還る手立てがあるらしくて、作戦に組み込んでもらったんだ」

クリスの指が自身から流れる血で床に地図を描く。

「この扉の先に道がある。新月の今夜、その仕掛けが作動するはずだ」
「クリス…俺は…」
「男なら、一か八かの可能性にかけろ」
「俺は、クリスと!」
「この作戦でこの部隊は壊滅だ」
「………は?」
「元々そういうさくせっ…」

クリスが激しく咳き込む。

「くそっ。あと30分で建物ごと爆発される」
「なんで、そんなっ」
「上の作戦に是非を問うのは愚者のすることだ」

震える指が頬を撫でる。最期の口付けは血の味がした。

「お前は生き残ってくれ」
「クリス」
「…………。俺の本名だしっかりと刻んでおけよ」

立ち上がった彼に身体を押し出される。警備軍の足音が迫る。

「止まるな!!走れ!!」

踵を返しとにかく走る。すぐに銃撃戦の音が聴こえる。角を曲がる時、背中の至る所から赤い花を咲かせ、その手から銃を落とす彼が見えた。絶叫しそうになるのを必死に抑え、彼が言っていた扉の中に駆け込んだ。








目が覚めたら病院のベッドの上だった。海に落ちた所までは覚えている。だが、その後の記憶がない。辛うじて思い出せたのは、残響の様に耳の中に残る銃声と、数多の銃弾に貫かれた身体。ああ、そうだ。ルシウス兄さんが自分を逃がす為に。だが、不意にその背中に別の背中が重なり、頭を抑える。

「良かった。目覚めて…」

スコットが安堵した様に此方を眺めていた。長い夢をみていたのだろうか?時折残像の様に脳裏を横切る砂漠の映像が、掴もうとすると靄がかかり消える。





ベイカーは時計を見る。爆発からなんとか逃れて来ると幾重も作戦を考えていた筈のクリスはついに来なかった。約束の刻限を過ぎての隠密行動は危険だと、その場を立ち去る。皮肉にも、月の無い夜空には美しいミルキーウェイが瞬いていた。

「ミッションは完遂したんだろうな。クリス」

星に問い掛ける。そうでなければならない。フィーが生きていないとクリスの仇を討てない。

「悪いなフィー。俺は何処までもあんたを追うぞ。愛しい友を殺した仇をな」

だから生きてろよ。と万が一の時のためと託されていたクリスのドッグタグに口づける。





クリス・エンフィード。
その名は墓碑に刻まれず、一人の傭兵の名はサハラの砂塵に覆われた。



END

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
夏の残響。これにてシリーズエンドとさせていただきます。テーマは『さあ、始めようか』でした。

ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。そして、どうか冷静に。

では、またどこかで会いましょう。

夏の残響【諫早】

【満月の残響】





誰も知らない物語を綴ろう。
この話の後、君達は知るべきではない真実をしる事になる。綴られる物語の登場人物ですら知らない物語。だが、それでも綴らなければならない。故にこの先は心して読んで欲しい。

さあ、綴ろう。
たとえ、この物語が君達に様々な感情をもたらそうとも―――





片手で器用に弾を装填する。なんとか生きている片目が塞がるから敢えてスコープは見ない。元々視力がいいから、2キロ程度なら肉眼で捉えられる。しかも、ここはNYでも東京でも無い、視界を塞ぐビルがない砂漠だ。砂の丘陵に身を隠し、風を感じて小さく息を吐き出し、吸って止める。ここから先は呼吸すらも邪魔になる。引き金を引く瞬間は何処までも無感情。狙撃手は全身を銃身に変える事が重要だ。

「命中だな」

仕事の正確さをスコープで確認してから立ち上がる。輸送隊の部隊長は撃ち殺した。あとは、前戦チームが部隊を壊滅させて、輸送品を奪えれば任務完了だ。

「さーて、早くあっち行かないと見せ場が無くなるかにゃっと」

狙撃銃をばらして袋に入れて、立ち上がった人物。彼を見たら、知る者は英雄の生還を称えるだろう。歓喜する者もいるだろう。片腕を失い、片目が潰れていたが、間違いなくかつてアフガニスタンの49陸部隊を率いていた諫早がそこにはいた。そう、彼は絶望的なあの状態で生きていたのだ。

「こりゃ、神様の落としモノか?」

諫早は足を止め、袋をおろし膝を付くと、倒れている少年か青年か判別がつきにくい彼の胸の上に耳を寄せる。次いで口の上に耳を寄せ、やがてその身体を俵担ぎにする。

「今は生きてても、こんな場所に寝てたら、明日には鳥の餌だ。お前が天使じゃなきゃな」

その美しき落としものは、ドイツ人も羨む様な鮮やかでふわふわ踊る金髪をしていた。





「お、クリス。前戦に来ないから、敵さんの狙撃手にでも撃たれたんかと心配したんだぜ」

命からがら今の部隊に拾われ治療を受けた諫早は名乗らなかった。49陸部隊の生き残りと知られたら殺される可能性に、記憶を失っているフリをした。だが、死者を弔う讃美歌を歌う習慣は続け、彼等が勝手に『救済者‐クリス‐』と呼ぶようになった。

「って、なんだよその荷物」
「落ちてたから拾った」
「飼うのか?」
「状況次第ではな」

袋を壁際に置いて、抱えていた天使を自分のベッドにおろす。

「ベイカー。悪いがオペ道具持ってきてくれ」
「あん。銃創か…」
「弾がまだ入ってる。抜かないと中毒お越しちまう」
「厄介な拾い物だな。ウチにはドクターはいないぜ?お前はラッキーだったんだ。巡回してるドクターがたまたまいた」
「俺がやる」
「クリスはオペまで出来んのか、そりゃたまげた。待ってな持ってきてやる」

諫早は洗濯したばかりの替えのシーツを引きちぎり、それを縄に変えて天使の両手首をベッドにきつく縛り付ける。見れば見るほどに綺麗な顔をしている。その顔にNYにいた頃に世話していた子供達を思い出す。その中にも天使の様に綺麗な顔をした奴がいたけど、病弱で冬を越えられずに死んでしまった。

「助けてやるから。耐えろよ」

脂汗が滲むおでこをあやすように撫でて、タオルを猿轡にして口を塞ぐ。

「用意したぜ。麻酔は無理だったけど」
「上等だ。ベイカー、足を押さえていてくれ」
「了解」

オペ道具なんて言うが、ペンチやらナイフやら酒やら戦場でも手に入るものばかりだ。それでも、この手で拾えた命ならば助けたい。フラッシュバックする死んでいった仲間達の顔を深呼吸で奥に沈めて、メスがわりのナイフに酒を掛ける。





称賛に値する生命力を天使は見せた。ベイカーは諫早の甲斐甲斐しい看病のお陰だと言っていたが、こいつ自身に生きる力がなきゃ助けられなかったよと返した。

「何本に見える?」
「1本」

目覚めた天使の目の前に、諫早は指を立てる。

「これは?」
「3本」
「いい子だ。自分が置かれた状況はわかるか?」
「ボーっとする。あと、熱い」
「ああ、腹の中に銃弾があった。3日間うなされてたぞ」

諫早が指差した腹の傷を見て、その目を見開く。瞳がさ迷っているのは、身に起こった出来事を追想しているのだろう。頭のいい、冷静な子だと、諫早は目を細めた。

「追われてたんだ。波止場に追い詰められて、兄さんがそいつら全部引き受けて…。逃げろって、普段怒らない兄さんが声を荒げたから、俺海に飛び込んだ。その瞬間に兄さんが何か叫んで…。俺、泳ぎ上手いのに、上手く飛び込めなくて…」

恐らくは飛び込む瞬間に撃たれたのだろう。だが、海に飛び込んで砂漠のど真ん中に落ちてるなど妙だ。日差しに乾いたのか濡れた気配もなかった。

「此処はどこなんだ?」

混乱している様子だったが、あの状態から兄の安否を聞かず、最初に自分が置かれた状況を確認しようとする判断能力。諫早は気に入ったと笑みを口に乗せる。

「エジプトだ。だが、たぶんお前の知ってるエジプトじゃないかも知れないがな」
「そうか。俺はフィ」
「おっと」

諫早は手のひらで彼の口を塞ぐ。

「追われてたんなら。不用意に名乗るもんじゃない」
「色々と教えて欲しい。俺がエジプトにいる意味が解らない」
「OK。フィー。俺はクリスと呼ばれてる」
「フィー?」
「ここではそれで通せ」

このやり取りで体力が尽きたのか、フィーの身体が傾ぐ。

「ちゃんと話してやるから、一回寝ろ。今のお前のミッションはとっとと傷を治す事だ」
「………わかった」

毛布を掛けておでこにキスをする。

「おやすみ。フィー(妖精)ちゃん」
「子供扱いするな。おやすみ」

すぐに聴こえた寝息に、諫早は苦笑する。『Philippe』彼のポケットに入ってた刺繍入りのハンカチを自分のポケットにしまって、気配に立ち上がる。

「それが拾いものかクリス」
「ライアン隊長。レディの部屋に入るならノックは必須よ」
「珍しくいい笑顔だったな」
「しかも覗きなんて悪趣味ね」
「その気持ち悪いジョークはもう終わりだ。任務‐ミッション‐だ暗殺者‐サイレンサー‐にな」

長身で体躯のいい隊長の言葉に、諫早はおちゃらけた笑顔を消し一瞬で身に纏う空気を変える。

「オーダーをコマンダー」

相変わらず無茶な命令ばかりする部隊だ。寝込みとはいえ1人で30人は骨が折れる。だが、諫早は久し振りに沸き上がった感覚に喜ぶ。己が死んだら死ぬ奴がいる。49陸部隊でにゃんこを飼ってた時以来の感覚は諫早の身体と心を軽くした。





フィーが望んだから諫早は戦闘術を一通り教えた。どういう事情にせよ、暫くは戦場で生きなければならないのなら必要だろうと。銃も教えたが肉弾戦の方が肌に合うらしいフィーに、今まで誰にも教えなかった暗殺術を叩き込む。

「アサトが嫉妬するかねぇ」
「何か言ったか?」
「いんにゃ。なんも」

いつかは帰るべき場所に帰してやろうと考えている。だが、フィーの話を聞く限りそれは“こっちの世界じゃない”。だから帰る手立てが見つかるまで生き残る術を与えなきゃならない。

「お前日本の番組知ってる?」
「なんのだよ」
「九死に一生スペシャル」
「ごめん。解らない」
「この状況を切り抜けたら出演出来るかねぇ」

覚えの早かった彼は、今や諫早の片腕となるまでに成長した。

「クリスだけを囮に、部隊全員が退却なんてバカげた任務だ」
「1人じゃないさ。フィーがいる」
「建物の周り囲まれてるな」
「人気者な証拠だ。歌でも歌ってやりゃ喜ぶかもな」
「デュオ」
「お、一緒にやる?」
「サックス欲しい」
「なら、楽器屋さんいかなきゃね。今から行きゃ閉店に間に合うかもな」
「火薬の匂い」
「お約束のパターン」

肩を竦めて笑い合って、諫早は今はっきり生きてて良かったと思っている事を実感している。

「そんじゃあ、もう一個お約束しようかな」
「なにを?」

顔を上げたフィーの唇に口づける。驚いた表情のフィーだが、意外にも冷静だ。

「新居(新しい駐屯地)に着いたら、恋人になって下さい」
「バカっこのタイミングで…」

フィーの顔が赤く染まる。

「その前に胸の傷の理由きかせろよ」
「ああ、これか?」

諫早はシャツのボタンを外し、左胸にある銃痕を示す。

「ちょっと、飼い猫が肝心な時にノーコンでな」

「後で詳しく話すよ」とボタンを留め直しフィーを見つめる。

「爆発物が仕掛けられた。プランBでいくぞ」
「わかった」
「絶対生き残れよ。フィリップ」

本名を呼ばれたフィーが、やや驚きながら頷く。

「生き残れたら。いいぞ」
「約束だからな」
「ああ」
「よし。………GO!!」

単純な自分は、これだけでミッション成功率100%だと確信する。





月明かり。
無事新居に戻れた二人は、月光のリングの中キスをする。満ちた月がいずれ欠けゆくと知らず。



to be continue

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
次が本番!
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