【花匂う季節】





アルベル・グラディオーレ・バレンタインは、一瞬だが確かにロベル・メイトゥーレのプラチナブロンドを見た。すぐに群集に紛れてしまった姿をもう一度見ようと目を凝らす。だが、目立つだろうその姿を見付ける前に、フレデリック・フォン・ヒューデレに名を呼ばれてしまい完全に見失う。

「なんだ。フリード」
「あそこ。エピキュリアン子息がいる。隠れた方がいいんじゃないか?」
「なぜアルベル様が隠れるんです?」
「あー。遅かったかも」

アルベルの姿を認めこちらに向かってくるマクシミリアン・エピキュリアンを見ながらフレデリックは「ごめん」とアルベルに告げる。告げてからアラン・セリジアの疑問には「すぐにわかるさ」と答える。「問題ない」アルベルはフレデリックにそう伝えると、マクシミリアンに向けて淑女の礼を示す。

「こちらにいたかアルベル」
「この度はご成人おめでとうございます」

アルベルは、手の甲にキスをするマクシミリアンに、まずは成人を向かえた事への祝辞を述べる。

「そんな儀礼的な挨拶はいい。それよりも…」
「お久しぶりです。エピキュリアン公子息殿」

次に予測される言葉は言わせぬと、フレデリックは強引に挨拶を述べ会話を遮る。

「おお、ヒューデレ男爵殿。近頃なにかとご健勝と伺っている」

マクシミリアンは一瞬表情を曇らせたが、既に爵位持ちのフレデリックの方が立場が上だと、無視出来ずに礼を返す。それでも、言葉尻がぶっきらぼうになる所に不愉快な感情が現れる。シュロウでは家柄よりも爵位の有無が公式の場では重要となる。家名の低いフレデリックに頭を下げねばならない悔しさと、アルベルとの会話を遮られた憤りが滲み出る。だが、フレデリックは構わずにこやかに続ける。

「ご紹介させてください。こちらはアラン・セリジア。我が預かるセリジア公爵領の未来の領主です」
「おお。そうか。セリジア公爵領はハイランドの中でも風光明媚と聞く。いつか是非足を運んでみたいものだ」

言外に「田舎者」と言うニュアンスを含んで返したマクシミリアンは、これで会話は終いだとすぐさまアルベルへと向き直る。

「アルベル。私と踊らないか?」

フレデリックは目配せで「ごめん」とアルベルに告げる。領地をバカにされ、文句の1つでも言わんとするアランを止めるのに、マクシミリアンの言葉を遮るどころじゃ無くなってしまったのだ。
アルベルは毅然とマクシミリアンへ向き合いながらも、密かに拳を握る。マクシミリアンとは、会うたびに古の騎士物語を語り合う仲だった。だから嫌いな訳ではない。だが、自分の境遇を知っているのに躍りに誘う理由がわからない。…バカにされているのだろうか?

「アルベル。聞いてほしい。私はアナタの気高さをとても好いている。ずっと、美しいと思っていた。友よりも深い仲になりたいと…」

だが、マクシミリアンはアルベルの予想を遥かに上回る言葉を口にした。途端、アルベルの心に電流の様な悔しさが走る。

「マクシミリアン。私は貴殿と対等の友だと思っていた。家名など関係なく対等に語り合える方だと…。貴殿は違ったとおっしゃるのか」
「…友と思うよりも先に、愛していた。バレンタインの花騎士の美しさに心を奪われ、今日の日を夢見ていたのだ」

思わずよろめくアルベルをアランが支える。そんなアランに礼を言うのも忘れて、アルベルは踵を返した。

「やぁ、アルベル。今宵のドレスも美しい…。どうだい、私と一曲…」

ドレスの裾を託し上げ、アルディ殿下が声を掛けてきたのにも気付かずに、アルベルは庭園を横切る。

「アルベル!?」

挨拶回りに勤しんでいたハイドンの声に、ローゼルトとアイリスがマクシミリアンを睨む。

「貴様!兄さんに何をした!」
「ダンスに誘っただけだ。今宵ならば咎められる事では無いと思うが…。私ならばバレンタイン家の事情も知っているし」
「兄さんの相手はハイドンかアイリスと決まっている!貴様ごときがしゃしゃり出て来るな」
「自分が抱けないからと、吠えるな。兄弟ではダンスに誘う事も出来ぬからな」
「マクシミリアン。アルベルの気持ちを考えたら、早まった言動だったと思うぜ」

今にも剣を抜きそうな二人の間にフレデリックが入る。

「あの、状況が理解出来ないのですが…。彼女は何故去ってしまったので?」
「あー。マクシミリアンがちょっと無神経だったんだよ」

首を傾げるアランにフレデリックは「いつか話す」と伝え、やり過ごす。さすがのフレデリック・ヒューデレでもバレンタイン家の秘密を口にするのは恐れ多い。

「ハイドン早く追い掛けて」
「お、おうっ」

アイリスに言われて、群集の中アルベルの姿を探し当てたハイドンは、向かおうとしてすぐに足を止める。

「失礼」

大して前を見ていなかったアルベルが、花祭にきっちりとした軍服という装いを選んで着こなす奇特な男にぶつかる。いや、ハイドンの目には男がわざとぶつかった様に見えた。その胸にはメリダの勲章。

「おや。貴殿はバレンタインの至宝」
「…メイトゥーレ伯」
「これは丁度良い。私も少し酔いが醒めてしまった頃合いで。貴殿もお疲れの様ですし、部屋で四方山話しでもいかがです?」

有無を言わさない瞳でアルベルに告げたロベル・メイトゥーレは、アルベルが返事をするよりも早くセシールを呼び寄せる。

「此方の高貴なるお方を我が部屋にご案内しろ」
「はい。心得ております。して、ロベルは何を?」
「雑事を片す」

アルベルをセシールに委ねたロベルは、己を注視するハイドンやアイリスを目の端でみながら、一触即発のローゼルトとマクシミリアンの側にゆく。

「マクシミリアン殿とお見受けしたが」
「如何にも私がマクシミリアン・エピキュリアンだが」
「ご挨拶をしていなかったのでな。私はロベル・メイトゥーレ」
「メイトゥーレ?では、そなたはメリダの?」
「ほう。存じ上げていただけているとは光栄。しかし…」

ロベルは一旦言葉を切ると、不遜な者を見下す様な視線をマクシミリアンに向ける。

「三英雄が一門の名家エピキュリアンの将来が心配ですな」
「なに?」
「嫡男がマドモアゼルの口説きかたも心得ておらぬとは」
「なん、だと…」
「今宵のアルベル様は、私が丁重に持て成そう。狼藉者に至宝を壊されては困るからな」
「き、さま…。言わせておけば…」

顔を赤くして屈辱に震えるマクシミリアンと、ぽかんとしているローゼルトを見たロベルは、満足を口の端に乗せる。

「然らば御免!」

踵を返したロベルは、高笑いながら颯爽と庭園を辞し自室へと向かう。





扉が閉まる音にアルベルは顔を上げる。

「あ、あの…。メイトゥーレ伯。この度は情けないところを…」

目指すべき姿と瞼の裏に刻んだ背中の人に見せてしまった醜態を、アルベルは恥じる。

「落ち着きましたか?」

羽織っていた長衣を脱いだロベル、アルベルが座るソファーの正面に座る。

「ええ。ありがとうございます。正直、助かりました」
「あのまま庭園を後にしたんでは、バレンタイン家が祭に泥を塗った形になってしまうだろうからな」
「はい。軽率でした」
「伝統厚きバレンタイン家を未来背負うのだ。あのような場も笑って切り抜けるだけの度量を持たねばならぬ」
「メイトゥーレ伯の仰る通りです。本当に、己が情けない」

感情に任せてしまった自分自信に感じる怒りに、アルベルは自身を抱き締める。そんなアルベルを暫くジッと見つめていたロベルは、不意に口許を緩める。

「まあ、まだ男を知って間もないのだろうから、致し方無いだろうが」
「あ、それは…」

思わず赤面したアルベルは、咳払いをひとつしてロベルに視線を真っ直ぐ合わせる。

「メイトゥーレ伯。本当にありがとうございました。この親切になんと礼をすればいいのか…」
「俺は貴殿の中に眠るバレンタインの剣技に興味があるだけ。精神の不安定さは剣の道に影響するからな」

ロベルはアルベルが今を嘆くだけの人間じゃなかった事に安堵しながら言葉を運ぶ。

「そういえば、勝負がしたいと…」
「そうだ。だから礼をしたいなら、精進と鍛練を重ね、バレンタインの舞剣を極めろ」
「無論。言われずとも」

アルベルとて、ロベルとのいつかの勝負を夢見ているのだと。その目を見たロベルは、不意にアルベルを試したくなり唇を撫でた。

「時に、今宵貴婦人の祝福を受けた男は大成するとか」
「ええ。今宵結ばれた者達は固い絆で結ばれ合うとも言われています。だから…、大切な友人のどちらも選べず困っておりました」
「そこに無粋な奴が現れてさらに困ったと」

一度、瞳を閉じたアルベルが立ち上がる。

「私は、貴方が祝福を受ける機会を奪ってしまいました。たが、今からでも間に合いましょう。すぐに麗しき花を…」
「花なら、ここにあるではないか」

ロベルの目の前で立ち止まったアルベルの腕を、ロベルは掴む。

「バレンタインの至宝の秘密ならば、知っている。我が家もシュロウとは縁が深い故な」
「殿方を持て成す術を知りません」
「委ねよ。美しき花はそれだけで十分だ」

アルベルの長く明るい太陽の色の髪が、ロベルの頬を擽る。

「私の好きな薔薇の香りだ。セシールめ用意が良すぎだ。………もう、恥じらわぬのか?」
「覚悟が無く、祭の夜に殿方に礼を問いましょうか?」
「なるほど」

ロベルの吐息がアルベルに絡まる。生まれたままになり、ベッドへ横たえたアルベルを見て、ロベルが喉を鳴らす。

「なにか?」
「いや。美しい…と思ってな。これが至宝が眠る身体か…」
「逆に恥ずかしいです」
「アルベル。いっそこれも武器にしてしまえ。なに、この道を知ろうが強い者も沢山いるさ」

ロベルの力強い腕が、アルベルを抱き締める。その腕に身を委ねながら、どうか彼に祝福をと、アルベルは強く願った。