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バレンタインの騎士6

【花咲く季節】




香しく鼻腔を擽るのは短い春に遅れぬ様にと一斉に咲き誇った花々か、或いは…





戦争屋メリダ。
主を無くした騎士団、国を追われた戦士団、支払いに応じてなんでもする傭兵団。無敵艦隊を誇るレキサンドル、魔導と戦士の強国シュロウ、騎士の国アーベルジュ、列強国に囲まれた彼の国は国を守る為にゴロツキ手前のそんな者達を受け入れてきた。故に他の列強国達は揶揄する様に彼の国をそう呼ぶ。
しかし、メリダも好んでその名を自ら名乗る時もあった。メリダのルールは実にシンプル。強き者が法律であり、玉座の人である。

「そんなに、バレンタインの至宝は美しいのか?」
「はい。陛下」
「どんぐらい?」

現在のメリダの玉座の人、つまりメリダ最強の男を見上げロベル・メイトゥーレは口の端を上げる。

「およそ、アンダルシア姫も敵いますまい」

アンダルシア姫とは当代一と言われているレキサンドルの姫君である。花祭の翌朝。早々に帰路に着くロベルとセシールを見送りに来たアルベルを見て、少なくともロベルはそう感じた。一夜を過ごしたからと云う理由だけではないだろう。それだけで胸を昂らせるほどロベルは初心ではない。そう、ロベルが見たアルベルの美しさは、例えるなら凛とした瞳が見つめる未来の美しさ。きっと、誓いを果たしてくれるだろう。そう思える程の確かな芯の強さ。

「ロベルにそこまで言わせるとは…。よし、良いことを思いついたぞ。ロベル・メイトゥーレ!急ぎアルベル・バレンタインの絵姿を手に入れて来い」

嫌な予感にその場にいた者達が、想像の中で頭を抱える。

「俺は、アルベル・バレンタイン以上に美しい姫君じゃなければ結婚はしない。そう流布しろ!」

王を諌めようとする者、慌てる者、呆れる者、だが、ロベルだけは悪戯者の笑みを更に深くする。これだから、この王に仕えるのは面白い…と。






花が舞う。風に揺れ踊る。

「美しい…」
「そうでしょう。アルベル様。ヴァイツァーシュタイン自慢の庭には100種類以上の薔薇の他にも数100種類の花々があり、この季節は一斉に咲きますから」

セリジア公爵が嫡男アラン・セリジアが得意そうな顔でバルコニーから庭を見渡すアルベルに並び答える。

「突然の訪城にお応え頂きありがとうございます。男爵殿」

アルベルは淑女らしく一歩下がり、スカートの裾をほんの少し持ち上げて礼をする。

「アランとお呼び下さい。その方が私も貴女をアルベルと気軽に呼びやすいです」
「わかりました。アラン」
「あからさまに鼻の下を伸ばしてんじゃねーよアラン」
「フレデリック様…」

邪魔者が来たという雰囲気を隠さないアランに苦笑しつつフレデリック・ヒューデレ伯爵もバルコニーに足を運んでくる。

「災難だったなアルベル」
「花祭以来だなフレデリック。伯爵の継承おめでとう」
「ありがとう。まあ、単なる通過儀礼だけどね」

そんなことはないとアルベルはフレデリックを称賛する。フレデリックが書いた論文がまたもや賢者の塔に収容され、その成果故の継承だと云うのは周知の事実だ。アランもこの度成人の暁にこのヴァイツァーシュタイン城とその領地を任され、男爵位を拝命した。それに引き換え、同じ歳の自分は…と項垂れたアルベルの心中を察したフレデリックはその肩を叩く。

「お前はこれからだろう?」
「ありがとう。フレデリック」
「良くはわかりませんが、アルベル様は産まれながらの美貌をお持ちではないですか!それも、メリダ王を狂わし、世界にその名を轟かす美貌なんて早々恵まれるものではありません。きっとアルベル様はこれから引く手あまたの選り取りみどり、我々ごときが持つ爵位なんて微々たるものでしょう。嗚呼、セリジア公領がもっと名高い家ならば堂々と婚姻を申し入れるのに!フレデリック様変わって下さい!」

普段は静かなタチなのだが、1度熱が入ると留まらなくなるアランの頭をフレデリックは小突く。

「悪いな。こいつなんも解ってないから」
「なにをするんです。フレデリック様」
「お前は余計なことゆーなよ」

やいのやいのと言い合いを始めた二人にアルベルは思わず吹き出す。

「本当に、仲が良いな。羨ましい…」
「では、貴女も友だちになりましょう」
「え?」

アルベルはキョトンと目を見開く。友人という立場のハイドンはいる。しかし彼とは飽くまで主人と臣下という前提があっての事だし、婚約者という間柄になってしまい、気軽に庭を駆け回る訳にはいかなくなった。そもそも、アルベルはバレンタイン公爵家の産まれ故、友人を自分で選べる自由はなかった。

「この城に滞在中は貴女はただのアルベル。フレデリック様も貴女も私も、家や身分を忘れましょう。せっかく、うるさい連中がいないんですから」

アルベルとフレデリックは顔を見合わす。

「こいつのこういう所が好きなんだ」
「なるほど」

そして、互いに笑い合う。

「なにか自分は可笑しな事を言いましたか?」

「いや。ありがとう。今日から私達は友人同士。上も下もない。よろしく、アラン」
「こちらこそ、アルベル」

手を取り合い握手を交わす二人から、フレデリックは開けられた部屋の扉へと視線を移す。

「いいよな。ローゼルト」
「…まあ、姉さんがそうすると言うのなら…」

アルベルや自分の荷ほどきなどの雑事を片付け終わって戻ってきたローゼルトは、ムスッとアランを見て渋々頷く。

「お前も、友だちな」

そして、にかりと笑うフレデリックを睨みため息を溢した。



メリダ王がアルベル・グラディオーレ・バレンタイン以上に美しい者でなければ結婚はおろか見合いもしないと臣下に命じたとの噂は、瞬く間に各国へと広まった。
そのアルベル・グラディオーレ・バレンタインが実はバレンタイン公爵家嫡男なのだと知っている者は限られている。アルベルを見た事がある夜会の主役を気取る者達はアルベルが如何に美しいかを自慢気に語った。誰もが未だ見た事ないアルベルの美貌を称えた。例え何気ない日常だろうとそれを歌にすれば吟遊詩人達は潤った。そんなアルベルを一目見ようと地位ある者達はバレンタイン城に詰め掛けた。派手好きのシュロウ王家は宴を開いてはアルベルを見せびらかした。どんな理由であれレキサンドルに勝ったのも嬉しかったのだろう。昨今のシュロウとレキサンドルは「太陽が沈んだ国と太陽が登る国」と比較されてしまっていた。だからこそシュロウ王家は殊更にアルベルを見せびらかす為の宴を開き、アンダルシア姫よりも美しいと歌った吟遊詩人には報奨を弾んだ。
「陛下、アルベルは貴方の人形ではありません」ダーリエの忠言は無視された。やがてアルベルへの求婚が各国から寄せられるようになった。最早収集がつかぬとダーリエは一計を案じた。まずアルベルに仮病で倒れさせ、療養が必要だと医師に診断させる。その療養先に選ばれたのがハイランドの片田舎に聳える、このヴァイツァーシュタイン城だった。



「久しぶりに静かな夜だ」
「姉さん。夜風に風邪を引いてしまいます」

居場所が気取られぬよう、ローゼルトとクリストフェルだけを連れて、ヴァイツァーシュタイン城の高貴な客人になった。まるで城落ちの様だとアルベルは呟く。

「そんなことない。そんなことはないよ、姉さん…」

アルベルに肩掛けをかけたローゼルトは、アルベルを後ろから抱き締める。

「ただ長い旅行なだけだ。俺は姉さんと二人で旅行出来るなんて嬉しいよ」
「ありがとう。ローゼルト」

ふと、アルベルの視線に手を振るアランが移る。アランは窓辺の人を忍んで見た騎士の真似事の如く、華麗な礼を施し去っていく。

「あいつ。姉さんになんて無礼な」
「良い奴だな。アラン・セリジアは…」

少し心が軽くなったとアルベルは微笑み立ち上がる。

「クリストフェル。程良い場所は見つけたか?」
「あちらの森ならば人気はないだろう。この辺りならば狼もいまい」
「よし。では、舞の鍛練に行こうか」

バレンタインの舞剣。それを極める事だけが今のアルベルが持てる希望であり確かなものだった。だから、この日課だけは何があっても欠かす訳にはいかない。



アルベルは知らない。
祖先アルウェル・ローズ・バレンタインも、その美しさ故に噂になりハイランドに落ち延びた事があると。ヴァイツァーシュタイン城。その城に100とある薔薇はその人の心を慰める為に贈られたものである。その人もまた森にて剣の修行に励んだ。誇り高い彼は美しいという称賛を揶揄と受け取り、その悔しさから筋力をつけられぬ境遇の身体でも負けぬ剣技を研究した。バレンタイン家に伝わるアスランの剣流を元に、少ない筋力でも効果的な攻撃になるよう改良を加えていった。そして、バレンタイン家の至宝『舞剣』へと昇華させていったのだ。

何も知らないアルベルは無心に剣を振るう。それでいい。クリストフェルはその様を見つめながら思う。迷い傷付く不遇の時があるからこそ、バレンタインの騎士達はより強く気高くなるのだと。



季節は春も終わりを迎える頃。
咲き誇った花々は美しく舞い、若々しい新緑の舞台へと移り変わる。



.

バレンタインの騎士5

【花匂う季節】





アルベル・グラディオーレ・バレンタインは、一瞬だが確かにロベル・メイトゥーレのプラチナブロンドを見た。すぐに群集に紛れてしまった姿をもう一度見ようと目を凝らす。だが、目立つだろうその姿を見付ける前に、フレデリック・フォン・ヒューデレに名を呼ばれてしまい完全に見失う。

「なんだ。フリード」
「あそこ。エピキュリアン子息がいる。隠れた方がいいんじゃないか?」
「なぜアルベル様が隠れるんです?」
「あー。遅かったかも」

アルベルの姿を認めこちらに向かってくるマクシミリアン・エピキュリアンを見ながらフレデリックは「ごめん」とアルベルに告げる。告げてからアラン・セリジアの疑問には「すぐにわかるさ」と答える。「問題ない」アルベルはフレデリックにそう伝えると、マクシミリアンに向けて淑女の礼を示す。

「こちらにいたかアルベル」
「この度はご成人おめでとうございます」

アルベルは、手の甲にキスをするマクシミリアンに、まずは成人を向かえた事への祝辞を述べる。

「そんな儀礼的な挨拶はいい。それよりも…」
「お久しぶりです。エピキュリアン公子息殿」

次に予測される言葉は言わせぬと、フレデリックは強引に挨拶を述べ会話を遮る。

「おお、ヒューデレ男爵殿。近頃なにかとご健勝と伺っている」

マクシミリアンは一瞬表情を曇らせたが、既に爵位持ちのフレデリックの方が立場が上だと、無視出来ずに礼を返す。それでも、言葉尻がぶっきらぼうになる所に不愉快な感情が現れる。シュロウでは家柄よりも爵位の有無が公式の場では重要となる。家名の低いフレデリックに頭を下げねばならない悔しさと、アルベルとの会話を遮られた憤りが滲み出る。だが、フレデリックは構わずにこやかに続ける。

「ご紹介させてください。こちらはアラン・セリジア。我が預かるセリジア公爵領の未来の領主です」
「おお。そうか。セリジア公爵領はハイランドの中でも風光明媚と聞く。いつか是非足を運んでみたいものだ」

言外に「田舎者」と言うニュアンスを含んで返したマクシミリアンは、これで会話は終いだとすぐさまアルベルへと向き直る。

「アルベル。私と踊らないか?」

フレデリックは目配せで「ごめん」とアルベルに告げる。領地をバカにされ、文句の1つでも言わんとするアランを止めるのに、マクシミリアンの言葉を遮るどころじゃ無くなってしまったのだ。
アルベルは毅然とマクシミリアンへ向き合いながらも、密かに拳を握る。マクシミリアンとは、会うたびに古の騎士物語を語り合う仲だった。だから嫌いな訳ではない。だが、自分の境遇を知っているのに躍りに誘う理由がわからない。…バカにされているのだろうか?

「アルベル。聞いてほしい。私はアナタの気高さをとても好いている。ずっと、美しいと思っていた。友よりも深い仲になりたいと…」

だが、マクシミリアンはアルベルの予想を遥かに上回る言葉を口にした。途端、アルベルの心に電流の様な悔しさが走る。

「マクシミリアン。私は貴殿と対等の友だと思っていた。家名など関係なく対等に語り合える方だと…。貴殿は違ったとおっしゃるのか」
「…友と思うよりも先に、愛していた。バレンタインの花騎士の美しさに心を奪われ、今日の日を夢見ていたのだ」

思わずよろめくアルベルをアランが支える。そんなアランに礼を言うのも忘れて、アルベルは踵を返した。

「やぁ、アルベル。今宵のドレスも美しい…。どうだい、私と一曲…」

ドレスの裾を託し上げ、アルディ殿下が声を掛けてきたのにも気付かずに、アルベルは庭園を横切る。

「アルベル!?」

挨拶回りに勤しんでいたハイドンの声に、ローゼルトとアイリスがマクシミリアンを睨む。

「貴様!兄さんに何をした!」
「ダンスに誘っただけだ。今宵ならば咎められる事では無いと思うが…。私ならばバレンタイン家の事情も知っているし」
「兄さんの相手はハイドンかアイリスと決まっている!貴様ごときがしゃしゃり出て来るな」
「自分が抱けないからと、吠えるな。兄弟ではダンスに誘う事も出来ぬからな」
「マクシミリアン。アルベルの気持ちを考えたら、早まった言動だったと思うぜ」

今にも剣を抜きそうな二人の間にフレデリックが入る。

「あの、状況が理解出来ないのですが…。彼女は何故去ってしまったので?」
「あー。マクシミリアンがちょっと無神経だったんだよ」

首を傾げるアランにフレデリックは「いつか話す」と伝え、やり過ごす。さすがのフレデリック・ヒューデレでもバレンタイン家の秘密を口にするのは恐れ多い。

「ハイドン早く追い掛けて」
「お、おうっ」

アイリスに言われて、群集の中アルベルの姿を探し当てたハイドンは、向かおうとしてすぐに足を止める。

「失礼」

大して前を見ていなかったアルベルが、花祭にきっちりとした軍服という装いを選んで着こなす奇特な男にぶつかる。いや、ハイドンの目には男がわざとぶつかった様に見えた。その胸にはメリダの勲章。

「おや。貴殿はバレンタインの至宝」
「…メイトゥーレ伯」
「これは丁度良い。私も少し酔いが醒めてしまった頃合いで。貴殿もお疲れの様ですし、部屋で四方山話しでもいかがです?」

有無を言わさない瞳でアルベルに告げたロベル・メイトゥーレは、アルベルが返事をするよりも早くセシールを呼び寄せる。

「此方の高貴なるお方を我が部屋にご案内しろ」
「はい。心得ております。して、ロベルは何を?」
「雑事を片す」

アルベルをセシールに委ねたロベルは、己を注視するハイドンやアイリスを目の端でみながら、一触即発のローゼルトとマクシミリアンの側にゆく。

「マクシミリアン殿とお見受けしたが」
「如何にも私がマクシミリアン・エピキュリアンだが」
「ご挨拶をしていなかったのでな。私はロベル・メイトゥーレ」
「メイトゥーレ?では、そなたはメリダの?」
「ほう。存じ上げていただけているとは光栄。しかし…」

ロベルは一旦言葉を切ると、不遜な者を見下す様な視線をマクシミリアンに向ける。

「三英雄が一門の名家エピキュリアンの将来が心配ですな」
「なに?」
「嫡男がマドモアゼルの口説きかたも心得ておらぬとは」
「なん、だと…」
「今宵のアルベル様は、私が丁重に持て成そう。狼藉者に至宝を壊されては困るからな」
「き、さま…。言わせておけば…」

顔を赤くして屈辱に震えるマクシミリアンと、ぽかんとしているローゼルトを見たロベルは、満足を口の端に乗せる。

「然らば御免!」

踵を返したロベルは、高笑いながら颯爽と庭園を辞し自室へと向かう。





扉が閉まる音にアルベルは顔を上げる。

「あ、あの…。メイトゥーレ伯。この度は情けないところを…」

目指すべき姿と瞼の裏に刻んだ背中の人に見せてしまった醜態を、アルベルは恥じる。

「落ち着きましたか?」

羽織っていた長衣を脱いだロベル、アルベルが座るソファーの正面に座る。

「ええ。ありがとうございます。正直、助かりました」
「あのまま庭園を後にしたんでは、バレンタイン家が祭に泥を塗った形になってしまうだろうからな」
「はい。軽率でした」
「伝統厚きバレンタイン家を未来背負うのだ。あのような場も笑って切り抜けるだけの度量を持たねばならぬ」
「メイトゥーレ伯の仰る通りです。本当に、己が情けない」

感情に任せてしまった自分自信に感じる怒りに、アルベルは自身を抱き締める。そんなアルベルを暫くジッと見つめていたロベルは、不意に口許を緩める。

「まあ、まだ男を知って間もないのだろうから、致し方無いだろうが」
「あ、それは…」

思わず赤面したアルベルは、咳払いをひとつしてロベルに視線を真っ直ぐ合わせる。

「メイトゥーレ伯。本当にありがとうございました。この親切になんと礼をすればいいのか…」
「俺は貴殿の中に眠るバレンタインの剣技に興味があるだけ。精神の不安定さは剣の道に影響するからな」

ロベルはアルベルが今を嘆くだけの人間じゃなかった事に安堵しながら言葉を運ぶ。

「そういえば、勝負がしたいと…」
「そうだ。だから礼をしたいなら、精進と鍛練を重ね、バレンタインの舞剣を極めろ」
「無論。言われずとも」

アルベルとて、ロベルとのいつかの勝負を夢見ているのだと。その目を見たロベルは、不意にアルベルを試したくなり唇を撫でた。

「時に、今宵貴婦人の祝福を受けた男は大成するとか」
「ええ。今宵結ばれた者達は固い絆で結ばれ合うとも言われています。だから…、大切な友人のどちらも選べず困っておりました」
「そこに無粋な奴が現れてさらに困ったと」

一度、瞳を閉じたアルベルが立ち上がる。

「私は、貴方が祝福を受ける機会を奪ってしまいました。たが、今からでも間に合いましょう。すぐに麗しき花を…」
「花なら、ここにあるではないか」

ロベルの目の前で立ち止まったアルベルの腕を、ロベルは掴む。

「バレンタインの至宝の秘密ならば、知っている。我が家もシュロウとは縁が深い故な」
「殿方を持て成す術を知りません」
「委ねよ。美しき花はそれだけで十分だ」

アルベルの長く明るい太陽の色の髪が、ロベルの頬を擽る。

「私の好きな薔薇の香りだ。セシールめ用意が良すぎだ。………もう、恥じらわぬのか?」
「覚悟が無く、祭の夜に殿方に礼を問いましょうか?」
「なるほど」

ロベルの吐息がアルベルに絡まる。生まれたままになり、ベッドへ横たえたアルベルを見て、ロベルが喉を鳴らす。

「なにか?」
「いや。美しい…と思ってな。これが至宝が眠る身体か…」
「逆に恥ずかしいです」
「アルベル。いっそこれも武器にしてしまえ。なに、この道を知ろうが強い者も沢山いるさ」

ロベルの力強い腕が、アルベルを抱き締める。その腕に身を委ねながら、どうか彼に祝福をと、アルベルは強く願った。



バレンタインの騎士4

【花舞う季節】





冬のシュロウは雪の監獄に閉ざされる。特に首都クリングラ周辺は雪深く、毎年あまりの寒さに凍え死ぬ人が出る。室内に居ても、暖炉の火を消し夜を越すのは命取りになる。斯様な場所にシュロウが首都を置くのは、雪という天然の城壁が古の時代からシュロウを守り続けて来たからに他ならない。

そんなシュロウに春が訪れた。分厚い雪が解け、花の蕾も綻ぶ。誰もが待ちわびた春は、シュロウにとっては重要な季節の一つであり、その春を祝す祭はシュロウで最も重要な祭事である。





「これは、凄いですね…」

初めて訪れた首都の、堅牢さの中に華美さを兼ね備えた美しい街並みに感動して忙しかったのに、クリングラ城内にひと度入れば、その中庭園のなんたる美しさか。しかも、贅沢な料理の数々と華麗に着飾った人々にも目移りする。そう言って感嘆の溜め息を安売りするのは、ハイランド地方に居を構えるセリジア侯爵家の嫡男アラン・セリジア。長い黒髪をリボンで纏めた姿は、少年ながらに端正で貴婦人達を囁かせる。

「そうか?こんな作りものの庭園よりも、ハイランドにあるウチの領地の森の方が綺麗だぜ」

答えた少年は、ヒューデレ公領主嫡男のフレデリック・フォン・ヒューデレ。その天才的な頭脳で幼少の頃に発表した『魔力波動の法則』の論文は世界的大発見だと云われ、賢者の塔に収監された程である。その功績から少年ながらに男爵位を賜っている。彼もまた美少年であり、赤毛を揺らしながら笑う姿な自然と人目を惹き付ける。

「言いますね。貴方のその歯にものを着せぬ言い回し、そのうち首が飛びますよ」
「俺の首が?俺は王公貴族のヒューデレ公爵家嫡男だぜ?家名なら、バレンタイン家に並ぶ」
「その自信どこから来るのでしょうね」
「家柄も頭脳もあるんだから、最強だろ?槍だって扱える」
「まあ…。実際貴方は凄いですけど」

会話しながらも視線を忙しくさ迷わせるアランを見て、フレデリックは微笑む。連れてきて良かったと。本来、セリジア家は王城に易々入れる身分にはない。だが、アランにこの美しい庭園を見せてあげたいと思い、フレデリックは己が身分を利用し供を命じた。もちろん、他の目的もあるのだが。

「とにかく、夜までは飲み食いを楽しもうぜ」
「夜に何かあるのですか?」

アランの問いにフレデリックはにやりと笑む。

「運が良ければ花よりも美しいものが見られるぜ」

二人の未来の公侯爵は春の訪れを純粋に喜び楽しみ合う。未来に訪れる運命など、まだ知る由もない。





「アルベル!」
「マクシミリアン?」

城内の大回廊の向こうからアルベル・グラディオーレ・バレンタインを呼ぶのは、魔術都市ウォルロックの城主子息である、マクシミリアン・エピキュリアン。几帳面に切り揃えられた黒髪が特徴的な秀麗な顔をしている。今日、晴れて成人を迎えるマクシミリアンは、アルベルの前に立つと堂々たる笑みをたたえその手を取る。

「久しいな」
「といっても雪が降る前だ」
「それでも、何ヵ月会えなかったと思ってる?」

すっかり好青年らしい所作を身に付けているマクシミリアンが、着飾ったアルベルの手の甲にキスをする様は、貴婦人が周りにいたらさぞや黄色い溜め息を誘っただろう。

「気恥ずかしいな…」
「最後に会った時はまだ13歳の儀式の前だったからな」
「…ああ」

アルベルは睫毛に隠すように、瞳を伏せる。
バレンタイン家とエピキュリアン家の繋がりは、古くアスランの時代まで遡る。大魔導師戦争にて迫り来る野心深き魔導師達を退けた英雄の家系として、バレンタイン共々語り継がれている。そんな英雄の家名に相応しく、マクシミリアンは涼やかな好青年へと育ちつつある。そんな、昔馴染みである彼の瞳に映る事に恥じらいを覚える。男を知りドレスを纏った姿を彼の瞳に映して欲しくないと思った。恋心や憧憬の様な愛らしい想いからではなく、穢れなき輝きを眼差しに持つマクシミリアンへの嫉妬に他ならないと、アルベルは悟った。そんな感情を抱く事すら浅まく、彼との歴然たる違いを見せつけられている様だった。

「ほう…。花も恥じらうとはこういう事を言うのか…」
「なんだ?マクシミリアン」
「いや、そうやって瞳を伏せる仕草とか…、色気があると思ってな」

アルベルは長い裾に隠しつつ拳を握る。

「今宵、その花の蜜を味わえる蜂は誰だろうな」
「…悪趣味だぞ。マクシミリアン・エピキュリアン」

思わず睨もうとして、その視線が広い背中に阻まれる。

「お戯れが過ぎるぜ」
「…ハイドンか。従者ごときが、図が高いとは思わないか?」
「今は、アルベルの婚約者なんでな」
「“今は”だろう?」

マクシミリアンが大きく溜め息を溢す。

「アルベル」

ハイドンの背中越しに、マクシミリアンの視線を感じる。

「邪魔が入ってしまったな。残念だが、祭で会えるのを楽しみにしてる」

アルベルは去り行くマクシミリアンに儀礼的な言葉すら掛ける事が出来なかった。悔しさに握った拳が震える。それを抑えようと、ハイドンに抱き締めてくれていたのにも気付かずに、胸に沸き踊る葛藤を必死に消そうと唇に歯を立てる。「同じ大戦を共に戦った英雄の子孫同士、何故こうも違うのか」「同じ歳。剣の腕は己の方が上で、容姿だって彼方の方が…」なのにまるで置き去りにされている様だと、宿命を恨みかけて耐える。囚われてはいけない。それでも、バレンタイン家嫡男であることを誇りに、前に進むしか道は無いのだからと。

拳を握りながら耐えるアルベルを抱き締めながら、ハイドンはいつまでもマクシミリアンが去った方角を見つめていた。それは、まるで仇敵を見るかの様な眼差しだった。





花舞うシュロウに華が舞う。
夜闇を照らす焚き火の周りで、肌も露に踊る男女にアランは頬を染めながらも興奮するままにフレデリックの袖を引く。

「嗚呼、なんて凄い!花祭の夜会に出席したのは初めてですが、こんなに凄いとは!しかも、我が領地と違って人々の容姿のレベルも高い!」
「そうかねぇ」
「そうです。特にあの玉座の隣に座る方は皇姫ですか?なんて豪奢で美しい」
「………お前、見る目ないな。そもそも姫が玉座の隣に座るわけ無いだろ。皇子ならまだしも」
「え?でも…」

アラン程に夜会に興味の無いフレデリックは、アランの視線の先の玉座の前が空いたのを見定めて、そちらへと踵を向ける。

「あ、ちょっと」

置いていかれそうになったアランは慌ててフレデリックの後を追う。

「陛下。ご無沙汰しております」
「フレデリックか。若年にして父君から辺境の地の任され、しかと統治していると聞いたぞ」
「ご存知頂けていた事、光栄に思います。今宵はこちらの者を紹介したく思います」

フレデリックは目配せで皇王の視線をアランへと導く。

「ヒューデレ公領がひとつ。私が預かるセリジア領の侯家嫡男のアランです」
「お、お初にお目にかけます皇王陛下。ご息女も大変麗しく、さぞっ」

皇王が声を上げて笑うのに、アランは言葉を止める。

「良かったではないか、アルベル」
「嬉しくありません陛下」

溜め息をひとつ溢したアルベルが顔を上げて、アランを見つめる。見つめられたアランの頬が染まる。

「我が娘ならばこれ以上の事は無いのだがな、残念ながらアルベルは、バレンタイン家の花だ」
「ま、そういうこと」
「バレンタイン…何故、名家とはいえ騎士の家の息女が陛下の隣に?」
「我が美しい姪っ子を自慢したかっただけだ」

アルベルがアランを見つめる瞳を細める。

「陛下。今宵は花祭。久し振りにあった友人を独り占めされては敵いません」
「フリッツは相変わらずの減らず口だな」
「陛下。私もヒューデレ公領主と久し振りに四方山話に興じたく存じます。それに、そちらの方ともお話がしたいです」
「アルベルにそう言われては仕方がない。行って来なさい」
「ありがとうございます」

立ち上がったアルベルは、階を一段降りると皇王に向き直り淑女の礼を行い、フレデリックとアランを伴い用意されているソファーのひとつに腰を降ろす。フレデリックとアランはアルベルを囲む様に左右に座る。アルベル自身に注がれるマクシミリアンの視線には敢えて無視を決め込む。

「ありがとう。フリード」
「いいって事よ。お前も見世物ご苦労だったな」
「慣れているさ」

旧知の仲の二人は互いに苦笑し合う。アルベルは、それで今までわだかまっていた様々な想いが少し軽くなった気がして、心の中でもう一度アランに礼を述べる。

「あ、アルベル様。私はセリジア侯子息のアランと申します」
「ええ、フリードから聞いております。とても勤勉で優秀な方と。今度ぜひご趣味と伺ったダンスをご披露頂きたい」

アルベルの事情を知っているフレデリックは、女性らしい言い回しで話すアルベルに吹き出しそうになっている。

「なにを笑っているのですか。失礼ですよフリード様」
「いや、はは。悪い」
「本当に、何が可笑しいのでしょうねフリードは。匙でも転がりましたか?」
「ダンスの披露は是非今からでも大歓迎ですよ。アルベル様!」

次いでアランの言葉にフレデリックはさらに吹き出し、アルベルは固まる。

「そ…、それは、大変光栄なお申し出ですね。ですが、ご披露は是非後日に…」
「そうですか。残念です。………て、何がそんなに可笑しいのですかフリード様」

アランに咎められ、フレデリックは咳払いを3回してやっと笑いを納めると説明する。

「あのな。花祭の夜会で女をダンスに誘うのは、ああいう行為のお誘いなの」

アランはフレデリックの指差す方へと視線を送る。薄いカーテンの先で絡まる男女を見た瞬間、アルベルが困った様に扇で口元を隠した意味を理解した。

「あ、ああ…。なるほど、すみません。知らずとはいえ失礼なことを…」
「いえ。気にしておりません」
「あ、ですが、アルベル様ほどお美しい方でしたら、私はドンとこいです!」

アランの意気込んだ発言に、アルベルはさらに固まり、フレデリックはアランの頭を小突いてから肩を竦める。

「でも、実際誰を選ぶんだアルベル?“初めての花祭”だから誰も相手にしないわけにはいかないんだろう?」
「………その通り。で、困り果ててしまっている」
「ハイドンとかアイリス?」
「まあ、最終的にはそこに落ち着くと思う。さすがに彼等以外を選ぶわけにも…」

そう言いながら周辺を見回したアルベルの視線が一点で止まる。しばらく一点を凝視しているアルベルの視線を見たフレデリックの目が見開かれた。



花祭の夜はゆっくりと深くなりつつある。
そんな時刻のことだった。



.

バレンタインの騎士3

【蕾綻ぶ季節】




「引け!ハイドン・ウェンデル。兄さんを起こしに行くのは弟である俺の務めだ」
「解ってねぇな。これだからお子様は。こんな朝に弟に会いたい訳がねぇだろ」

小鳥の囀りよりも早い、扉の向こうの喧騒に目覚める。

「アイリス…か。今、何時だ」
「だいぶ早いよ。あの馬鹿共を黙らせれ来るから、アルベルはまだ寝ていていい」

まだ寝惚ける頭で身体を起こし、最初に気付いたのはこの部屋が自分の寝室では無いこと。次いで、優しく髪を撫でるアイリスが裸で隣にいる事。

「むしろ、昨日の今日じゃ身体に障るだろうから、ゆっくりしていていい」

ごく自然な所作でアイリスに頬に口付けられて、己も生まれたままの姿なのだと気が付いて、いっきに目が覚める。そして、昨晩の全てを思い出した。身体の奥に疼く痛みも。

「あ…」

思わず身体を隠したアルベルを見てアイリスが微笑む。

「うん。上々だね。すっかり恥じらい方が淑女だよ」

不意に距離を詰めたアイリスの秀麗な顔が、昨晩己の上で如何に男らしかったか思い出して、アルベルの顔が朱に染まる。

「美しいドーナ。なんなら生まれたての恋人同士みたいに、戯れようか?朝は夜とはまた違うよ」
「何を言ってるんだ。アイリス」
「僕は本気。アルベルなら、朝日の中でも抱ける」
「寝言は寝て言えアイリス」

再びアルベルがベッドへと沈められた所で荒々しく扉が開かれ、ハイドンが入って来る。

「貴様の役目は終わり。この後は婚約者の俺の役割だろうが」

ハイドンは遠慮も断りも無くベッドの側まで大股で歩み寄って来ると、アイリスの首根っこを捕まえてベッドの外へと放り投げる。

「ありがとう。ハイドン」
「おう構わねぇ」
「痛いよ乱暴者。ローゼルトは?」

背中を打ち付けたらしく、痛そうに擦りながら立ち上がったアイリスが問う。

「追い返した。流石に今日は会いたくねぇだろ?」
「君にしては懸命な判断だね」

ベッドに腰掛け、「大丈夫か?」と気遣うハイドンにアルベルは辛うじて「ああ」と返す。ハイドンはレッド・ロータス三星騎の一つ、ウェンデル家の嫡男で、アルベルとは兄弟の様に育った。今日からは、娘から女になったアルベルの婚約者だ。最も、この婚約はアルベルが成人した時に解消される仮初めのものだが。
アルベルは自分の身体を見る。赤い情事の痕が残る身体を、確かにローゼルトに見られなくて正解だ。ハイドンの気遣いに感謝をしなくてはいけないと顔を上げ、いつもの笑顔を作ろうとして失敗する。まるで、自分が昨日迄の自分と違う存在になってしまった様な心地に震える。

「アルベル。湯浴みするか?アイリスの汚ねぇもんが付いたままじゃ気持ち悪いだろ」
「ちょっと。人を雑菌の様に言わないでくれる」
「似たようなもんだ」

だが、変わらぬ二人のやり取りに笑いアルベルは気をしっかり持てと己を律して立ち上がる。

「湯の支度を」

だが、何も纏わぬアルベルの身体を見たハイドンが、一瞬凍り付いた様に静止し目を逸らす。やはり、自分は何か変わってしまったのだろうか?再び去来した不安にアルベルは思わず俯く。

「馬鹿」

ハイドンを罵るアイリスの小さな呟きも、耳に届かなかった。



湯を浴び幾分かさっぱりしたアルベルは、柱に身体を預け立っていたハイドンに足を止める。

「こんな場所で何をしてる?」
「あー、いや、それは…」

近付き気安く触れた指は冷たくなっていた。何故か一瞬震えているのが気にはなったが。寒かったのだろうと納得する。

「まさかずっと此処で待っていたのか?まだこの季節、明け方は寒いというのに馬鹿だな」
「アルベル。騎士団の演習場に行くぞ」
「今からか?」
「身体を温めるのに付き合え」
「全く。湯を浴びたばかりだと云うのに」

やれやれと肩を落とす振りをしつつも、ハイドンの提案は正直嬉しいと心を弾ませる。

「嗚呼。見ろ、ハイドン」
「んぁ、なんだ?」

演習場までの道すがら、一本の気を指差したアルベルの元に、少し先を歩いていたハイドンが戻ってくる。

「小さな蕾がある」
「どれだ?」
「ほら、あそこだ」

軽く身体が重なる程に近付いて指を指す。

「あ、ああ。本当だ。ちいせぇのがあるな」
「もうすぐ、春だな」

そう、もう間も無くこの国に春が訪れる。くよくよ悩んでどうする、アルベル・グラディオーレ・バレンタイン。私が何に悩もうが立ち止まろうが、時は待たずに季節は巡るのだ。ならば前に進むしかないではないか。

「ハイドン?耳が熱いが熱でもあるのか?」
「ない!早く演習場に行くぞ」
「ああ。今日こそハイドンを負かせてやる!」
「言ってろよっ!」

はしゃぎながら歩く、どう見ても仲の良い男子と娘にしか見えない二人を柱の影から眺めていたクリストフェルは浅く溜め息を吐き出す。

「アルベル。お前の運命は、幾本もの複雑な糸が絡み付いている。こんな数奇な運命の持ち主を見たのはローズ以来だ」

せめて、そんなお前に幸多からん事を。そう何処へともなく祈り、先程アルベルが指差した木を仰ぎ見る。その先には、今は宝物庫となったデューン・モント城の屋根が見える。その木の下にかつて素敵な物語があった事は、誰も知らない。



どうか、せめて今だけは優しい春を迎えられるように願う。



ローゼルトは祈りを解き、顔を上げる。まるで嘗ての主の性格を表す様に、隠す様に城の地下に設けられた小さな聖堂。その時から、誰にも荒らされず、誰の手も付けられて居なかったこの場所が好きだった。静謐なこの場所にいると、心が落ち着く。いつの日からか、この場所を毎朝手入れをするのが日課になっていた。

「アルベル…兄さん」

今は禁じられた呼び方で、その名を呟く。きっと、聖なるこの場所で呟く言葉なら呪いも聞き届けはしないだろう。そうでもしてないと、心がはち切れそうだった。日に日に美しさと輝きを増す人。艶やかなドレス姿で優しく微笑まれる度に胸が弾み同時に軋む。その人がドレスを脱ぎ去る時に、この苦しみから解放されるのだろうか?

「愛してる」

不可解な思いから解放されたくて、手当たり次第に漁った書物の中に見つけてしまった言葉。その言葉を見た瞬間に、「ああ、これだ」と思ってしまい、歓喜し絶望したのが一年前の春。血の繋がった姉弟ですら許されないのに、ましてやあの人は兄でバレンタイン家の嫡男。決して許される訳がない想いは秘めるしかない。しかし、日に日に募り高まる想いはきっと苦しみしかもたらさない。

「掃除しなきゃ」

そんな自分がなにか汚れたものに思えて、そんな時にこの小さな聖堂を見つけた。手入れもされずにいたこの場所を清め続けたら、汚れた己でも少しは神々に許される気がして。毎朝祈りを捧げる。だが、日々祈るのはアルベルの無事と健康ばかりで、そんな己に自嘲すら沸き上がる。





「アルベル」
「お呼びでしょうか。父上」

優雅に頭を垂れる姿は淑女そのもの。

「身体は大事ないか?」
「………はい。問題ありません」
アルベルの頬に恥じらう色が滲む。だが、それを態度に表さないアルベルは正しくバレンタイン家嫡男に相応しいと、ダーリエは目を細める。

「アルベル。間も無く開催される春の宴だが、お前は儀式を終えた女として出席する事になる」

きっと、男であるアルベルは、これからその矜持を傷付けられる数多の障害に合う事だろう。

「心得ております。父上」
「………そうか。何か困ったらハイドンを頼りなさい」

華麗にお辞儀をして、淑女らしく父の手に接吻を施し辞すアルベル。その行く末を思うとダーリエは溜め息を吐き出さずにいられなかった。

「大丈夫ですか。ダーリエ様」
「ああ、すまん。大丈夫なんだ。大丈夫さヴェルト」

ハイドンの父であり、幼い頃から親友のヴェルトの肩に凭れダーリエは祈る様に瞳を閉じる。





間も無く、シュロウに春が訪れる。誰もが浮かれ喜ぶ美しき春が―――



END

バレンタインの騎士2

【薔薇より気高く】




シュロウ王都クリングラ。
まるで、アンバレット王家が住まうクリングラ城を護る様に、バレンタイン家の所有地が左右にある。片方、左側はバレンタイン家が代々騎士団長を勤める、王家近衛騎士団「レッド・ロータス」の本営。右側が、バレンタイン家のクリングラでの居城である。その中央にある階段を登ると聳える王城へと至る事が出来るが、ひと度不審者が登れば、バレンタイン家とレッド・ロータス騎士団が左右から容赦無く弓矢を放てる仕組みである。
その右側、バレンタイン家の居城にある池の畔で夜半に剣の稽古をするのが、アルベル・グラディオーレ・バレンタインの日課である。それは、今宵の様なパーティーがあった夜でも変わらない。

降り注ぐ星明かりに写る姿は、髪を高い場所で固く結んだナイトドレスの娘。そのスカートの裾を翻しながら細身のロングソードを操る姿が、まるで戦女神が舞っている様だと、いつしかバレンタインに伝わる独特の剣流は【バレンタインの舞剣】と呼称される様になった。その歴史は、遥か祖先のローズ・バレンタインの時代まで遡る。彼を深く寵愛していた時の女王陛下が、そう名付けたのが始まりだった。誰にも真似は出来ない、バレンタインのみに伝わる秘伝の剣術。

「今日はやけに張り切っているな」

一息付いたアルベルに、艶のある低い声がかかる。長く伸ばした黒髪と青白い肌、なにより細めれば鋭い剣の様になる紫色の瞳が特徴の魔男クリストフェルの声だ。
解るのは性別と名前だけで、年齢も国籍も不明だが、何百年も前のローズ・バレンタイン代からバレンタイン家に仕えているのは確かだ。代々バレンタイン家次期当主の護衛と魔術面での教育を担っている。

「そうだな。そうかもしれない」

アルベルは剣を正面に持ち、その清廉なる輝きを見つめながら呟く様に返す。

「見ていたとは思うが…」

そして、パーティーの席で出会ったロベルというメリダ男爵についてと、彼に感じた想いを素直に吐露する。



魔術は使えば、その影響が必ず術者にも返ってくる。万が一失敗すればそれが何倍にもなって、術者の身を焼き殺す事すらある両刃の刃だ。そこで生まれたのが魔男と呼ばれる者達の仕事だ。彼等はそれなりに多額の金額で、魔術を代行する。危険な魔術になればなるほど金額も条件も吊り上がる。請け負う仕事は簡単な呪術から果ては戦争代行まで、魔男自身の熟練度により多岐に渡る。



クリストフェルは、そんな魔男の一人で、不思議な事にアルベルが生まれた時から今まで、寸分変わらぬ姿でずっと傍らにいた。だから、アルベルにとっては自分の全てを曝け出せる無二の存在だ。

「私は…、彼が羨ましい。同時に、堂々としたロベルに憧れを抱いたのだろう。だから、その言葉が嬉しかった」

今のアルベルが手を目一杯伸ばしてやっとおでこに手が届くぐらいに高身長なクリストフェルは、アルベルが剣から彼へと視線を投げると、そっと一歩下がりアルベルの首が疲れない位置で耳を傾ける。そんな小さな気遣いが、感情を表に出さない男の本質なのだと、アルベルは嬉しさを小さな微笑みに変える。

「彼の望み通りに、彼が求めるバレンタインの剣流で、彼と勝負がしたい。その時こそ私は…」

本当に男になれる気がする。
アルベルはその言葉を飲み込んだ。今のアルベルは少女。身体の性別がどうであれ、そう偽らなければならない。

「沐浴を」

一瞬、己に課せられた境遇への嫌悪が浮き上がりそうになり、アルベルは思考を振り払う。自他がどう思おうと、バレンタイン家嫡男に生まれた事を誇りに思いたいと、顔を上げて一歩を踏み出す。

「御意」

意味深な笑みを浮かべたクリストフェルが、アルベルがナイトドレスを脱ぐのを手伝う。夜風に裸身を晒したアルベルは、清めの力を持つ魔力の池へと身体を沈める。肌に触れる冷たい感触が、落ちかけたアルベルの思考を叱咤する。

「清めよう」

黒いローブを纏ったまま池に入って来たクリストフェルが、アルベルの幼い背中に触れる。指で清めの印を刻み、次いでおでこ、胸元へと刻んでゆく。

「…怖いか?」

珍しいと、アルベルはクリストフェルを見上げる。普段他人の感情や思考など気にしない男が見せた不意の気遣いに、アルベルは数日前から隠していた不安が隠しきれていなかったのだと悟る。

「お前は、何人ものバレンタイン嫡男を見て来たのだろう?父は?祖父は?………祖先達はこの日をどう迎えたのだ?」
「みな、それぞれだ」
「………そうか」

心を落ち着かせる為に瞳を閉じたアルベルの頬に、冷たい指が触れる。本当に珍しい。その気遣いのくすぐったさに、張り詰めた心が和らぐ。

「だが、気を和らげる薬を処方してやる事は出来る」

アルベルは思考を遥か先人達へと巡らせる。



古の時代。シュロウに二人の闇の皇太子が誕生したのを切っ掛けに、この世界には魔術という力の概念が生まれた。否、神々の世界から解放されたと言った方が正しいだろう。その力を得ようとした人々は、埋葬された皇子の片割れであるアストロッドの遺体を掘り起こし魔術の始祖と崇め、もう片割れのシェラバッハが書き残した魔術文字を研究した。やがて力を得た者達は自ら魔導士と名乗り、徒党を組む様になった。世界は彼等を危険視した。彼等の内の一派は時代に必ずいる王権に不満を持つ者達を陽動し、革命と云う大義名分を掲げ、王権へと戦争を仕掛けた。シュロウのみに留まらず、メリダやアーベルジュを巻き込んだ。歴史に『大魔導士戦争』と謡われる出来事である。この時、先頭に立って魔導士との戦いに挑んだのが、かのアスラン・バレンタインである。勝利を手にしたアスランは、代わりに魔導士達の悪足掻きにより、「次に産まれし嫡男より、バレンタイン家嫡男及び継承者は成人する迄に死す。死の呪いは末代まで続くだろう」という呪詛の傷痕を遺してしまった。

以来、バレンタイン家は『死の呪詛』に苦しめられて来た。そこで呪詛逃れの策として、嫡男として産まれた男児には二ツ名を与え、クリストフェルの力で呪詛がその名に固まる様にし、成人後にその名を永久的に封じるという方法が取られる事になった。また、成人迄の間に防ぎ切れない呪いの力を『性別を偽る』という古来からの魔除け方法を使って防ぐという二重の方法で、バレンタイン家嫡男は今日迄呪詛から護られ、家名の継承も途切れる事無く続いている。無論、偽るのは名前や姿形だけに留まらない。



しばしの沈黙の間に、自分の胸の内を反芻したアルベルは、安心せよとクリストフェルを真っ直ぐ見つめる。

「怖くは無い」

13歳の誕生日を迎えた今宵、アルベルは朱染めの儀を行う。朱染めの儀とはシュロウの女児が初潮を迎えた後に行う魔除けの儀式であり、有り体に言えば処女を失う儀式である。これは魔術という概念が産まれる前から行われていた儀式であり、初潮を迎えた女児が長く処女でいると黒き神々に眷族として招かれやすくなるという伝承に基づいた儀式である。当然、女児として生きるアルベルも儀式に望まねばならない。むしろ、この儀式を行う事で、偽りが真実に近くなり呪詛から身を守りやすくなる。

「明日からは、寝込む頻度は減るだろう」
「そうか、ならばいっそ楽しみだ」

アルベルは努めてにこやかに答える。

「稽古に精を出していた理由が、恐怖からでは無いのなら構わない」

クリストフェルがアルベルから離れ、池から上がる。季節になれば、この池の周りは薔薇で囲まれ、華やかに飾られる。だが、まだその季節には蕾は固く結ばれている。クリストフェルが手を差し出す。アルベルはその手に手を重ね、池から身を上げる。

「私はバレンタイン家を継ぐ者だ。恐怖等ない」

クリストフェルは小さな感嘆を上げそうになる。神聖なる池で清めを施す前と、まるで生まれ変わった様な美しさを讃えた人がそこにはいた。ローブを掛ける腕で抱きしめそうになるのを己を心の中で失笑する。その様な衝動は遥か昔に捨てた筈なのに、今更、男を捨て魔男になる道を選んだ太古の過去をささやかにでも悔やむとは。自分も人もままならず解らぬものだと。

「アルベル」

魔力を与え、身の内に潜む呪詛と戦う力を与える為に、何度も行って来た口付けを施す。

「…クリストフェル?」

流石は時期バレンタイン家当主。今の口付けに魔力等込められていていない事を見抜き、疑問を表情で語る。

「餞別代わりだよ。きっとお前は薔薇よりも咲き誇る花になるだろう」

言の葉は言霊となって、輝く事だろう。だが、まだ言葉の真意が理解出来る程大人ではないアルベルは、固く閉じた薔薇の蕾を眺めて、微笑する。

「ありがとう。クリストフェル」

クリストフェルは館に向かうアルベルへと膝を折る。バレンタイン家嫡男は、13歳の儀式までは魔男クリストフェル以外には素肌に触れさせてはいけないと云う掟がある。独り占めの時間はもう終わり。きっとアルベルはこれから数多の人と巡り合い、数多の感情を覚えてゆくだろう。その先には、光を纏った剣の様に気高き姿がある。そして………。クリストフェルは知ってしまっている事を、出来るだけ考えない様にと、振り切る様に立ち上がる。ふと、池を囲む生垣に、真っ赤な薔薇が一輪咲き誇っている事に気が付く。

「人間臭くなったと笑うか?よもや私がと…。だが、そうだな。どうか彼に力を貸して欲しい」

遥彼が好きだった必ず早く咲く一輪咲きの赤薔薇が風に揺れる。





今宵のドレスは己で選んだベルベットの真紅。竹馬の友であるハイドンに松明持ちを任せ、アルベルは屋敷の奥の部屋へと訪れる。父である現バレンタイン家当主ダーリエ、バレンタイン長老会、レッド・ロータス騎士団の三星騎が居並ぶ奥の、天蓋付きベッドの前で、バレンタイン家所有の聖堂の神官であり、アルベルの幼なじみであるアイリスが簡易ローブ姿で、手を差し出している。部屋の角で、魔男クリストフェルがいつも通りの澄ました顔で、ことの成り行きを見守っている。

「随分脱がし難いドレスを選んだね」
「私の最後の悪戯だ。せいぜい父の前で恥をかくがいい」
「残念だけど、それくらい造作も無いよ」

アルベル以上に秀麗な顔をしたアイリスの手が、アルベルの腰へと回される。

「僕に全てを委ねて。どうせなら気持ち良くしてあげる。君は女の子だから、“飾り”を使う事も“飾り”から快楽を吐き出す事も出来ないけどね」

アイリスの優しい口付けと共に、アルベルの身体がベッドへと沈む。一瞬の痛みの中で、パーティーで出会ったロベルの力強い微笑みを思い出す。なんとなく、その微笑みに遠ざかってしまった気がしてしまい、アルベルは必死にそれを打ち消す。そんな疑惑は、己の全てを否定するものだと。
だが、痛みの後に訪れた得も言われぬ感覚に、アルベルは唇を噛み締めた。



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