【熱愛】




カクテルとは物語であり詩である。カクテルが生まれる時は必ず物語があり、その物語こそが味という色を灯す。

さあ、今宵も語らいましょう。
その一杯が極上の味となりますように。




その日、殆どの生徒が壇上に上がった彼に恋をした。男子高に咲いた一輪の花。むさ苦しい男の園に咲くには可憐過ぎる彼に無論私も焦がれた。しかし恋ではなかった。金を積んで入学した私は、新入生代表の演説を台本なしで朗々と読み上げる姿に、素直な感銘と一種の憧れを抱いただけに留まった。この時、彼に真の恋を捧げられたらどんなにか幸せだっただろうか?

運命は悪戯者故に、私は入学式の数刻前にその機会を奪われてしまっていた。





「落としたよ」

すれ違い様に肩が触れた。その弾みで彼の指から零れ落ちた10円玉ばかりが入った小銭入れを拾う。

「待って。これ、落としたよ」

しかし彼はそのまま行き去ろうとした。それを気付かなかったからだと勘違いした私は、彼の肩を掴み引き留める。小銭入れを彼の手に納めようとして間違いに気付く。彼は気付いていたが涙を見られたくなくて行き過ぎようとしていたのだと。

「離せっ…よ!」
「こっちに来なさい」

入学式前の手続きを家人がしている間に、校内探険を楽しんでいた私は、先程見つけた鍵が掛かる空き教室へと彼の手を取って戻る。

「ああ。君。これで今みた事は永久に忘れなさい。あとこの周辺の人払いも頼んだよ」
「あ、おい!」

途中で行き合った名も知らぬ生徒(後に瞬と知る)に、なにかあったときの為に常に持ち歩いている"帯付き"を渡して、彼とその教室へと隠れ込む。

「さて、これで誰もいない。私がいるのは諦めなさい」
「なんで、こんな場所にっ」
「涙、誰にも見られたくないのだろう?」

扉の鍵を掛けて彼を抱き締める。

「ほら、これで私も見えない。涙は変に止めようとするより、一度思い切って流してしまった方が止まりやすいよ」

最初は怯える猫の様に固くしていた身体から徐々に力が抜けてゆく。声を押し殺しながら、私のシャツを掴んで泣く彼の小刻みに震える肩が、とてもか細いものに見えた。ふと魔が差して、背中を撫でていた手を腰に回し、反対の手で彼の顎を持ち上げる。唇を重ね舌を差し込んでも意外な事に抵抗はされなかった。一度唇を離し、さらに深く口付けるとむしろ彼の方から身を委ねる様に首に手を回してきた。キスの合間から吐息が零れ、ボタンを外したシャツの隙間から手を差し入れれば、身体を捩った彼に、感じる場所まで手が導かれる。

「声は我慢出来るかな?」
「させろ。あいつはそうしてた」

あいつという3人称が気になったが、私も若かった。棚からぼた餅が降る様に訪れた据え膳を食らう事が全てに勝り優先された。行為そのものは初めてではない。だが、全ての記憶が霞む程に彼は熱く夢中になった。

「初めてではないんだね」
「うる…さい…。お前だって」
「私は、望めば全て手に入る環境だからね」

"あいつ"が君をこんな身体にしたのかい?
なぜ、こんなに身体を熱くしている?
なぜ、泣いていて、なぜ、私を誘った?
いくつもの疑念が浮上し、浮上しては快楽に掻き消える。深まる程に飲み込まれそうになるぐらい熱い身体は、まだ未熟な高校生を魅了するには充分過ぎる程に蠱惑的だった。

「とても良かったよ」
「すぐに忘れろ…」
「ずるいな、君は…」

繋がったまま掠れる声で紡がれる言葉が、流された一筋の滴の意味を問い掛ける権利を奪う。

「あと10分で入学式が始まる。私は先に出るから、君は支度して来なさい。遅れないようにね」

冷静さを装いながら講堂に向かいながらも、既に心が彼に占拠されている事を自覚する。





だから、壇上の花を君が呆けた様に見つめていることに気が付いた時も、姫制度を知った時も、それを如何に君の役に立てるかという思考にしか至れなくなっていた。





「でもね。それに気が付いた瞬間私は幸せを感じたんだ」

バーボングラスの縁をツイっと撫でながら呟く。

「たとえ、気紛れに求められるだけの関係でもね」

ウォッカをベースにベルガモットとドライ・ジンとレモンジュースをシェイクしたものを、馴染みのバーテンダーがゆっくりとカクテルグラスに注ぐ。

「キッス・オブ・ファイアです」

赤みが強い琥珀色の情熱的なカクテル。高校を卒業してからも大人の関係を続けていた我々の合図。『熱愛』なんていう情熱的な言葉で切ない愛を隠したカクテルを君が頼んだ時が、秘密のメッセージ。いつも、都合のいい時だけ『熱愛』を求めてくる君が、それでも愛おしかった。

「愛しているよ」

その言葉はいつも度数の高いアルコールと共に喉の奥に流す。君は気が付いているんだろう?なのに言わせてくれない。時折会話に"あいつ"をチラつかせて封じる。私も敢えて言わない。言ったら君が逃げるのが解っていた。なら、不毛な関係だろうと君と秘密を共有出来た方がいい。

「愛している。しいな…」

知ってるかい。キッス・オブ・ファイアは日本人が生み出したカクテルで、有名な曲から名付けられたんだよ。その歌詞の様に、私は永遠に君のしもべになってもいいとすら思った。その口づけだけで酔える愚かな男になっても。

「しい…な…」

中身が減らないままにスノースタイルの砂糖だけが溶けていく。出された時のままの美しくも情熱的な赤がぼんやり霞み始めて自分が泣いている事に気が付いた。黒ネクタイだけ外したスーツの裾が涙に濡れる。心得たバーテンダーは離れた所でグラスを磨いている。

「我々は騎士団長たる君の永眠(ねむ)る顔を見られなかったよ」

君はもうこの世にいない。何者かに殺された君の葬儀に駆け付けたものの、棺の君に会うことは許されなかった。もう、秘密のカクテルを共に飲む事も、熱を交わし合う事ももうない。

「だから、どんな気持ちで君が最期を迎えたのか解らないんだ」

同じく高校以来からの付き合いの、同じ騎士団の弟は固く口を閉ざした。だが、詳細は解らないと語った言葉が本音なのだろう。

「口づけを交わしし日々から、君がしもべとなり果てぬ………たとえこの身は朽ち果てても………君に捧げん………」

会計を終えて店を出る。ホテルに併設されたこのバーを訪れる事も、キッス・オブ・ファイアを頼む事も、もう無いだろう。

「なにをする気だい?」
「ムスタファ…」

なぜ皇邸で別れた筈の彼等がここにいのかなんて、問うのは野暮なのだろう。君が率いていた騎士団はそういう者達の集まりだ。

「いけないよ。北門は永山騎士団の白い権力者だ。姫のために君は手を染めてはいけない」
「闇の仕事は俺たち黒い権力者に任せな」
「ありがとう。ムスタファ、ブラッド。でも残念ながら、白いままは無理かな。限りなくグレーではいるけど」

我々は君の最期を知らない。だから、君の望みは解らない。解らないから、我々のやりたいようにやるよ。

「椎名を殺したものは、姫を脅かしたも同然。だから、まずは見つけ出そう」
「そのあとは?」
「永山騎士団が集結すれば、処理の仕方などいくらでもある」
「仰せのままに」
「瞬に続き椎名も失った。これ以上姫の心を痛める出来事は阻止する」

ねえ、椎名。しもべと成り果てた者を遺して逝った君がいけないんだよ。

「君達は狩りが好きだろう?」






キッス・オブ・ファイアよりも赤い液体をグラスに注ぐ。酸味を帯びた蠱惑的な香りはどこか情事のそれに似ている。そう思えば、自然と笑みが零れる。しかし、まだ足りない。これはまだ序章に過ぎないのだからーーー


END

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ヤンデレ万歳!北門さん万歳!
さて次でいったん折り返しになります。そして、次はいったん前半のクライマックスなのでお楽しみに!