【淡い想い出】




大人の社交場。大人の隠れ家。
お酒を片手に過ごす場所では誰もが秘密の物語を持つ。夏も深まり秋の夜長が始まる季節を慰める肴に、barに集う時に苦く時に辛い物語でも添えましょう。

秋の夜長を飾るカクテルナイト。
今宵は如何なる物語を語りましょうか。





人は私を成功者と称する。
元々は間抜けな観光客を中心に追い剥ぎ、掻っ払い、袖引きをするスラムの盗人。足の速さが自慢だった私は少年窃盗団のリーダーの様な存在だった。幼く病弱な妹のため解っていて犯罪に手を染める日々。仲間達を餓えさせない為に、悪知恵を働かせる毎日。だが、最早そんな頃の私を知る人間など殆どいない。

「これ、落としたよ」
「ありがとう」

仕事で日本を訪れた頃の私は、ドバイにホテルを幾つも有する億万長者となっていた。手渡されたカードケースを受け取った私を、それを拾ってくれた日本人がマジマジと見上げてくる。最後に彼が10カラットのエメラルドの指輪に目を留めた所で、私は思わずクスリと笑った。

「エメラルドはお好きかな?」
「え、いや…、すごい指輪だと思って。すみません」

私が日本語を話したからか、彼は少し安心したような顔で素直に日本語でそう返した。

「欲しいかい?欲しいならあげよう」

どうせ自分で買ったものではない。少年時代からパトロンになってくれているサウジアラビアの王子に、日本旅行のお守りにと半ば強引に渡されたものだ。むしろいらないから貰ってくれるならありがたい。

「いや、いらないし。てか、知らない人から理由もなくこんな高価なものなんて貰えないし」
「落としものを拾ってくれた例というのはどうだろう?」
「は?あんたバカなの?それとも金持ちだから感覚可笑しいの?」

私がきょとんとしてしまったが故の静寂。次いで私が声を上げて笑ったから彼がきょとんとする。なるほど、確かに私がスラムにいた頃なら同じ事を言っただろう。似てるかもしれないな、あの頃の自分に。

「それは失礼した。今の事は忘れてくれ」
「お待たせしました。お車のご用意が出来ました」
「それじゃあ、コレありがとう」

秘書のクロード君が用意した車に乗り込み、この時はこれだけで終わると思っていた。だが、念のため。

「楽しそうですね」
「そうかい?…ねぇクロード君。1回目は偶然、2回目は運命だっけ?もし2回目があったら、その時はアッラーの思し召しかな?」
「よくわかりませんが嫌な予感しかしない台詞ですね。全く、私の社長は待てもまともに出来ないらしい」
「心外だなクロード君」
「まあ、その2回目とやらが来ない事を願ってますよ」



しかし、クロード君の願いは空しく、私は路地裏で蹲る彼と2回目の出会いを果たす事になった。



「気分は良くなったかい?」
「…すみません。貴方のスーツ駄目にした。弁償するので、後で請求書下さい」
「気にするな。スーツなんて幾らでも用意出来る」

彼はホストという仕事をしているらしい。その仕事が何かは良く解らなかったが、彼は仕事で酒に呑まれてしまい。人目のない路地裏に入って蹲っていたという。

「秘書に君の服を用意させているが、明日までかかる。今日は此処で寝なさい」
「いいよ。そのままあの服を着ていく。そこまでしてもらう義理なんてないし」
「そう言うと思っていたよ」

底辺を知っているからこその警戒心。過剰な親切はかえって疑心暗鬼となり易々と受け取れない。私は彼が横たわるベッド横のナイトテーブルに例の指輪を置く。

「あんた、あの時のっ!」
「覚えてたかい?なら話は早いね」

敢えて彼が受け入れ易い様に横柄な仕草でベッドに腰掛ける。

「君を助けたのは偶然ではない。秘書に君を調べさせ、あの場で君を見つけた」

本当は調べさせてなどいない。

「私はドバイのホテル王。億万長者の富豪だ。日本にはビジネスで訪れた。この博多にも。滞在期間は1ヶ月だ」

彼が改めて部屋の内装を見る。インペリアルスイートのベッドルームの広さに目を配り、目映く輝くシャンデリアに目を見開く。

「安物のシャンデリアがどうかしたかい?私は本物のダイヤが煌めく様が好きだけど、ここのはスワロフスキーなんだ残念だよ」

彼が一切の遠慮を失くすだろう魔法の言葉を使う。

「1ヶ月。私の相手をして欲しい。報酬は百万近いスーツ代と、秘書に用意させている君の新しい服。そして、この指輪だ」
「相手って」
「君なら意味が解る筈だ。破格のお願いだと思うが?」
「お願いじゃなくて命令でしょ。いいよ。あんたには迷惑かけたしね」

リモコン操作で部屋の証明をナイトランプだけにする。生まれたままの姿のしどけない肢体を隠していた掛け布団を剥ぎ取る。隠すものがなくなった肌の白い曲線をなぞる。

「さすが、日本人の肌は細やかで白いな」

上体を倒し彼に覆い被さる。

「私は…アッシムと呼ばれている」
「涼二」
「そうか。涼二。アッラーに誓って、君は高潔で美しい」



私は日本に滞在中に涼二が呆れた溜め息を何度も溢す程に甘やかした。高級なレストランでの食事。上等なスーツやアクセサリーのプレゼント。上流階級のパーティーに連れて歩いたり、ヘリをチャーターして夜景を見ながら空のクルージングを楽しんだりもした。
そして、会うたびにその肉体を楽しんだ。だが、決して支配者が奴隷にする様な抱き方はしなかった。恋人にするように甘く優しい夜を涼二に与えた。ビロードに触れる様な愛撫に答える様な甘い矯声。導く様に伸ばされる腕に夢中になるのに1ヶ月も必要なかった。



だが、残酷な時は留まる事を知らずに、間も無く季節の終焉を迎えようとしていた。



「イスラム教徒なのにbarなんかを待ち合わせにしていいわけ?」
「アッラーは優しいからね。ドバイではワインを飲むことは許されている」
「飲んでるの明らかにウィスキーだし」
「残念。ラムだよ」

「いや、そういう問題じゃないし」と言いながら座る彼に笑いを溢す。

「ピニャコラーダを」
「聞き慣れないお酒だ」
「あんたが飲んでるそれで作れるカクテルだよ。作り方詳しく知らないけどココナッツの味がして美味しいんだ」
「ココナッツ好きなんだ?」
「まあ、好き…だね」

好きという言葉を恥ずかしそうに言う彼が、可愛くて込み上げた愛おしさに髪を撫でる。

「な、なに!?」
「なんとなくだ。私もそれ頼んでみよう」
「アッラーは許してくれるわけ?」
「うーん。今更だしな。お許しいただけないなら財産を寄付して許しを貰うさ」
「めっちゃ現金な神様だね」
「はは。現金な民族が信仰しているからね」

グラスの形も相まってまるで白いチューリップが花開いた様に見えるピニャコラーダが二つ並ぶ。

「涼二。ドバイに来ないか?」
「は?唐突に何を言ってるんだよ」
「ドバイに帰った後も側にいて欲しい。帰った時に君に出迎えて欲しいんだ」
「あのさ。あんたは地位も名誉もある。こんなホストに言っていいセリフとダメなセリフがあるだろ?」
「そんなものは関係無い。私も昔は貧乏だった。君の様に金の為ならなんでもする生活をしていた」

涼二の息が詰まるのを感じる。二つのグラスのピニャコラーダは殆ど減っていない。

「なら尚更やめなよ。あんたはそのまま成功者の道を突き進むべきだ」
「だから涼二の支えが欲しい」
「結婚は?ビジネスにセックスは全く絡まない?俺は独占欲強いから、大人しく愛人になるなんて無理だよ」

涼二の言葉に黙るしかなかった。脳裏にザイドの顔が浮かぶ。彼の命が下れば、結婚諸々逆らう術は今の自分にはない。

「俺は絶対あんたの道の妨げになる」
「そうか。残念だ」

グラスの底が透明になり始めたピニャコラーダを、飲み干すまでの数十分二人は無言だった。カラリとマドラーが空虚なグラスを叩く。

「では、涼二。最後の勤めをして貰おうか」

部屋に入るなり涼二が胸にすがり付く。どちらからともなく唇を重ね、呼吸を奪う様な激しいキスをする。涼二と交わした初めてのキスの味は南国の味がした。ベッドへの数歩すらももどかしく、猛った熱をぶつけ合う様にキスを繰り返したあと、シャワールームを無視して涼二をベッドに横たえる。スワロフスキーの眩すぎるシャンデリアに照らされた涼二の身体が、ダイヤの様に輝いて見えた。全て見ていたくて、証明は落とさずに身体を重ね合う。

「冷静そうだったのに、結構熱いとこがあるじゃん」
「元々は窃盗団のリーダーだからな」
「今度会った時にその話聞かせてよ」
「そうだな」

冷房の聞いた部屋なのに熱く溶ける夜の永遠を願う。途切れる事のない矯声に誘われるように、空が白むまで繰り返し留まらぬ熱を与え合う。溺れるの意味を初めて知った夜だった。

「アッシム様お時間です」
「ああ。わかってる」

眠るひと夏の愛人の瞼に触れる。まだ湿り気の残るそこに口付けて、備え付けの紙とペンに手を伸ばす。

『君の幸福を永遠にアッラーに祈っている』

敢えてアラビア語で書いたメモ紙の上にエメラルドの指輪を置く。結局、出会ってからずっと名前は呼んで貰えなかったな。そんな虚勢ばかりの君が好きだよ。

「さよなら。楽しかったよ涼二」

たぬき寝入りなのは解っていた。押し殺した息に微かに嗚咽の様な吐息が混ざる音を、扉を閉めてシャットアウトする。

「帰国後はすぐにマリウス様とのご会食です。その後はザイド様との面会のあとご就寝頂き、翌朝8時から役員会議にご出席です」
「ドバイに帰ったら暇はなくなりそうたな」
「はい。申し訳ありませんが暫く忙殺されることになりそうです」
「ありがたい」
「アッシム様?今、なにか?」
「いや。それよりも、飛行機の中で明日の会議資料に目を通すから用意しておいてくれ」
「かしこまりました」

どうやらアッラーは君を忘れれと思し召しのようだよ、涼二。





その後、少し私は塞ぎ混んでいる様にみえたらしい。実際、なんでもいいから気晴らしが欲しかった私は、今まで以上に働いた。気を使ったクライアントが持ってきた闇市に足が向いたのもそういう理由からだった。

アッラーよ。偉大なるあなたがもたらしたこの出会いに感謝いたしましょう。

闇市で那月を買ったのも、のめり込んだのも、全てはひと夏の想い出が起因しているのかもしれない。





「いらっしゃいませ。Lafumeへようこそ」
「ピニャコラーダを貰おうかな」

無骨な君はきっとこのカクテルに『淡い想い出』という言葉が秘められている事を知らなかっただろうね。あの日、氷で薄まったそれを飲んだ時は知らなかったが、その後私は気になって調べた。君との想い出のひとつだったから。

「店に入るなりカウンターでカクテルを頼む客がいるって聞いて来てみれば…」
「久しぶりだな。少し、歳をとったか?」
「お互い様でしょ」

同じのと自分の店のバーテンダーに告げて、隣に座る君に、淡くなっていたあの夏の記憶が鮮明に蘇る。

「今、幸せかい?涼二」
「それなりにね。そっちは?」
「お陰さまで。ご存知の通り運命に出会えたよ」
「あっそ。よかったね」
「でも、君との出逢いも運命だったと思ってる。なにせ、広い街で2度も偶然に会ったんだから」
「バカ。てか、秘書に調べさせたんじゃなかったの?」
「あんなの嘘さ。だが、今日は(3回目)は偶然じゃない。会いたかったよ涼二」
「もうその手には乗らないけど、まあ、いっぱいぐらいなら付き合ってあげるよ」

ラムにパイナップルジュース、ココナッツミルクをシェイクして、クラッシュドアイスの上に注いだ淡い想い出のお酒を乾杯する。

「美味しいな」

今度こそ薄まってない味に、夏を感じる。

「でしょ」

彼が微笑む。
ほんの少し皺が刻まれたその笑顔は相変わらず美しかった。



END

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久しぶりにシリーズやりたくて始めました。しかも懐かしのあのシリーズの復刻です。お前らを週末barに行きたくさせてやんよ。

トップバッターはまさかのアッシムさん。
成瀬さんが斎藤さんに出会う前、二人がだいぶ若いときの話になります。アッシムさん、以外と埃が出るから好きw

では、秋の夜長リターンズ・カクテルナイトをどうぞお楽しみ下さい。