緋い浪漫

【残暑の残響】





「雪久！止すんだ！！」

珍しく冷静さを欠いたムスタファの声がやけに遠く聴こえる。重いモノが落下した音をやけに冷静に聞いていた。眼下に倒れる少年を中心に広がる赤い染みを見下ろしながら、答えに辿り着く。

「しい、な…」

入学して間も無い頃から違和感はあった。だが、現実主義の自分は大して話もしていない誰かに感情を揺るがされている事実に目を背けた。だが、感情を制御しきれずに犯してしまった過ちを見下ろし、違和感の正体がなんであったのか気づいた。

「智久。とりあえず、ここを離れよう」
「いや。やった事はやった事だ。ブラッド、騎士団顧問を呼んで来て貰えるかい？」

支えようと伸ばされたムスタファの手を払い退け、教会の２階バルコニーから降りる。祭壇付近に倒れる男二人も自分が殴った記憶がある。

「椎名。もう、大丈夫だよ」

乱れた着衣を合わせた拳を固くしたまま、放心している椎名の肩に上着を掛ける。少し震えた身体を、心配無いよとそっと抱きしめる。安心したように身体を預ける椎名に感じたのは安堵と劣情。

「おぞましい」
「ん？何か言ったか北門」
「なんでも無いよ可也。自分は後始末があるから、椎名を運んでくれるかい？もうすぐ雨が降る」

お盆明けに降る夏の暑さを冷ます雨が。その雨が名前を見つけてしまった感情すらも冷ましてはくれないだろうか？
どうやら自分は、恋と呼ぶには余りにも狂おしい感情を抱く性格だったらしい。いっそ壊してやりたくなる程の激情を抑えるのはきっと困難だろう。成就しても、きっと彼を狂気のままに壊すだけ。
そんな未来が見えたから、伝えぬ決意を背後の聖母に無言で誓った。

「手を血で汚すのは、存外簡単だな」

伝えぬまま、君の幸せを守り続けよう。きっと君の笑顔を壊す事すらもこの手は容易いのだろうから。





「西館のお姫様もゆっきーのやった事は仕方が無かったって」
「姫にまで手間を掛けて申し訳無いね」
「ううん。こういう時の俺だから」

優しい姫に忠誠のキスを贈る。

「学校側も、正当防衛で警察に提出して、警察もそれで納得しているし、良かったじゃないか智久」
「当たり前じゃん！先に手を出したのはアッチなんだしよ」
「いえ。良くありません」

騎士団ルームの象徴である円卓に両手をついて、椎名も含めた騎士団員を見回す。

「雑草は根から刈らないとね」

鉛筆を器用に回しながら例え話をしたブラッドに頷く。

「今回の件、その原因全てを絶やさなければ終われない」
「それでどうするんだ北門」
「須王。それに皆さん、姫が過ごす学園の平穏の為にも力をかして下さい」

無言の同意を示す騎士団に、考えていた策を披露する。椎名を汚した者達、その原因も全て許しはしない。何を犠牲にしようと必ず追い詰める。その言葉の裏の決意をどうやらムスタファだけが汲み取ったのか、やれやれと深い笑みを刻んでいた。





この事件はやがて学園を揺るがす大事件へと発展し、しかしながら、多くの者は知らない機密事件となるのだが、それはまた他の話である。





想いというのは時が経つにつれ薄れゆくものだと思っていた。だが、日増しに強く深くなる想いは薄れる気配すらしない。それは、椎名が死んでも変わらず、最早叶う事の無い想いが楔の様に心に絡まり続けるのだった。

「雪久は強欲だね」

もう、来る者がだいぶ少なくなった椎名の墓前で、花を手向ける自分にムスタファが苦笑する。

「そう思う？」
「いったい今まで幾ら注ぎ込んだんだい？」
「足りないさ。まだ自分は始まりにすら至っていない」

涙は死の事実を聞かされた時から流れる事は無かった。代わりに、身体から溢れ出そうなくらいの憎悪が去来した。

「椎名が何故死んだのか。それをもたらした者も、原因も、全てを追い詰めるまで終わらないさ」
「その為に可愛い甥っ子を学園に入学させるなんて、正気の沙汰とは思えない」
「正気？そんなものは…」

あの夏の日にとうに消え失せ、今は狂気すら飼い慣らせる様になっているよ。言葉にはせずに胸の内だけで返して、微笑む。

「私は雪久のその笑顔が好きだからいいけどね」
「おや。嬉しいなぁ」

チューベローズが風に揺れる。

もしも全てが終わったら、君はこの狂気を受け入れてくれるだろうか？



END

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予言しよう。
これを君達が読み終わったら、きっとレギュラーが変わるだろう。

【雷雨の残響】




大地を叩く様に濡らす大粒の雨が降り、夏を呼ぶ激しい雷鳴が轟く。嵐の最中、行き交う人々などいないヴァルダナの首都をアドルフは走る。頭上には気高きタイタニア諸公がヴァルダナの雑踏に紛れる事の無いように張り巡らされた天空の動く回廊があるにも関わらず、“地上”を走る。上質で華美なスーツは最早使い物にならないだろう。パーティー用にセットした髪も外に出て僅か３分で崩れてしまった。時間にして僅かに10分の距離。だが、何時間も雨に打たれた様な様相になったアドルフは、到着した病院の中を制止に入る制服達や医師達を押し退け、ある部屋の前で止まる。

面会謝絶

明滅する電光掲示プレートを殴りつける。閉ざされた扉の奥の親友の名を呼ぶ声は、喉を潰しそうな絶叫だった。





タイタニア候爵レディス子息エストラートが戦場から瀕死状態となって帰還したという報は、その日の内にタイタニア全軍に知れ渡った。そして、年若くも将来有望な彼が従軍していた部隊が、４人の覇王子息の１人、アドルフの親派であるという噂も。エストラートは驚異の回復力で死の峠を乗り越えた。しかし、アドルフはそれを手放しで喜ぶ事が出来なくなってしまった。

「お引き取り下さい」

アドルフは毎日病院に通い続けた。だが、面会謝絶が解除されてからも、エストラートに会える事は無かった。エストラートに拒絶され続け、今日も門前払いだ。

「通せ。俺を誰と心得る？」
「例えどなたであろうと、エストラート様が会わぬと判断された方を通す訳には参りません」

ここ数日こればかりだ。これ以上ごねても無意味だと、アドルフは踵を返す。何か僅かでもエストラートに関する情報は掴めぬものかと、暫く院内をさ迷っていた。

「エスト？」

ふと、目を向けたリハビリセンターに目的の人を見付けて、アドルフは目を輝かせる。しかし、すぐにその表情は曇った。目の前のエストラートは両手のバーを頼りに無様な歩き方をしていた。いつも姿勢良く美女の溜め息を欲しいままに颯爽と歩くエストラートの姿はそこには無い。不器用に歩き、何度も転ぶ姿は思わず目を背けたくなる程に無様だ。それも、己だけの力では立つこともままならない状態で、背後には車椅子が控えていた。

「あ…」

しまったと思った時には遅く、エストラートと目が合う。ばつが悪そうに視線を逸らしたエストラートは、遅い歩みで車椅子に乗ると、慣れきった手付きでそれを操りこちらへと向かってくる。足がすくんだのは、次兄と本気で喧嘩した時とこれで人生２度目だ。

「こんにちは、アドルフ様」

「アディー」優しい声音で愛称を呼んでくれていたエストラートから、初めて聞いた冷たい声音。微笑んでいないエストラートは、こんなにも冷たい美形なのかと今更ながらに知った。

「毎日御足労いただいていたのに、御会い出来ず申し訳ございません。斯様な姿を御見せしたく無かったもので…」

ああ、案外プライドが高く美意識が高いエストラートらしいと、安堵していい台詞なのにそれが出来ない。

「貴殿に縁ある御方の指揮下での事、華麗なる白花をその戦史に添えたかったのですが、純白とは程遠い勝ち振りとなった上にこの有り様。面目もございません」

エストラートの言葉の端々に感じる突然の距離感に、アドルフは何も言えずにエストラートを見つめる。

「時にアドルフ卿。此度の戦局中、何故か全ての策が先方に漏れていたのです。この事実、どう思われますか？」
「まさか、そんな…」

身内の所業としか思えない。だが、証拠も無いのにそんな事は言えずに、アドルフは言葉を飲み込む。

「いや、これは些か失礼な質問でしたね。お耳を汚し、大変失礼いたしました。それでは、これにて…」

車椅子の上でお辞儀をしたエストラートが、去って行く。まるで他人行儀なやりとりだが、アドルフは傷付いている暇など無いことを知る。エストラートの話が本当なら、間違いなく身内、それも上層部の反抗なのだから。





「すまない。アディー」エストラートは去り際、アドルフには聴こえない声でそう呟いた。きっと、エストラートの態度にアドルフは傷付いただろう。それでも、今は距離を取る必要があった。別に先の戦局でエストラートが大怪我をした原因は関係無い。策を相手側に漏らしたのは、アドルフ親派の指揮官に他ならないとわかっている。問題はその動機なのだ。それを確かめるべく父・レディスに詰め寄れば、信じ難い事実を知らされた。

アドルフとエストラートは従兄弟と言う名の兄弟。

即ち、アドルフの母ジュリアの従姉妹であるエストラートの母シルバーナは、レディスとの婚前にアドルフの父であり覇王のアジュマーンと通じ、エストラートを身籠ったのだ。
ともすれば、アドルフ以上に戦上手のエストラートが、これ以上戦功を立て名を上げてしまえば、覇王の気が変わり、エストラートが次期覇王候補になってしまうかもしれない。そうなれば、現在4人の次期覇王候補の一人に名を連ねているアドルフの地位が危うくなるかもしれない。そう懸念するアドルフ親派がいてもおかしくはない。むしろ、それならば、アドルフに浸透する指揮官殿は正しい判断をしたとも言える。
そして、恐らくはこの噂は上官クラスは知っていると予測出来る。

なら、今までの様にアドルフと仲良くしていれば、アドルフの方に刃を向ける者も少なからずいるだろう。そう考えた末に、エストラートはアドルフに対して先程の態度を示した。

強くなりたい。
否、誰にも文句を言われずアドルフと親友同士でいられるように、強くならなければならない。
親友同士…エストラートは自分で考えて苦笑する。望んでいるのは、そんなものじゃない癖にと。





「怖い顔をしているな」
「俺のせいで大切な人を傷付いたんだ」

通りすがりで声を掛けてきたアリアバードの言葉に、アドルフは決意を込めて言葉を返す。

「だから、強くならなきゃならない。自分の力で、大切な人を守れる様に…」

アリアバードは、目を細めてアドルフを見る。エストラートの元へ行ってきただろうと予測出来る。泣いて帰ってくると思えば、いつの間にか弟は成長していたらしいと、頭を撫でる。

「いいヒントを与えよう。がむしゃらに力を求めるのではなく、己の特異点を見つけ伸ばしてみろ。お前には、お前の形の強さがある」

アリアバードの言葉にアドルフはハッとした後に頷く。

「ありがとう。絶対に強くなってみせるよ。俺なりのやり方で」

今、エストラートをあんな目に合わせた首謀者を排除しても、新しい目が生えるだけだろう。まずは、力を付けよう。誰にも文句を言わせないだけの力を。





日々リハビリに励んだエストラートは、周囲も驚く程に目覚ましい回復を遂げた。回復してからのエストラートは貪欲に出撃命令を望んだ。暇な時間があれば、軍略書を片っ端から読んだ。また、タイタニアの爵位持ちと積極的に交流を深めた。そして、エストラートが指揮官として船団を用いる様になって間も無くしてついた飾り名は「大軍の将エストラート」だった。



あの日からアドルフは勉強に励んだ。だが、励んだのは一般教養ではなく、雑学と心理学。戦術は自分には不向きと切り捨てて、ひたすらに人を操る術を学んだ。さらに、元四公爵のハイドベルトや外交官パウルの元に通い政治術も積極的に学んだ。結果ついた飾り名は「外交のアドルフ」。意中の相手を必ず選挙で勝たせるハイドベルトと並んで、人心を巧みに掌握すると評価されるまでになった。





タイタニアにエストラートありと、より高らかに名を示した「カーディナル海域の戦い」。今や新しきタイタニア士官候補生達の教科書になっている。そんな戦いの立役者の１人にアドルフの名前がある。

「外交のアドルフにご助力いただけるとは、ありがたい」

戦いの前、久し振りの邂逅に先に手を差し出したのはエストラートだった。

「こちらこそ。大軍の将エストラートの戦法。ぜひ盗ませて貰うよ」

アドルフはまずは内心の喜びを隠してエストラートの手に自分の手を重ねる。

「仲直りさせてくれるかい？アディー」
「もちろん。でも、今度冷たくしたらエストラートの恥ずかしい写真を時空中にバラまくから」
「それは困る。もうアディーを怒らせられないな」

成長した二人は笑い合う。

「さて、エストラート公。我々の仲を割いた奴の資金源を弱体化させに行こうか？」
「御意。では、アドルフ卿。しばし空中散歩をお楽しみ下さい」



これは、二人の天才が生まれたお話し。



END

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雨降って地固まって、めっちゃ固くなったパターンですな