今日は単一個体の喜びを得たのでばつが下ったらしくサンダルの踵がとれました。
歩く度にぱこぱこ。
色々だめ。
だったわりには恵まれてましたね。わぁい。
理性の沼。というより惰眠の沼。夢と云う睡蓮がちらりほらり。
根っこは只の厭な思い出だ。
人間が一個体単位で思考する生き物で良かった。
それによる不具合もままあるけれど、不愉快な思考を他人と共有するよりずっとましだ。今日は内臓がどす黒い日でした。
ポーズというのが、あまりにも心情と違うと毒が溜まります。ここに事例を挙げるのはただ不快な思いをさせるだけなのでしませんが、考えてみてください。
例えば仲良さそうに歩く二人が実はお互いに嫌いあっていて、道が別れた瞬間から無表情で帰路に着く様を。
もうこれだけで人間が嫌になるではありませんか。
でも、二人はお互いにお互いが自分を好いていると信じていれば、なにも問題は起きないのです。平穏。いつもと同じ。日常を続けていくのです。
なんて不安定な平和でしょう!
ぐらぐらの緊張に耐えることが苦手です。