スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

正と四を巡る週末論総

時に僕らは、誤字脱字の優しさに驚かされます。誤字脱字があることで、その可笑しさ、あっ、という小さな発見が人々の緊張をほぐし、ある人との関係を円滑に進める潤滑油となってくれるのです。

僕に友達があったらなと、たまに思うのですが、あったからってなんということはない。いや、それは本当の友達というものを知らないからだ。僕が欲しいのは依存できる何か、僕の友愛だとか不当な暴力を受け入れてくれる入れ物。そんなものを求めているのではないかしら?硝子のように貴重なその人を、ぐしゃぐしゃに叩き壊したら、君はどんな顔をするのだろうか。
膿が。膿というのは、とても厭らしい音。気持ちの悪い。そんなものだから、きっと僕の心情にぴったりなんだろう。

人と繋がることが面倒で。この面倒という感情が僕の全てを包み込む。
面倒というオブラートをなくすと、しがらみが出来るのが嫌だということ。
僕は僕自信で、あまり僕を信頼できないものだと意識しているから、僕の気まぐれで誰かを傷付けてしまいやしないかと気が気でなくて。傷付けることは傷付くことと同義だと考えると、僕は僕の傷つくのを恐れているのかしら?ああ大事な僕。
果たしてね、大事な僕というものが。
依存しないと生きていけない気がして。寄りかかるものはもう設定している。

全ての手綱が切れてしまう、というのは、酷く悲しいことなので、いつでも取り出せるような、都合のいい綱にしたい。それは人道的に悪である。

詰まるところ、結局僕は、未だに一人で生きていく決心がつかないのだ。まあ二人でも三人でも四人でも人数に関わらず生きていく決心がつかない。
きっとほとんどの人がいきる決心などせずに、生きているから生きているのだろうけれど、息をしているから生きていくというのはなんとも、僕の中でしっくり来ない。
全てのものに対して、僕は責任を持ちたくないし、そもそも責任について考えることも好ましくない。
ぼくは、声高らかに、息を枯らして生が嫌だと言いたい訳じゃない。
今までは基本というレールの上を辿っていたけれど、レールから外れてしまった今となっては、ただもう前後をふらふらするだけで。流れ着くところがあるのだろうか。

あ、眠い。強制シャットダウン。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年12月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
アーカイブ
カテゴリー