片割れさんにお叱りを受けたときに
わたしのリアクションが悪いことについて。
まず、片割れさんが叱った後の反応として求めているのが感情に基づいたリアクションです。
例えば叱られたということに対して悲しむ。ミスを犯したことに対する罪悪感。手を煩わせたことについての謝罪などです。
ですが、わたしのリアクションにそういったものが見受けられません。
なのであさねに教えても無駄だという徒労感と、リアクションが軽いことへの憤りが残るので、余計教えたくないし、教えたときのリアクションの悪さで更に関係が悪化するという悪循環が怒るのです。
ちなみにわたしが叱られ終わったあと本題からずれたついでの質問をするところも反省してない・自分が満足するために仕事してると思われるし、あとリアクションがないことで自分が軽んじられていると受け取ってそう。
(おとうさんに怒られたときは泣きそうなほど落ち込む。)
片割れさんの思考の流れは多分こんな感じ。
さて。
なんでわたしがリアクションしないのかの話をしましょう。
リアクション。…。えぇと。悲しむとか凹むとか、そして泣くとか。そういうことされると、気が滅入るし気を遣わないといけないじゃないですか。
自分が叱った相手が泣き出して自分が慰めるって、なんでしょうね。
慰めないにしても、泣かせっぱなしもなかなかすごいですよね。
凹んどきます?顔が暗いから結構な来店拒否感が出せると思いますよ 笑
(*^▽^*)
なんだろ。感情面に基づいたリアクションを取るということは、あんまりメリットがない気がします。
確かにおとうさんに怒られた時は凹みますし泣きそうになりますけど、それも私自身嫌がらせだと思ってるから出来るだけその場で泣かないようにしてます。
というか、そもそもわたしおとうさんに怒られ慣れてないので、片割れさんに怒られる比じゃないのです 笑
片割れさんはそもそも怒らないときもあれば怒るときもあるので、片割れさんから怒られることって日常なくはない事柄です。
でも、おとうさんに怒られるっていうのは、日常、なかったんですよね 笑 (*^▽^*)
おとうさんから怒られるって、なかなかなくて。しかも一年間ほぼ褒められて甘やかされて育ってきたから、今の状態、褒められないしただただ怒られるって、結構精神的にくるものがあります。
だからおとうさんに怒られたときは凹むし泣きます。我慢できないから。
んー………………。リアクションとして凹んだり泣いたりした方があなたに伝わりやすいのであればそうします。ちなみにこの前怒られたときもトイレで泣いたし、その後引きずりましたし。
でも、泣いたからなにかあるんでしょうか?
泣くってことに拘ってるわけでも、悲しむっていうモーションがほしいわけでもないのは知ってます。
求めてるのは、精神的な反省なんですよね。
………………。それは、その場で分かるものなんでしょうか?
反省をして、反省をするのは、その後に活かすためなんですよね?
その場で泣くほど後悔したら、その後に活かせるんでしょうか?
…泣くほど後悔することって、なかなかないかもしれないです。反省が足りない?
…。どうでしょう。
ポーズとして、泣くことも凹むことも出来るかもしれない。
でも精神的にはそんなにでもないから、それで過度なリアクションを取るのは不誠実ではないでしょうか。
わたしを叱ったときに、片割れさんは感情に基づいたリアクションがほしい。
でもわたしは凹むとか悲しむとかその場のポーズだと思ってるから、よっぽどじゃないとそんなリアクションになりません。
あと、泣いたり悲しんだり凹んだりしてる相手に追撃してくるのって結構精神力いると思うんですよねー。
なかなかそこまでゴスゴス出来る人はいないので。
…。欠点があるなら一回で全部言ってもらった方が楽だなと思います。悲しむのも一回ですむから。
そーゆーのがあるので、わたしはよほどのことがない限り目の前で悲しんだり凹んだりしません。…逆にそれをやるのは、やめてほしいときとかなので、そーゆー意味では片割れさんの存在を大事に思ってますね。笑