思ったこと。雑文。

愛は継承するものだし、獲得するもの。

誰かが、その人自身より誰かを大事にしてくれるという感情が、愛。

AさんがAさんよりBさんを大事にする、Bさんを優先するという感情が、愛。

それはAさんがA-1さんから愛されていたから出来ることで、A-1さんからAさんに、AさんからBさんに伝播することが、愛の継承。

そして、Aさんから愛されているとBさんが受け取ることが、愛の獲得。
ただ、愛の獲得はBさんの受け取り方による。Bさんが、これが愛だと理解出来なければ愛は獲得できないから、継承もされない。

愛を分からない。

Bさんが、これが愛だと理解するためには、そもそもBさん自身がBさんに愛されていることが必要。

自分自身を許す、受け入れる、愛していることで、他から与えられる愛を愛だと認識できる。

他から継承して、かつ自分で認識(受け入れ)ないと愛は理解できない。

大切なひとを傷つけられたら嫌でしょう?という質問は、愛を知らないひとには分からない。

腹落ちしない。理解できない。想像が出来ない。
だって愛を知らないから。

愛を知るためには他から継承して、自分で器を作って獲得する必要がある。

デフォルト設定では、一番大事なもの:自分。

自分が一番大事なのに、いつからか自分を自分で受け入れられなくなるのは、なんでなんだろう。

他と比較検討するからだろうか?自分の理想に自分より近い誰かがいて、それに対しての自分が劣って見えて、価値を下げるんだろうか。

話は変わるけど、分からないものについて。

分からないものを分かろうとする時、色々な障害がある。

それは事象によって変わるけど、私が直感的に分かろうとする作業を行うことが嫌だなって思うのは以下。

それを理解するために膨大な時間がかかるのに、理解したときに得るものが少なそうなとき。
コストに対してリターンが平等に思えない。

でも、やったことないこと、分からないことを分かったときのリターン量って分からないな。

分かったことないから、どれくらい応用が効くのかも、どういうメリットがあるのかも分からない。

そう考えると、分からないことは時間が許すのなら分かろうと努力した方が良さそう。