狐はもうしばらくお待ちください。
かわりに子豚をどうぞ!
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ティカルとエンは、大男のソイに連れられて森の中にいました。
「もう今は誰もいないから、荒れてるけどな。ほらここだ」
そう言われて視線を上げると、大きな岩を組み合わせて作られた家がありました。
家というよりは洞窟といったほうがぴったりなような気がしましたが、丈夫に作ってあるその建物は、やはりちゃんとした家でした。
「ここに、俺の先祖が住んでたんだ」
「大きいですね」
高さや広さを覗きこんでいたエンが感心したように呟きます。ソイは自分が褒められたかのように嬉しそうに腕を組みました。
「まあな。俺よりもデカかったって話だし。それに結構な大家族だったそうだ」
「ぴぃ」
少し向こうに見える丸くて平らな石は、もしかしたらテーブルなのかもしれません。
「…魔王が死んで」
ソイが話し出し、魔王と言う言葉に、エンがぴくりと反応しました。
やはり魔王に興味があるのだなぁと、ティカルは思います。
「ここから北へ山をふたつ越えたところにある村を、魔物が占拠したそうだ。
魔王のかたきだって言ってさ。俺の先祖も、元はそこ魔物の一員と、その村の住人。
結局、魔物たちは、勇者が率いる人間たちに制圧されたって話だけど、その混乱の中で、俺の先祖はここに逃げてきたんだって」
「山をふたつ…、大変だっただろうな」
今でもこのあたりは山が深く、歩くのは大変です。それを魔物と人間が逃げるのはどれほど大変だったのでしょう。
もしかしたら追手もいたかもしれません。
「その先祖に、会ってみたいなぁ」
「お、気が合うな。実は俺もショコラもずっと思ってるんだ。
特に人間のほうな。
きっとすごく肝っ玉母ちゃんなんだと思うんだよ!」
魔物のお嫁さんになるほどです。きっと剛毅な人なのだろうというのがソイの予想でした。
残念ながら、すでに村には当時を知る人はおらず、
この石造りの家を出て、本格的に村で生活するようになったのは、その先祖の息子の代からだということです。だから彼らに関することはほとんど知られていないのでした。
***
一泊して、エンとティカルは旅立つことにしました。
ソイたちは久しぶりのお客さんを、もっともてなしたそうにしていましたが、明るく見送ってくれました。
「空豚。もう一度、あの石の家を見に行ってもいいかい?」
そのまま大きな街のあるほうに向かうのかと思っていたら、エンは村を迂回して、もう一度あの、最初の魔物と人間が住んだという家にやってきました。
エンは昨日と同じように家の中を覗きこみ、じっとしています。
どこか、遠くにいってしまいそうで、心配になり、ティカルは小さく鳴いてみました。
「ピぃ」
「…ここに住んでいた魔物は、」
入り口の石に触りながら、エンがぽつりと呟きます。
「魔王のこと、知っているのかな」
「ぴきぃ」
魔王が死んだときに生きていた魔物です。もしかしたら知っていたかもしれません。そう思いながら、ぼんやりとエンを見上げていたティカルは、突然足元がブニっとしたのを感じました。
「ピィッ!!」
「え?空豚?!」
足が沼に浸かったように突然埋まったのです。只事ではない鳴き声にすぐにエンが抱きあげようとしてくれますが、どうしたことか、これまで乾いた土だったはずのそこから、足が離れません。
「どういうことだ!?」
「ピキーッ」
これはなんだか、夜の女王が作り出した闇の沼に似ていました。ティカルは慌てて、エンを遠ざけようと鳴いてみましたが、残念なことに、先ほどの悲鳴とそれほど変わりはないのでした。
「大丈夫だ!ひっこぬいてやるから、なっ
うわっ!!」
ダメ!と思ったその時です。ズブンと体が沈み、エンも頭から謎の沼にはまってしまったような音がしました。
下なのか横なのか上なのか、とにかくどこかへ飛んで行っているようです。ティカルとティカルのお腹をかかえたエンはどんどん引き摺られていきました。
***
どれほどさまよったのでしょうか。真っ暗だった視界が、だんだん明るくなってきました。
ごぼっと音がしたかと思うと、今まで後ろにいたはずのエンがティカルを抱えて足をバタバタさせていました。
そしてようやくティカルも、今水の中にいるとわかったのです。
そうとわかると、急に息が苦しくなって、ティカルもごぼっと泡を吐きだしたのでした。
モコっと水面を割って、エンとティカルが顔を出します。
「ブハッ、はぁ、ハッ!」
「ピぎっ」
ティカルはうっかり大きな鼻から鼻水を出してしまっていましたが、エンは気にせずに、とりあえず彼を頭の上に乗せて、立ち泳ぎしました。
「何が起こったんだ。
どこだここ…?」
エンがきょろきょろするので、つられてティカルもキョロキョロすることになります。しかしさっきいた石の家よりも深い森のようで、流れは緩やかですが、ここは川のようです。
とりあえず上がれるところはないかとエンが探していると、上からにょろっとしたものが落ちてきて、ふたりはビクーっと驚きました。
エンは一瞬ヘビかと思ったのですが、太い蔓です。そうと理解できるのと同時に、上から声が降ってきました。
「あ、あのっ
大丈夫ですかー?」
おそるおそるといった声の主は、やはりおそるおそるといった顔でエンとティカルを見ています。
エンは蔓をビンビンと引っ張って、強度を確かめるとぐいぐい登っていきました。
「こんなときだけど懐かしいなぁ。ユウやアレクと、誰が早く登れるか競争したっけ」
エンの呟きはよくわかりませんでしたが、ティカルは頭の上から肩に移動して、蔓いっぽんで器用に登っていくエンをちょっと頼もしく思いました。
登り切ったエンを待っていたのは、エンよりも少し背の小さい男の人でした。
「蔓をありがとう。助かりました」
エンがそういうと、男の人は緊張しているのかしきりに背後を気にしています。
「あの、貴方達は、どこから…?」
「あぁ、それがわからないんです。俺たちは沼のようなものに嵌ったと思ったんだけど、気付いたらここにいて…」
そう言いながら、一歩、エンがその男の人に近付いたときでした。何かが男の人の後ろから、ふたつほど矢のようにやってきて、エンたちとの間に入ってきたのです。
「おかあをど―するつもりだ!」
「おかあはつれてかせないぞ!」
ポカンとしたエンは、間に入ってきたのが意外にも小さかったのでそれにも驚いていたのでした。
同じくポカンとしていた助けてくれた男の人は、少しして「あっ」と声をあげると、それらの、小さい子供二人のお腹を抱えて、抱きよせました。
「エダ!エド!
出てきちゃダメって言ったろ?!」
「だっておかあ!こいつかわおとこだ」
「かわおとこ、かわのくににひっぱりこむって、ダミアにいちゃんが」
かわおとこ、川男ということでしょうか。不思議そうにしていると、男の人はペコリと頭を下げてきました。
「すみません。川に近付いたら、川男がやってきて、連れていかれてしまうぞって言ってたものですから」
「あぁ、それで…」
フンフンと鼻息荒く、男の人を守ろうとしているのでしょう小さな子たちを改めて見て、エンは「あれ?」と思いました。
さっきまで一緒にいた、村人のソイと、どことなく似ているのです。
「あの、もしかしてソイさんの親戚ですか?」
「え?ソイ?し、知りませんが…」
違うのか?しかしよく見ると肌の色もソイと同じように灰色がかっています。いや、彼よりも濃いかもしれません。
どういうことなのだろうと、混乱するエンとティカルに、同じくらい困った顔の男の人は、おそるおそる提案をしました。
「とにかく、濡れたままでは風邪をひきますから、どうぞ火に当たっていってください」
「おかあ!かわおとこだってば!」
「あぶないよ!」
ブーブーいう子供を問答無用で、小脇によいしょと抱えて、彼は先導しはじめました。
どうしたらいいのかわからないので、あたりへの警戒はしたまま、エンはついていくことにします。
「どうしたことだろうなぁ空豚」
「ピィい」
沼のような体験は実は2回目ですが、だからと言ってティカルにもわかりません。そのままついていくこと数分、エンとティカルはエダ、エドと呼ばれた子供たちに威嚇された時以上に、ポカンとしてしまいました。
「あ、えと、大丈夫ですよ。石で出来てるけど中は広いし、雨にも濡れないようになっていますので」
驚くひとりと一匹をどう思ったのか、彼は我が家に帰ってきた安心からか少し肩の力がぬけたように笑って言いました。
しかしエンとティカルはそんなことで驚いていたのではないのです。
「どうしたことだろうなぁ空豚」
「ピィい…」
なんと、男の人に案内された家は、
さきほどまで二人が見ていた、ソイの先祖が住んでいたという石造りの家だったのでした。
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はい。こういう展開になっていきます!