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見た目はお寿司でも食べたら和菓子!北斗市発「ずーしーもっちー」


2016年3月26日に開業した北海道新幹線

その終着駅のある北斗市には、見た目はお寿司でも、食べたら餅菓子というユニークな和菓子「ずーしーもっちー」があるのだとか…

いったいどんな和菓子なのでしょうか?



細部に至るまでホッキ寿司を表現した「ずーしーもっちー」

名前の「ずーしーもっちー」は、北斗市の公式キャラクター「ずーしーほっきー」にちなみ餅菓子であることからつけられました

見た目は本当にホッキのお寿司そのもの

ホッキの身の赤い部分にあたるところも着色料で表現

白から赤への美しいグラデーションが目を引きます

シャリの部分はあんこ入りで、お米感を出しています

さらに、桜の葉の塩漬けを刻んだものを、シャリとホッキの間にワサビのように挟み込んでいるため、さくらもちのような味わいが楽しめます

また、北斗市産風の子餅やふっくりんこ米粉を使うという、地元素材へのこだわりもみられます

細部に至るまでホッキ寿司をまねた「ずーしーもっちー」は、見た目にかわいいですし、さくらもち風味と、もちもち感がたまりません!

「ずーしーもっちー」を製造・販売するのは、北斗市東浜2丁目、国道228号線沿いにある「菓匠ゆめや」

北斗市産のお米「ふっくりんこ」の米粉を使った生地と昔ながらの製法で作り上げるべこ餅は人気が高く、黒糖、ごま、よもぎ、くるみ、柚子風味、桜風味のべこ餅や、一口サイズのべこ団子を世に送り出してきました

「ずーしーもっちー」は、市公式キャラクター「ずーしーほっきー」がホッキ寿司をモチーフにしていることから、北斗市のPRを兼ねてホッキのお寿司をイメージした和菓子を思いついたのだそう

地元産素材にこだわり、北斗市産風の子餅米を使った新スイーツとして開発

2014年10月に開催された「みなみ北海道・地産地食フェアin北斗2014」で、市内8店舗が出品し来場者投票してもらう「北斗グルメフードラリー」に出品し、以来、同店でも販売を始めました

お店に入ると目に飛び込んでくるのが「ずーしーもっちー」コーナー

1つ1つパックされた「ずーしーもっちー」が、北斗市公式キャラクター「ずーしーほっきー」のイラストとともに陳列されています

1個200円…
同店でしか手に入りません

早くに完売することもあるのでお早めに

話のタネに
おひとついかがでしょうか?



ゆめや

●所在地
北斗市東浜2-22-7
●TEL
0138-73-9620


全てが信仰、静けさ包む、祈り7回、お菓子作り、農作業も…函館・トラピスチヌ修道院の1日


1898年(明治31年)の創立から120年目の夏を迎えた「天使の聖母トラピスチヌ修道院」(函館市上湯川町)

売店などがある前庭が連日、観光客らでにぎわう夏、塀に囲まれた「禁域」には、外界の喧騒とは無縁の静かな時間が流れています…

キリスト教カトリックを信仰し、神に身をささげた修道女たちは、どんな日々を禁域の中で送っているのでしょうか



修道院の朝は早いのです

午前4時前、聖堂で朝一番の祈りが始まりました

「神よ、私の口を開いてください
私はあなたに賛美をささげます」

「主よ、哀れみたまえ」

聖書の言葉と賛美歌で神をたたえることから1日が動きだします

「賛美と感謝のうちに…アーメン」

集まった修道女全員がオルガンに合わせてそう唱えると、照明が消えました

午前4時半から30分間に及ぶ黙想の時間

修道女たちが一斉に目を閉じ、聖堂内が物音一つ聞こえない静寂に包まれます

朝食を挟み、お祈りやミサが続いた後、午前9時ごろから、お菓子工場や果樹園、農場などで、それぞれの担当者たちが作業に入ります

マドレーヌに似た人気洋菓子「マダレナ」作りでは、修道女たちが機械で生地をこね、焼き上げたお菓子を選別・包装します

大型のオーブン前で付きっきりで焼き色を見ながら、温度を微調整する女性も…

時間はあっという間に過ぎていきます


午前11時半に労働を終え、再び聖堂でお祈りの時間となりました

お祈りに続き、この半日の行いを振り返る「糾明」がおよそ5分間行われます

正午過ぎ、お祈りを終えた修道女たちが食堂に集まり始めました

各自がお料理を取り分け、席に座ります

食事は、神から与えられた肉体を養う貴重な時間です

このため、食事中に会話は一切なく、係の修道女による聖書の朗読を聞きながら食べ進めます

この日のメニューは、ご飯、焼き魚、スープなど

時間にして20分ほどで済ませます

昼食後は散歩、読書、仮眠など、それぞれが自由に過ごします

そして、九時課のお祈りを終えた午後2時から、また労働の時間となります

働くことに年齢は関係ありません

90代の修道女たちも、マフラーに使う羊毛の細かいごみを取ったり、機織り機で販売用のマットを織ったりと、作業を黙々と続けます

各自の経験と知識が共同体を支えていますね

労働終了は午後4時半

修道女たちは後片付けを慌ただしく終えると、午後5時からのお祈りと黙想に間に合うよう聖堂へと急ぎます

夕食後の午後6時55分、聖堂で1日の締めくくりとなる祈りと糾明、聖母への賛歌が始まりました

1日の感謝、そして就寝時間分の祈りをささげます

2分間の糾明ではこの日の行動を振り返り、反省します…
翌朝には持ち越さない

全ての祈りが終わると、セシリア青木秀子院長が聖堂の出入り口に立ち、出て行く修道女ら1人1人に小さな棒で聖水を振りかけます

1日の終わりに神の祝福を受ける「灌水(かんすい)」と呼ばれる儀式です

深々と下げた頭で水を受けていきます

夜の祈りが終わると、「大沈黙」に入ります

緊急の用事がない限り、翌朝の祈りの時間まで話さない

修道女たちは個室へ戻り、午後7時45分には床に就くのです

「労働も食事も読書も、修道院の生活の全てが『祈り』です
心は常に神に向けられている」

院長の言葉通り、ここでは神のまなざしのもとで、祈りの生活が日々繰り返されています…


函館・汐首岬の近くにあるコンクリートアーチ橋はなぜ造られた?


函館から東方面に23kmほど進んだ場所に、今は使われていないコンクリート造りの大きな橋があります

色が変わり、ひびが入り、ただ朽ち果てるのを待っている橋のように思えます

いったいどのような目的で造られた橋なのでしょうか?



国道278号線(恵山国道)を函館から恵山方面に車で30〜40分ほど走らせたところ、汐首岬(しおくびみさき)よりも500mぐらい手前、山の中腹にある汐首灯台のすぐ下にその橋はあります

コンクリート造りの8連アーチ橋(汐首陸橋 全長52m)です

この橋は、もともと鉄道「戸井線」を通すために造られたもの

五稜郭駅から戸井駅までの29.2kmを結ぶ予定で、1936(昭和11)年に測量開始をもって着工されました

戸井町釜谷地区の人々が切望していたことから釜谷線ともされた同区間は、工事が決まってから戸井線と呼ばれるようになります

戸井線計画ルート図では五稜郭から分岐し、東五稜郭・湯の川・銭亀沢・渡島古川・石埼・小安・汐首・弁財・戸井の9駅が予定されました

戸井線の建設ではトンネル2か所、橋梁51か所が造られることになりました



中でも汐首岬を迂回するルートは断崖に阻まれたため、汐首陸橋のほか、蓬内川陸橋(3連)、瀬田来第1陸橋(18連)、瀬田来第2陸橋(25連)といったコンクリートアーチ橋が計画されました

戸井線は戦前から戦時中にかけて建設されたこともあり、資材の節約をする必要がありました

コンクリートアーチ橋も鉄筋を使用せずに、安全な強度を保って造らなければなりませんでした

ところが1942(昭和17)年9月、終点の戸井駅まで残り3kmほどの瀬田来地区で工事は中断

最大の難工事を終え、ほぼ9割が完成していたにも関わらず、戦局の悪化と資材不足を理由に打ち切られたのです

汽車が走るのはもう間近に迫っていると考えられていた矢先の出来事でした

戸井線が急いで着工され、突貫工事が行われた大きな理由は、住民のための鉄道ではなく戸井要塞(津軽要塞)のための軍用鉄道であったからだといいます

軍の至上命令であった鉄道なので、要塞が役に立たなくなれば鉄道も不要になるという悲しい現実がそこにはありました…

戦後、残り区間の工事が再開されることはありませんでした

レールを敷くばかりになっていた鉄道敷地も、29年の年月を経て1971年9月、沿線の市町(現在は函館市)に払い下げられてしまいます

その後、一部の区間は生活路や遊歩道、農道として使われました



完成から70年を越える今、崩れた場所やひび割れも確認できます

ひびや多少の崩れは確認されるものの戦後70年以上を経た今も当時の姿を残している理由は、アーチの形状はもちろん、施工を七区分したブロック工法にもあると言われています

ブロック工法とは温度変化によるコンクリートの凝縮で亀裂ができるのを防ぐために、1区分の施行後、2日間放置・凝固させてから次の区分の打設を行う方法です

これによって路盤に浸透した雨水が継ぎ目から染み出ていきます

この継ぎ目がコンクリートに亀裂を生じさせない働きをしていると考えられており、無筋構造ながらいまだに橋を揺るぎないものにしています

多くの労力をかけて造られたものが、その目的を1度も果たすことなくただ朽ちていくわびしさ…

未成線「戸井線」のコンクリートアーチ橋「汐首陸橋」を目の前にしたとき、何を思うのか?

1度訪れてみてはいかがでしょうか


輝く山車13台、江差熱狂!姥神大神宮渡御祭・最終日


姥神大神宮渡御祭は最終日の11日、上町巡行を行い閉幕しました

豪華な装飾が施された13台の山車(やま)と祭りばやしの調べが、ニシン漁や北前船交易で栄えた江差のにぎわいを伝えました

午後9時過ぎのクライマックスでは、新地町に13台が集結!

街頭アナウンスでは、各山車の頭取や人形などの紹介の後「3日間の巡行、大変ご苦労様でした!」とねぎらわれ、引き手はさらにヒートアップ!

時折肌寒い風が吹く中でも、疲れを見せずに激しいテンポの祭りばやしに乗って熱狂しました

北斗市から家族3人で訪れたK・Hさんは「歴史ある祭りを見られて感激、江差町民のエネルギーをいただきました」と話していました

10日の「祭ばやしコンクール」の結果は、1位が2年連続で楠公山(津花町)、2位は神功山(愛宕町)、3位は松寶丸(海岸町・陣屋町)でしす


9月10日に秋のバル街、10日からチケット販売!


スペインの立ち飲み文化「バル」を函館市西部地区で楽しめる「第28回函館西部地区バル街」(実行委主催)が、9月10日午後2時から開かれます

前回より7店舗多い70店舗が参加

函館のノウハウを提供した新潟県長岡市の「ながおかバル街」の主要メンバーである和食店「十代目吉蔵」など初出店も7店あります

チケット販売は10日からですよ

2004年から年2回、春と秋に開催
知名度が定着し、近年は観光客の参加も増え、外国人の姿も目立つようになったといいます

今春のバル街で、昨年12月に新潟県糸魚川市の大火で被害を受けた「いといがわバル街」へ募金の支援を行ったつながりで、今回長岡市の「十代目吉蔵」が特別参加

実行委は「地酒とともに料理を堪能して」と呼び掛けます

前回に続き道南各町のほか、青森市、弘前市からも参加

また、北斗市のレストラン「畑のレストランHuis〜ゆい〜」が西部地区の蔵付き古民家の再生活用第1号として初出店するほか、西部地区の新店舗「bar北斗星」「函館パターテ」が新規参加します!

参加店でのゴスペルライブや、着物での来場者にドリンクをサービスする「きものdeバル」など関連イベントも盛りだくさん…

本願寺函館別院(西別院)では、限定200食の特製和スイーツと裏千家の本格抹茶が無料で味わえます

前売りチケットは5枚つづり3500円
半券1枚でドリンク1杯とピンチョー(おつまみ)1品が楽しめます

プレイガイドや参加店で販売し、購入すると参加店舗の場所を確認できるマップがもらえます

公式サイトでも購入可能

実行委事務局長の加納諄治さんは「秋晴れの秋バルをぜひ楽しんで」と呼び掛けています



問い合わせは
レストラン・バスク
0138-56-1570まで


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