ただただ口に出して不満を露にしたい。あーあ。これも呪いになるのかしら。
結局嫌なだけなんですよ。そしてされど嫌なんですよ。嫌なの。嫌というだけで色々が出来なくなりますね。
結局原因というのがなくなっても変わらないので。んとね。…。さんしゃいん。
だれもが、しぬりゆうをさがしているきがします。
しにたいんだけど、たいぎめいぶんがないから、なにかりゆうをさがしては、しのうとしています。
いまこのぶんしょうをきみがめにしているということはぼくがまだいきているからであるとおもうかていがなりたつのではないかとしかしまだあんしんはできなくてあんしんというのはもしかしてごかいがあるかもしれないねべつにあんしんではなくそういったかんがえにいたってもべつだんふしぎはないということだよまあそんなことどうでもいいかいまこのしゅんかんもぼくはしにそうです。
ぼくはいわゆるめんへらのけがあるとじぶんでおもっているのですがなのでそれをそとにださないようにがんばっているんだよ。
ぼくはすとれすがたまるとやつあたりしたいようなきもちにもなるのですがそんなことをするとあとでだれかがかなしむかもしれないというさきのことがぼくをくるしめる。かのうせいというものがおそろしくて。そうして、だれかにめいわくをかけないためにじしょうこういにはしりたくなるのですがいちどもじしょうこういをしたことはありません。なぜならじぶんのからだにきずがつくのがいやだから。と、いうことでぼくはすとれすをねむらせてしょぶんしたつもりになってきょうまでのうのうといきるのですがけっきょくはしにたいのでなにかしょっくをうけたときのいままでのぶんがいっしょになってしぬりゆうめいたものをむすびつけてぼくをころそうとする。どうでしょうね。ぼくはしにたがりだけれどどうにかいきようとするひとかけらでどうにかいまいきているのですが。さて、どうでしょうね。
(requestという言葉をそのままリクエストとして和訳する人間の意図がわからない。文体にあっていないと考えないのかしら。)
なんとか、じぶんをりっして、いきているのですがはたしていきることにいみはあるんでしょうかねぇ?いきることは、いまだにいみがみいだせないというわけではないのですがかっこたるなにかといういしきがないです。でもしぬということはかなしいね。にんげんがしぬというのはかなしいことなのでしをかんがえるとなみだがでるわ。わたしがしんでなみだをながすのはわたしだけだろうね、やさしいといえるのかしら。ああもう。どうにかいきています。かんがえているよりふらふらかも。すごくくだらないことでもたぶんひとはしねるとおもうんだ。けっきょくしにたがりからしたらりゆうなんていくらでもみつけられるんだよ。いまどうにかいきているけれど。ためいきしかでなくてげんじつとうひ。なんだかんだわたしはりせいのしもべだとおもうのだけど。だってしんでないし。いきるというのはほんのうなんでしょうか?しにたいとおもうのはなんなの?ぜんせがれみんぐだったのかなぁ?あーあ。なにものからもにげたいからしにたいというのもあるけれど。ぐるぐる。なやむ
のもいやだなぁとおもうし。
こうしていやなものからにげだそうとしてかろやかにしんでいくのがいけないのかしら。なににたいしていけないのかしら。できないのかなぁ?でもおおきなめでみればひとりぶんのばしょやしょくりょうがうくのに。そしてわたしはせいさんしたくないからしょうひするだけになるよ?
うーん。
たかがろくれんきんがいやでしぬというのはなんともこどもらしいばかはがしいりゆうだとおもえるでしょうね。そしてそれがほんとうになんでもないりゆうなんかないただやすみたいというだけでやすめないからしぬというのはばかはがしいでしょう。でも、ひとはしねるよね。わたしはしねるとおもうの。いままでのいっさいがっさいやこれからのすべてをそのろくれんきんとはてはじょうしのせいにして、しぬんだよ。
やすめばよかったのにとおもうでしょうがしぬんだよ。だってしにたいから。けっきょくはしぬことがもくてきで、りゆうがすりかえられてしんでいくんだ。
と、かんがえると、なぜひとびとはいきていくのか。あのね、わかいほうがまもるものがないからいいのよ。しぬのに。
ああめんへらめんへら。ちょっといっかいしんでみるだけ。ああ、ひとのいのちとはかくもはかないもの、なんじゃないですか?
つーか、ね、たたかうのはめんどくさい。じぶんのいしでしぬのであればいいかしらねぇ?
じぶんひとりぶんのせきにんしかおいたくないんだよね。けっきょく。わたしにはわたしのねこがいるんだけど、つれてはいかないよ。しんだらいやだし。にゃあはかわいいから、ちゃんとかぞくがみていてくれるよ。
そうしきっていくらなのかしらね?