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THE STING



話題:最近観た映画

邦題「スティング」

あまりにも有名なこの作品を 僕は観たことが無かった



もう なんと言っても
ただただ面白い


アカデミー賞がどうとか
出演者がどうとか

どうでもいい



80年代半ばの
「興行的に成功する為のロジック化されたハリウッド映画」以前の作品で
作り手が 観客の為に頑張っているのが良く解る


また この頃の作品は
ビデオ化は付属物で 映画館で観てもらう事を念頭に制作されているのを感じ取れる



と言うのも
描写こそしっかりしているけれど 説明的な部分が排除されている


近年のハリウッド映画などを見慣れていると 不親切と感じる位だ


しかし 欧米の観客は 面白く無ければ 例え作品の途中でも帰ってしまうそうだ

という事は
はっきり説明的な台詞や映像を作るより
あれは何だ? これからどうなるんだ?
と 観客がスクリーンにのめり込む程集中してくれなきゃならない


実際 僕もIPTVで観て
途中でコーヒーを淹れている間に 見逃したシーンが気になる

コーヒーなんて後にすれば良かった




席を立たせない

これは賞賛に値する事だと 僕は思う





逆に 近年の複雑なロジックに慣れた頭で観ると

この人物がこんな役回りだろうとか
これはこの伏線だろうとか


見えなくて良いものが見えてしまう



まぁ これはある程度仕方ない事なので
諦めて 無心になって観るしかない




純粋に どこまでも観客を楽しませてくれる 作品として僕のお気に入りとなりました

6カ月ぶりに
Norと会った



忙しさに紛れて そんなに時間が経ったのを忘れていた

ただ 年を越した事で「随分経ったな」と認識出来るだけだ




「6カ月ぶりだね」

そう言うと 彼女も

「うん 今来る途中に指折り数えた」

「あー 一緒 数えた」



そして 車を出す

周囲をドライブ



堰を切ったように Norは話し続けた

仕事の事 家の事
自分の歯の治療の方法まで
事細かに 詳細に


他愛もない会話
半分位しか覚えていない


僕がNorをギュッとしたり キスをしようとする瞬間が来ないように

言葉が発射され続ける



まぁ 確かに機会は狙っていたけれど
必要な事では無い

Norが また僕に会ってくれた事が 重要だったのだから



そうして 約30分
僕らのドライブは終わった


帰り際

「まだNorの事好きだからな」

そう言い逃げした


たぶん僕の その感情は嘘だ


「応えなくて良いからな
こうして友人で居られれば楽しいからさ」

これも嘘だ








「嘘で良いから『ずっと一緒だよ』って言いなさいよ」

そう言ったのは kumだった



離婚経験者同士
それが あまりに空々しい事だと知っている


なのに敢えて言って欲しい理由が 僕には解らない


言っても 言われても
僕には虚しいだけ


それならいっそ
毎朝 おはようと声を掛け
毎晩 おやすみとベッドにもぐり込み

なるべくお互いに 笑顔で居られれば


それで充分




残雪

たぶん今から会う
Nor宛てに
「珍しく 夜に都内で仕事」だと
昼頃にメールした


Norは 帰りが遅いらしい

「待つ」とは言ったものの ホントに会えるのだろうか




以前 ある人に

「ゆうさんの大事って?」

と訊かれた事がある



色々考えられたけど
状況からすると 「大事な人」って事だと思った


そして僕は考えた
ホントに誰なんだろ?



他のある人に

「自分だけが大事な人なのね」

と言われた



あながち 間違っていない様に思う





実際 その時々で「大事」の比率は変わるのだけれど

僕より大事人が 2人いる

1人は Mikだ
もう これは変わる事が無いだろう


もう1人は 最近気づいた


Motだ

意識して居なかったけれど 僕はMotが愛しくて仕方ない
そして リアルな嫉妬の対象でもある

僕の出来なかった事を ちゃんと続けているのだから



じゃぁ kumは?


近すぎて 良く解らない
漠然と大事だとは思うのだけれど
未だに関わり方に戸惑う



じゃぁ Norは?

今日 これから理解出来るのかもしれない

1991 Jan 17 in Japan


1991 Jan 17 in Japan

今日、世界が動いた。
1990の東西ドイツ統合、東諸国のペレストロイカ、そんな事よりももっと大きく世界が動いた。

こんなに遠く離れた地にいるのに、怖くてたまらない。
そして何かを、それが何なのか解らないけれども、でも何かを……
行動を起こすのか、考えるのか、何だか解らないけれどやらなくてはいけない。
正義のためだなんて思わないけれど、こんな所で、遠くからただ安穏と眺めていては駄目なんだ。近くへ行ってみたい。今すぐにでも中東へ行って、この怖いものを見てみたい。

そこに何があるのか、何もないかもしれないが、その何もないような所で確かに、破壊と、殺戮と、生産があるはずなんだ。

でも今の僕にはどれも触れる事は出来ない。それらのレプリカに接するのがせいぜいだ。
なんとも言えない焦りが、アドレナリンと共に体中を駆け巡って、僕をさらに無力化する。

                                      1991 Jan



話題:散文

非日常に日常を見つけ出す


話題:最近観た映画

たまたま 2日連続で午前中に時間が空き
IPTVで映画を観た


「プライベートライアン」

「ワンス アンド フォーエバー」


共に ファンタジーや武勇伝 プロパガンダ要素をなるべく廃した 反戦映画だ

描写をなるべくリアルにし それによって戦争への恐怖や嫌悪感を煽るこの手の映画は
「プラトーン」が最初だった様に 僕は記憶している




それこそ 僕が子供だった頃
戦車や戦闘機のプラモデルを作り
モデルガンをいじり
サバゲとかやっていた

そんな僕にとって 戦争映画は 戦闘シーンこそ最重要って感じで観ていたのだけれど


それが大きく変わったのが

湾岸戦争だった



それまで
戦争は映画の中の話

出てくる兵隊は 皆強く
信念と国の為に悪を倒すヒーローの様なもの



しかし
あの日あの時

戦争がリアルタイムで中継され


昨日までそこに有った日常と
映し出される映像の下で起こって居る事と
浮かれ 遠い海外の話と 呑気なニュースに
僕は恐怖した





戦争は狂気だ

起きてはほしく無いが
起きた時 何を考え 行動し

そして

何を失うのか




この2作品は
そんな事をよく描いている作品だと 僕は思う
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