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包帯クラブ


話題:最近観た映画

2007年公開

その時 なんとなくコピーと宣伝映像に惹かれ

「観たいなぁ」

なんて思っていた



原作は小説

流行り(当時)の携帯小説かと思いきや
そうでも無いらしい



ストーリーは 淡々と

あまり説明的でなく
かと言って 難解でもない

ある程度 慣れていれば
想像通りに話は進む


だからなのか

文字を追う作業ならば ワクワクしそうな
突然で突飛な しかも多少説明的で長い場面が

ダラダラとした印象で 面倒くさい







何もしなければ
何も変わらない

でも

何かをしても
変わる保証は無い

いや

何もしなくても
勝手に変わっていく





まぁ 思春期から大人に移り変わる頃
たいていの人が通る道


当然 作品中に答えなんて無い


答えは無いけれど
何か


何かのきっかけは そこに在るのだと信じてたい






乱暴な言い方だが


メンヘラ気取りの ミュンヒハウンゼン諸氏には なにか響く所があるだろう

また 過日そうした体験や経験をしたのならば
改めて 小さい事が大事だった時を思い出せるだろうと 思う







それにしても

石原さとみは可愛く
貫地谷しほりは面白く



柳楽くんは…
高一って 無理ないか?



てか 主人公が高校生だと気付くのに 時間がかかった

竜馬の妻とその夫と愛人



話題:最近観た映画


ふと題名が気になり チャンネルを合わせた


聞いた事のあるような無いような題名…



いつもの様にググる


三谷幸喜の舞台作品を 市川準が監督して映画化したものらしい


三谷幸喜と言えば 誰しもが知る喜劇作家だ
ただ僕は 彼の戯曲も舞台も知らない

一度は読みたい観たいと思いながら 常に映像作品で満足してしまっている




初めて彼の作品に出会ったのは
「12人の優しい日本人」

音楽で言う所のジャケ買いよろしく 題名だけでレンタルした

この作品については またいずれ 再観賞してからにしよう




「竜馬の妻とその夫と愛人」

この一見複雑に見える人間関係だが 時代背景が判ると 案外すっきりと理解できる


時は明治初期
つまり坂本竜馬はとうに死んで その妻おりょうが再婚した後の話となる


この作品
単にシチュエーションだけならば現代劇でも通用する
三谷氏の脚本力を考えれば 現代劇でも充分に面白いはずなのだが

たぶん それではラストシーンでの それぞれの登場人物の思いが嘘臭くなる



まぁ 嘘臭くならない様な登場人物像を創れば良いのだろうが
そこは 坂本竜馬と言うカリスマに力を借りて 見事な作品になっている



市川準監督が舞台を観て 是非映画化したいと望んだらしく
監督の舞台作品に対してのオマージュが 其処ここに在る様に感じた



シーンに拠っては これそのまま舞台シーンじゃないのかな
と思わせられ

長家の外や全景も 写実的な映画と言うより
何かこう 箱庭で撮影している様な雰囲気が 舞台の大道具を感じさせる



まぁ 実の所そんな意図は無いのかもしれないが
そんな想像をしながら観るのも また楽しみとなる映画だった

街の灯



話題:最近観た映画

実は今までに チャップリンの映画をちゃんと観た事が無い

まぁ チャップリンだけでなく
いわゆる名画と言われる類をそんなに観ていないのだが


チャップリンというと ドタバタ喜劇のイメージがあり
それが敬遠している原因だった



ただただドタバタだけの物は 嫌いだ
若い時は まぁ観た事もあったけれど やっぱり好きじゃ無かった



それがちょうど 観たい番組が無く 時間潰しにと見始めたのが「街の灯」だった


冒頭の10分ほどは見逃した


まぁ ドタバタと これでもかと笑いを追求する感じが 若手の芸人に通じる



寸評するならば

大筋のあるドラマを ドタバタコントで繋いで一作品にした映画だ


一回で弱い笑いは 繰り返す事でより滑稽さを出して 笑いに繋げる

今も テレビを点ければ
どのチャンネルのバラエティーでも行われている「笑いをとる」王道


喜劇とは かくも不変で普遍なのか
はたまた 新しい物が無いのか


なんにしても
1930年代の手法が今もまだ 変わらない事に驚く

実際には もっと昔から 変わっていないのだろうが



それにしても

そんなドタバタコントを吹き飛ばす ストーリーの良さが際立つ


ただそんなストーリーも 普通にストーリー映画にしたらきっと詰まらないだろう



コントとストーリー
このバランスが 観る側に笑いとハラハラドキドキを与えて
遂には 人生の機微にまで触れさせる



あぁ もっと早くに観ておけば良かった

そんな作品だった

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話題:最近観た映画

60年安保闘争に取り残された 革命思想の活動家と それを取材するとあるライターの

実話を基にした映画だ


実のところ 僕は60年安保どころか 70年安保闘争すら知らない
資料やニュース映像で知っているだけだ


なので郷愁とか 時代に対する あ〜あるある的な思い入れが一切無く

ただ へぇ…
っという感覚だった


出演者や監督も 当然その時代を知らないのだが

きっとあの時代の 行き場の無い 生きる事への意味消失感が よく描けている様にかんじた



ただ 演出はあざとい


昭和感というか
あの頃のざらついた空気感を表現するのに あえて16ミリで撮影するという使い古された手法がまず鼻につく


映画として 現代に当時を再現してまで訴えかけるものがまるで見えない


やっと見えたのは

「男泣きは肯定されるべきだ」

という主張だけだった


まぁ その表現でも
あの時代を生き残った方々なら

そんな女々しい泣きなんぞするかよ


ってな所だろう



ただ 原作を写実的に映像化しただけで
ドキュメンタリーにもならない

だいたい 今時はドキュメンタリーでも製作側の意図や主張が入るのに
なぜそれを避けたのか?

邪推だが 原作者の生きた時代を知らない そして その時代を知っている人々が沢山居るからこそ
怖かったんじゃないのだろうか


丁寧な作りだとは思ったが 今 作品としたして世に出した意味は解らなかった



そもそも原作はどうして発表されたのだろ?

更に時代背景を探ってみた


事が起こったのは1969年から1972年辺りなのに
その15年ほど後になった 1986年から雑誌FLASHに掲載された物が1988年に纏まったのだそうだ


ジャーナリズムと警察 と言うか 法の遵守やら なんやかや

原作の焦点はそこに当たっている



1980年代 写真週刊誌が大流行する中で 1985年「豊田商事事件」が起こる


この事件はオンタイムではっきり覚えている



そして マスコミの取材と人権と法と…
取材のあり方や 報道の仕方などなど
取りざたされた

それでも 本当に変化するのは 松本サリン事件以後になる


そんな中で スケープゴートにされた原作者に 当時を振り返りながら語ってもらおうといった企画だったのじゃないかと推察した




原作を読んだ事はないが
そりゃリアリティがあるだろう

当事者の言葉だもの


だからこそ ただ原作に沿って映像化しても面白く無い事に なぜ気づかなかったのか

既に本物があるのに
イミテーションが輝けるはずは無いのだから


きみがぼくを見つけた日


話題:最近観た映画

原題:「The Time Traveler's Wife」


原作は2006年にアメリカで大ベストセラーになった作品で
ググれば沢山の関連情報が手に入る



見所は
時間旅行する主人公が 何をするとか どうしたこうしたといった事では無い

実際 そんな場面はあまり描かれていない


では何か


それは 邦題よりも原題の方が より端的に表現している

時空間を彷徨う男を 一つの時間軸の中で待ち続ける女性がもう一人の主人公だ




この作品 いわゆるSF的解釈や科学的考察が好きな人には向かない


突然変異の力が遺伝したり
しかも遺伝率が100%

何時何処に飛ぶかも解らないのに 大事な時は乗り切ったり

世界観が小さめで ご都合主義な場面も多い


以前ある漫画家が 読者に
「あなたのストーリーはご都合主義だ」
と指摘され

「ご都合主義じゃないフィクションがあったら教えてくれ」
とレスポンスしていた


正にその通りだと思う


多少ご都合主義が気になっても それを上回るストーリー展開で 観る側を飽きさせなければ良いのだ




この映画で語られる「待つ」心情は
これからの時代 女性だけの物では無いと 僕は思う


そして 不条理にも必ずやって来る「運命」を ただ待ってやり過ごすのか
それとも 積極的に対応して行くのか


どちらも苦しく また幸せは儚いと感じさせられた作品だった



救いは この主人公の女性には
失っても尚 儚いが希望がある所だろう

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