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なにが怖いってさ

ここんとこ、ちょいちょい某まとめサイトの怖い話を読んでってるんですが、怖い話を興味本意で、申し訳ない話「おもしろい読み物」として読むのは、ちょっと違うんだろうなあと思いました。
いや個人的なもんで、皆が皆そうしなよってわけじゃないですが。

怖い話として伝えられるのって、結局、その背景にある生きた人間の怖さが幽霊などの類いよりも勝るから、耳にした時に色濃く残るんだなと。和製ホラーのオチ的な「結局生きた人間の方が怖い」がまさにそれ。

うーん、何と言うか。
例えばニュースや何かで「人が殺されました」「殺しました」という話を聞くと、そんな人間がそれだけの数いるということで、その被害者がいわゆる怖い話の主人公になるのなら、自分はそんな主人公を生み出した人の方が怖いですよ、という話。

そしてそんな話を笑ってしていられるのも、実はすげえ事なんじゃねえかなあと思う。怖い話の根底にあるものを見てしまうと、なかなか笑って話せるものじゃない。
怖い話を話したがらない親や多くの大人は、怖い話の元になりうる事実を本や歴史で知ってるからなのかなとか。考えすぎか。

田舎に行くと、結構古い因習残ってますからね。
関東近辺に田舎ありますが、雰囲気も人も好きだけど「ああやっぱり田舎だな」と思うような閉じた社会の匂いがする時があります。
あとはまあ、うん、いわくつきの家とかね(これは最近になって初めて聞かされた)(小さい時、よくそこの前で遊んでたよおい)。

こうして携帯使ってたり、テレビ見てたりすると忘れがちなそれが、まだどこかで息づいているかもしれないことを怖い話を通して思い出すから、別の意味でやっぱり怖いんだろうなと思いました。

最近ホントに涙もろくなっちゃって、それで余計にこんなことを考えるだけかもしれん。ニュースとか見るたんびに「〜が殺害した」とか聞くと、その日に死ぬなんて考えて生きてる人なんてそうそういないだろうと思って悲しくなる。


ちなみに滅入っても疲れてもいないんで、大丈夫ですよと。書いた文章振り返ったら疲れてる人みたいだ。
怖い話嫌いな人、すまん。


とりあえず銀色夜話はまったり馬鹿馬鹿しく時に真面目な話でこれからもいきたいなあと思いました。まあ後味よろしくないのも程々に。
甘味ばかりじゃ飽きるよね!
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