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自己の理解

一周回らないと大事にできないから。

人は一人じゃ生きていけない。他者に認識されて、影響しあって生きている。

つまりは、今現在の僕はすれ違うサラリーマンであったり席を譲ってもらったお婆さんや僕に腹を立てているあの子や隣に座る彼に影響されて出来上がってるということだ。

どれも小さいけれど、彼らがいなければ僕は構成されていないので、つまりは彼らも僕を構成する一部として解釈できるのではないだろうか。

もしかするとそれは自分にとって悪影響だったり、もしくは理解ができない、いまの自分の想像の範疇を超えていたり、もしくは過去に通り越したと思っていた幼さの追体験になるのかもしれない。

だけれど、自分を愛する僕なのであれば、他者の中に見いだされる自分に、かつて僕であったものや、いま僕であるものや、これから僕になるであろうものに共振して、分かろうとして大事に出来るのではないかと思う。

誰かよりも僕を優先してしまう僕だからこそ、僕自身を愛するように、大事にするように、大切にするように、出会う人みんなを大事にしたい。

いま理解できないものであっても、一度見たことがある、もしくは体験したものであれば受け入れられるから。

想像が出来なかったり、受け入れられないのは見たことも体験したこともないから。

逆に、一度見たり体験したものであれば受け止めることは出来るはず。
だから、いつ使うのかも分からないものを、珍しいものを、一見遠回りに見えるようなものを見つけるために、人生の時間を使って歩くんだ。

そう思って僕は生きてるし、その結果人として成熟したい。

人間が好きだけど自分しか愛せない僕は、僕の自我を拡大解釈してでも、人のことを大事にしたい。
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