「ただいまー!」
「あ、おかえり」
コートを脱いで露わになるスーツ。就活関連のセミナーから帰った慧梨夏は、いつになく……いや、外の世界から帰って来た割にはいつになく艶々としている。
これはアレだな、セミナーでスーツ男子の成分を補給してきたとかそんなヤツだ、間違いない。だからその点に深く突っ込むと負けだ。
「慧梨夏、セミナーどうだった」
「実に有意義だったよ」
「それは何より。つかコート脱いだならちゃんとかけとけよ」
「はいはい」
ハンガーを渡すといつになくすぐコートをかけて、スーツも脱ぎながらちゃんとかけていく。どんなスーツがそんなにお前をご機嫌にしたんだ。
休日ルックのジャージに戻った慧梨夏だけど、顔は相変わらず緩んでいる。にやにやにやにや。そろそろどんな萌えに出会ったのか気になるだろちきしょい。
「なあ慧梨夏」
「どしたのカズ」
「ご機嫌なようだけど、セミナーで何かあったのか? この際どんな萌え話でもいい」
「うわー珍しー、カズが自分から萌え話を聞きたがるなんて」
「そんだけお前の顔が緩んでんだよ」
果林のほっぺたを引っ張る高ピーよろしく、両サイドから慧梨夏の頬を引っ張る。それでもげへへと萌えに緩み切った顔は戻らない。
こりゃよっぽどの萌えを得たのだろう。しかしまあ、ただのスーツの大群でここまでになるだろうか。これはもっと慧梨夏の琴線を刺激する何かがあったに違いない。
「ダッフルコート?」
「そ、キャメルのダッフル! コート萌えの中でも上位ランクに食い込んでくるテッパンアイテム!」
「うーん、俺にはよくわかんねーけど、お前の中じゃそうなんだな」
「しかもそのキャメルの子が隣の席でさ、ヒジぶつかって何なのって思ったら左利きでさー! いやもうこれ左利きなら許すしかないよね!」
わかっちゃいたけど聞いた俺がバカだった。ダッフルコートまでは許す。それは俺も着ようと思えば着れるし。でも左利きっつーのだけはダメだ。
俺には今更どうにもならない分野な上に、左利きって聞くと最初に連想されるのが浅浦な時点で俺も十分病気だ。左利きに萌えるイコール浅浦に萌えてる的な図式が腹立つ。
「日に焼けたっていう天然モノの焦げ茶色の髪がまたいい! しかも左利き」
「クッソ、どーせ俺はどんだけ焼けても髪は真っ黒だよ」
「家じゃメガネなんだって!」
「どーせ俺は裸眼だよ」
「しかもデフォルトの私服がカーディガン! バカ野郎飢えたうちに火をつけるには十分過ぎるだろうがあああ!」
「パーカーで悪かったな」
「カズはパーカーがベストだから」
あれだけ興奮してたのにパーカーがベストだからってのは妙にキリッとしてやがる。何なんだよそのダッフル野郎、これでもかと慧梨夏の萌え要素を詰め込みやがって。
俺は天然モノの焦げ茶の髪も、眼鏡が必要な視力も、現状私服で着るようなカーディガンも持っちゃいない。まあ、俺は俺なんだろうけどさ。でも、腹は立ちますよね!
「つか見ず知らずの男なんだろそのダッフル君て」
「そうだね。星ヶ丘だって言ってた」
「よくそんだけコミュニケーション取れたな」
「お互い人見知りしない性格だったんじゃない? 志望する業界は同じだし、またどこかで会うかもね」
「戦友にして強敵、か」
「ちょっ、カズそれいいね燃える!」
ここまで来たら、逆に燃料を与えるだけ与えて燃え尽きさせるまで。派手に喰い散らかして、燃やすモンがなくなったらまた現実に戻ってくりゃいいさ。
end.
++++
このときいち氏と慧梨夏は知る由もなかったのです、星ヶ丘のそのダッフル野郎との出会いが運命であったことに……
みたいなことにならないかなあという願望を込めた就活関連のお話。困った時のバカップルである。これっくらいのセミナーならやってると思う。
これは慧梨夏が爛れたワーカホリックぶりを如何なく発揮してくれるパターンのヤツです。忙しくしてないと燃えないんだぜ!