「いっちーせんぱーい」
「はーい。あっ、果林にタカシ。どうしたの?」
「毎度お馴染み母の日でーす」
果林先輩に連れられやってきたのは伊東先輩の住むマンションの一室。最寄り駅からは少し歩くけど、一回も曲がる必要のない実にわかりやすい道のり。
毎度お馴染みと言うけど果林先輩は2年生だし、言うほど「お馴染み」でもないみたいだ。でも、母の日イベントということでMBCCの母の異名を持つ伊東先輩へ感謝する日という体らしい。
「って言うかどうやって来たの?」
「電車ですよ。原付2ケツでも良かったんですけど」
「原付の2ケツってフツーに危ないっしょ、ケーサツいるし」
「だから電車なんですー」
「駅からは徒歩です」
通された伊東先輩の部屋は洗濯機が動き、ベランダでは洗濯物が揺れる、晴れた日曜の午後としては理想的な絵。家事が趣味だとは聞いていたけど、抜き打ち訪問でここまでちゃんとしてるのは素直にすごい。
抜き打ち訪問でもし彼女さんがいたらどうするとか、伊東先輩本人が留守だったらどうするという話も歩きながらしていた。だけど伊東先輩はちゃんといたし、彼女さんもどうやらいないらしい。
「あ、せっかく遊びに来てくれたしこれあげる」
「あー、鳥サブレ! これおいしいですよねー!」
「伊東先輩、光洋に行ってきたんですか?」
「ううん、俺じゃなくて慧梨夏のお土産。アイツこないだ遠征しててさ、そのついでの聖地巡礼土産なんだけど加減を知らないんだよな。俺だけで食べるにも飽きが来てたトコだし」
もらった鳥サブレをさっそくかじる果林先輩も、ここにやってきた本題を忘れる前に済ませてしまおうと持ってきた大きな包みをドンと伊東先輩の前に出した。
なになに、と興味深く先輩が覗き込む風呂敷包みを開くと、そこからは大きなタッパーが出てくる。タッパーの中は黄色がかった物が入っていて、まあ、食べ物だということはわかるんだけど。
「何これ」
「昨日ファンフェスで柑橘系果物ばかり売ってたブースあったじゃないですか」
「ああ、そういやあったなあ」
「あれに触発されて柑橘系フルーツがゴロッと入ったゼリーを作りました! 最近暑いしツルッと行けそうかなーと思って」
フタが開けられると柑橘系のほのかな香りが広がってきた。せっかくだし食べよっかと伊東先輩が皿とスプーンを持ってきてくれて、適当に分けてくれる。
伊東先輩に対する母の日イベントなのにここまでお世話になってしまって果たして母の日としての体を成しているのかは微妙なところだけど。まあ、これはこれとして。
「うん、おいしいよ果林」
「おいしいです」
「よかったー」
「ほら、最近間食がサブレメインだったからさ、ツルッとしてるものが本当においしい。てか果林これ皮剥くの大変じゃなかった? 薄皮も種も全部取ったんでしょ?」
「全部やりましたよー」
「果林って意外とそういうの頑張るよね。イメージとしては雑そうなんだけど」
「食への執念です」
果林先輩の意外な特技を目の当たりにしつつ、改めてゼリーを一口。うん、おいしいなあ。ゼリーなんて嗜好品だからなかなか食べないし、いろんな種類の柑橘系果物が入っていて贅沢だ。
「彼女さんの分も取っときます?」
「そうだね、とっとくわ」
「洗濯物、地味〜に彼女さんの服も混ざってますよね」
「あ、バレた?」
「GREENsTシャツがいっちー先輩の所有物なワケないじゃないですか。はいタカちゃん、食べたら邪魔にならないうちに帰るよ。MBCCの母とは言え人の物だからね」
「はい」
「あ、いや、そんなすぐ帰ってくるワケでもないからゆっくりしてって」
end.
++++
毎度お馴染み母の日イベントである。柑橘系果物に触発されたらしい果林の食への執念である。薄皮とか剥くの何気に大変だよなあ。
今回のタカちゃんは便乗と言うかおまけ。例によってヒマだったのと、果林がどうせなら人数を増やしたかったとかそんなヤツかな。
しかし果林の気の利かせ方である。MBCCの母とは言え人の物だという認識はあるので慧梨夏と遭遇する前にずらかろうとする、いち氏的には要らぬ気遣いであった