「ともちゃーん! ともちん!」
「ああ、千尋。おはよう」
「ともちんクマ落としたよ、はい」
「あー、ありがとー! いつ落ちたんだろ」
「今だよ今」
千尋が拾ってくれなかったら、車の鍵につけてるクマを落としたことに全然気付かないままスルーしてるところだった。もしこれで無くしたことに気付くのが帰りだったら……うわあ、大変だ。
後ろから追い付いてきた千尋と一緒にサークル室に入れば、まだ誰も来ていない。そりゃそうだ。部屋の鍵は俺が借りてきたんだから。席について、手元に置くのはクマと車の鍵。
「ともちんて男子の割に可愛い物好きだよね」
「そうかなあ、カッコいい物も好きだよ」
「そうかもしんないけど大学3年男子が車の鍵にクマつけてるって、彼女からもらったんじゃないかって疑うよねー、ほれほれどーなのそこンとこ」
「そういうんじゃないよもう」
もらったクマを付け直しながら、千尋が言う「大学3年男子がクマをつけていることのおかしさ」を聞いていた。言ってしまえばこのクマはファンシー雑貨の部類に入ると思う。
最近じゃ気持ち悪い物が可愛いって言われたりリアルな虫のフィギュアなんかがガチャガチャでとれたりするけど、俺のクマはそういうリアルなクマじゃなくて、服を着たテディベアと言う方が近いと思う。
「それ言ったら千尋こそどーなの。大学3年女子が虫にそこまでどっぷりなんてさ。女子って虫嫌いなんじゃないの」
「世間一般の女子が虫嫌いだからってアタシの虫好きがおかしいってコトはないでしょうよ」
「じゃ、それと同じだよね。世間一般の男子がクマをつけてないからって俺がクマをつけてるのはおかしくないよ」
「よし、じゃあそこはともちんとの痛み分けで」
「痛み分けなんだ」
千尋はUHBCでも結構な変わり者だと思う。のんびりした性格の子が多いUHBCでは唯一とも言える熱血漢かもしれない。あと、虫が好きでよく千尋のマル秘虫取りスポットに出かけているとか。
アナウンサーとしては頼りになるんだけど、時々強引に話を持ってこうとするところにはなかなかついていけない。そんな千尋からしてみれば、俺のやり方がなかなかわからないんだろうけど。
「でもさ、他にも可愛い物はあるのに何でクマなの?」
「死んだ母さんが買ってくれた物で唯一残ってるのがクマのぬいぐるみでさ。兄さんが言うには、俺ってそのクマを抱いてないと寝付けなかったんだって」
「へー、かわいいじゃん」
「どっかにあるんだろうね、クマに対する安心感とか懐かしさとか。自分でバイトするようになるとさ、いつの間にかいろんなクマが部屋にいたもん」
「ともちんいつもベティさんの収集癖に困ってなかったっけ」
「そうなんだけどね、気になったら買っちゃうんだもん」
「血は争えないなあ」
「ホントだね」
可愛い物は可愛い物で好きだけど、やっぱりクマは特別という思いがどこかにある。10年ほどが経っていろいろなことを乗り越えられたつもりではいたけど、どこかでまだ引きずっているのかもしれない。
「ところでともちん、カッコいい物も好きだって言ったよね」
「うん、言ったね」
「虫は最高にクールだから、魅力にハマってみよう」
「ええっ、虫だよ!?」
「カッコいいでしょうが! わかった、男の子だし入りやすいカブトムシとかクワガタとかから行く!? 今の時期はいろんな虫が出てくるから捗るよ!」
「何が!? って言うかいつの間に虫取りに行くことになってんの!?」
話を聞くだけならまだ大丈夫だけど、実際に虫取りに行くのはちょっとなあ。でも千尋はイキイキしてるし。このままだと強引に虫取りに連れて行かれそうだなあ。どうしたものかなあ。
「大丈夫大丈夫。ロボット好きなら虫も好きだよ」
「わかんないよもう!」
end.
++++
ちーちゃんと坂井さんのちょっとしたお話。ちょっとしんみりとしつつも基本坂井さんがめちゃくちゃ、みたいなヤツ。
ちーちゃんは可愛い物が好きというかクマの収集癖があるらしい。ベティさんのことは言えないじゃないか!
ロボット好きなら虫も好きとかいうよくわからん坂井さん理論だけども、これが向島に行くと強ち間違いでもなさそうな感じのヤツ。