「ねえねえノサカ、何かおるよ!」
「え?」
サークル室に向かう廊下の隅、こっちこっちとしゃがみ込んだヒロが一体何を見つけたのか。ヒロのことだからまーたロクでもない物かもしれない。俺を陥れる罠の可能性もあるな。
「ねえノサカ、これってアレやん? ほら、アレ。足6本やから昆虫やよね」
「クワガタじゃね? めちゃ小さいけど。ふあー、いるモンなんだなー、大きいのはもっとカッコいいんだろうなー」
「クワガタ!? やっぱここ山やね! でも建物の中にも入ってくるモンなんやね」
「まあ、山だしなあ」
しゃがみ込んだヒロの足下でゆっくりと歩いていたのは本当にごく小さなクワガタ。詳しい種類はわからないけど、きっとサークル棟の裏にある山から迷い込んできたのだろう。
このテの虫をまじまじと観察するのはいつぶりだろうか。科学館でそんな特別展示をやっていた時以来か。でもあれは自然の中とはとても言えないし、そう考えると小学生以来か。
「あれっ、ノサカにヒロ。そんなところに座り込んで何やってるんだ?」
「ああ、菜月先輩おはようございます」
「あ、菜月先輩これ見てくださいそこにおったんですよ」
「あっヒロお前!」
ババーン、とヒロは掴んだクワガタを菜月先輩に向ける。お前なあ、女性がクワガタに俺みたいなリアクションを取るとでも思ってるのか? 苦手な人もいるだろうに、ヘタすればローキック物だぞ。
「おっ、クワガタか。小さいけど。ヒロ、うちの手に乗せてくれ」
「どーぞ」
ヒロの手から菜月先輩の手に渡ったクワガタは、菜月先輩の腕を肘に向かって歩いている。肘の上まで来たら、また手のひらに戻されて、肘まで歩いての繰り返し。
「菜月先輩、虫を触ることが出来るのですか?」
「うちの実家もよくカブトムシやクワガタが入ってきてたからな」
「そうなんですか」
「カエルやミミズも触れるぞ」
聞くに、菜月先輩のご実家の周りもここの裏のような山が広がり、幼少の頃は家の裏の森を駆け回っていたとか。お兄さんと虫取りをすることもあったとかで、クワガタに向ける視線はどこか優しい。
「虫を買う時代だっていうのが信じられないんだ」
「それは俺も思います」
「ボク家の周りに虫あんまおらんので虫取りとかしたことないんですよね」
「そうか、ヒロはそういう世代で街の子か」
「ボク今の菜月先輩の話聞いて家の裏がすぐ森とかそっちの方が信じられんのですよ。クマとかおるんですか?」
「熊の目撃情報は回覧板でよく回ってくるぞ。小学校では熊対策のブザーや鈴を持たされる地区もあった。あ、うちの地区は一応持たされてないからな。ギリギリ山じゃない」
結局、このクワガタは山に返してやろうということになった。サークル室に荷物を置いて、3人で一歩山の中へ。クワガタは歩いていた菜月先輩の腕の上から下ろされ、一歩一歩自然に帰っていく。
「力強く生きろよー」
「わっ、ちょっと何か飛んどる! 助けてノサカ!」
「うわっ何だこれ、蛾か!?」
わあわあと叫ぶ俺たちを後目に、菜月先輩は周りを飛び回る蛾に動じる様子を微塵とも見せず。首にかけていたタオルを鞭のようにひと振り。落ちてピクピクする蛾に、罪はないけど仕方ない、と。
「菜月先輩慣れすぎやないですか? 躊躇なかったですもん完全に」
「これも育ってきた環境なのか……」
「ちょっと気絶させただけで大袈裟だなお前たちは」
俺は森を駆け回る幼少の菜月先輩を森の妖精のようなものとして想像していたけれど、実際はお転婆かやんちゃな女の子だったのかもしれない。しかし俺たちは蛾一匹に情けない。
end.
++++
森の妖精と言うと、トトロか何か? ノサカの中の森のイメージは大体ジブリとかあんな雰囲気のヤツ。圭斗さんにも通じるイメージだね!
菜月さんは虫大丈夫。むしろ子供のころは子供だからこその無邪気な残酷さを以下略。
しかしノサカの思い描く森の妖精って白いワンピースでも着て裸足で森を駆けまわってるとか佇んでるとかそういうヤツなんだろうな!